Japan Soccer 50年

2012年10月13日土曜日

サッカーの内部感覚について (2)

こんにちは! 蜻蛉です。 真夜中のサッカー試合の観戦は、ロンドン五輪開催中は、慣れっこになっていました。しかし、明朝(13日)4時(フランスのサンドニ)、サムライジャパン日本代表対フランス代表戦が行われますが、今回は観戦できるか(その時間に起きられるか)多少不安です。皆さんも観戦を楽しみにされておられるでしょうが、無理して、体調を崩さないよう気をつけましょう。

 さて、前回「内部感覚」について述べましたが、今回も引き続き同じテーマのコトについて述べてみたいと思います。

 今回は特に、大学生諸君を対象とした、サッカーの「内部感覚」について、私の考え(主観的かもしれませんが)を述べてみたいと思います。

 日本の学校教育や学校スポーツは、指導者が指導要領?に従って知識等を、生徒や学生に与えて学ばす傾向にあり、頭または体に記憶させながら訓練しているように思われます。

 ですから、子どもたちのように、激しいゲームをしながら、トラップ、ドリブル、キック・ヘッドでのパスやシュート、マーク、タックルなど、技能や技術の内部感覚を自然に身につけるコトはむずかしい(この年齢では感覚器官はほぼ形成されている)ようです。

 しかし、学生諸君は知的な考える能力がありますから、この「内部感覚」に対しても、意識の「志向性」を変えれば、一般常識とはチョッと違った「感覚」のコト・モノに観察され、他の選手ともチョッと違ったコトが感じ合えるかもしれません。

 一般的に「体操」というと、器械体操、集団体操、学校の体操(ラジオ体操)が思い浮かばれます。

この体操という言葉の文字の意味を単純に考えてみますと、2つの意味があるようです。その1つは、「体を自ら操るコト(モノ)」と、もう1つは、「体を他人から操られるコト(モノ)」というふうに同じ体操でも意味がまったく変わってしまいます。前者は器械体操であり、後者は集団体操と学校体操に該当するようです。

サッカーも集団競技ですから、指導者は、規律を厳しくして、練習を通じて、選手の身体を統制しながら支配し、同時に精神をも支配するコトで、技術や戦術を習得させる、という傾向があります。

それは強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されている選手が「統御されている」というコトを感知しないで、自ら進んで、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲望を駆り立てられて、従順な選手として、チームという組織の網の目のなかに組み込まれてきているのです。(ここで述べているコトは、一般論ですので、日本のサッカーのすべてがそうだ、という意味ではありません)

ここで学生諸君に、「内部感覚」について述べる前に、まず、

「カラダというモノはどのようなモノか?」というコトを、常識的な概念に捉われず、日常のなかから、カラダ本来の機能を自分自身で思い出してみてください。

 私たちのカラダには祖先の経験と、それを凌いできた知恵の数々が満ちているはずです。単なる「モノ」から「生きたモノ」へ、さらに「ヒト」へ長い道のりの過程で、カラダを環境に適応し順応してきた知恵を、あらためて発掘してみましょう。 

「カラダは意外な事実を教えてくれるかもしれません」

あなたのカラダに関しては、あなたのカラダが一番よく知っているはずです。

 今回は学生向けのサッカーの「内部感覚」について述べる予定でしたが、残念ながら前置きが長すぎて、核心にふれるコトができませんでしたので、次回にはそのコトを具体的に述べようと思います。よろしくお願いします。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月10日水曜日

サッカーの内部感覚について




こんにちは! 蜻蛉です。昨日(8日)は40数年ぶり、神奈川県横浜市港北区日吉にある、懐かしい母校慶応義塾大学ソッカー部下田グラウンドを訪問しました。
この訪問のきっかけは、連休の祭日を利用して、ソッカー部の蹴球祭が開催されたからです。この祭日は東京五輪(1964年)を記念し制定されたモノで、私はその年に塾を卒業。その年以来の訪問ですから、その期間の隔たりは、その場所以外、すべての面で変わっていました。もちろん良い方にですよ。

さて、前回2回に分けて、「ストライカーの内部感覚」について、述べてきましたが、今回はもう少し角度を変えて、「内部感覚」について述べてみたいと思います。

昨日久しぶりのグラウンドに踏み込んだ途端、現役諸君の活き活きとした熱気が伝わってきて、タイムスリップしたかのように、私の学生時代を彷彿させてくれました。そのせいか、肝心の試合を観るのが疎かになり、日本サッカーのある一面を垣間見るチャンスを逃がしてしまいました。

しかし、可愛い女性マネージャー(我々の時代は女性は無縁でした)がこの年寄りの蜻蛉の話し相手になってくれてサッカー談義をしているとき、目の前にて現役諸君と若手OB?が人工芝のピッチ1/4を使いミニゲームが始まりましたので、話をしながらプレーを観るコトができました。

そのゲームのプレーで感じたコトは、ボールの操作の際、下半身の足はよく動くのですが、股関節から上の胴体と腕の動きのモノ足りなさでした。

もちろん、半ば遊びのような雰囲気でしたので、そうだと決めつけるような評価はできないのですが、前に、沢穂希選手他なでしこジャパンの選手たちが所属するINAC神戸のチームと男子元日本代表選手等のチームがミニサッカー試合(TV番組用)をやっていましたが、彼女等のプレーは真剣そのモノ、足先のプレーなどはほとんどなかったので、私は、そのコトをこのブログで、特に褒めたのでした。

私が日本とペルーで体験したサッカーの違い(代表クラスを除いて)は、接触プレーにおける、胴体と腕の使い方にあります。というのは、ペルーに限らず南米のサッカーは肉弾戦的なゲームに対し、日本サッカーはいわゆるパスとドリブルを主体にした上品なサッカーのゲーム運びをするため、接触プレーが限定されてしまい、南米選手のような当たりの激しいプレーに合うと、そのプレッシャーに戸惑って、あっさりとバックパスしてしまうわけです。日本選手ができないのではなく、国内の試合の場合、そういう状況が少なく、その必要性がないからできないのです。

私自身のプレーも、ペルーで最初に指摘されたのは、接触プレーでの身のこなし方で特に、「ヘッドでもタックルに対しても両腕でガードせよ」というコトでした。それに加え相手に肘打ちする悪いコトも教わりました(やったコトはないですが)。

ゲームでは、子どもでも50歳代でも、遠慮の無い激しいプレーの応酬です。そのようなゲームの性格ですから、柔術のように自然と防衛反応が芽生えてくるのです。それと同様に攻撃面でも、アグレッシブな面とエレガントな面という矛盾するような面を持ち合わせているのが南米産プレーヤーの特性なのです。

特に見落としてはならないのは、5〜12歳の子どもが、ストリートサッカーやミニサッカーゲームなど狭いスペースで、ルールや年齢制限を少なくし、できるだけハンデというプレッシャーを背負いながら、自分たちの意志で鍛えているのです。 

そこに日本の子どもがやるゲームとの相違があるのです。それらが理解できれば、そのような条件を自由に設定できるゲームをやり続ければ、日本の子どもは優れた吸収力があるから、南米の子どもに負けないタレントが出てくる可能性がある、と言えそうです。この年代にこそ、自然とサッカーのゲームに対応する、内部感覚が養われ、それらがサッカー選手としての各々の個性になっていくのです。

では、そういう経験のない大学生の現役諸君の場合には、どうすればよいのか?少し長くなりそうなので、次回にそのコトを述べてみたいと思います。

最後に、前回に誤りがありましたので、ここで訂正させていただきます。

オランダの「アインドーベン」(誤り)と記載しましたが、

オランダの「PSVアイントホーフェン」(正しい)に訂正します。

グラシアス(ありがとう)! アスタ・ラ・プロクシマ(このつぎまで)

2012年10月6日土曜日

ストライカーの内部感覚について (2)




こんにちは! 蜻蛉です。今月はサムライジャパン日本代表がヨーロッパにて、欧州と南米の強豪、フランス戦(12日)とブラジル戦(16日)の親善試合が予定されています。昨日(4日)、日本代表のメンバー23人が発表されました。幸いにも、前回にストライカーの一人の例として取り上げた、乾貴士(フランクフルト)選手が召集されました。ぜひザックジャパンの戦力になって活躍してもらいたいですね。
 さて、きょうも前回のテーマ(ストライカーの内部感覚)の続きを述べてみようと思います。

 日本代表の得点不足の原因は、外国の一流チームと比較して、これといったストライカーがいない、と見る向きもあるようですが、果たしてそうなのでしょうか?

 日本のFWやMFを体力、技術、戦術の角度から覗いてみますと、体力や技術の能力に関しましては、一流国の選手と比較して、それほど遜色はない、と思います。しかし、戦術に関しては、一様外観の形は整っているのですが、まだ、内部の機能が未完成のように思われます。

 その内部の機能というのは、たとえば、トップのFW前田や右サイドのアタッカーFW岡崎は、十分得点に絡めるだけの動きのあるプレーをしているのですが、あまりにも、守備にも忠実に動き過ぎて、肝心のゴールに絡む駆け引き(余裕)が不足しているように思われます。

 ペルーのジェファーソン・ファルファンという選手が、ドイツのシャルケ04で日本のDF内田と組んで、岡崎と同じポジションでプレーしていますが、オランダのアインドーベンでプレーしていたころは、かなり得点を決めていたのですが、現在のチームに移籍されてからは、攻守に活躍しているのですが、ストライカーとして最も期待される、直接ゴールに絡むプレーが少なくなっているのです。

 バルセロナのリオネル・メッシ(アルゼンチン)も同じポジションでプレーしていながら、ゴールを大量生産しているのです。どこに違いがあるのでしょうか?

 メッシは左利きですから、岡崎やファルファンのように縦へのドリブルは少ないのですが、内側へ向かってドリブルしながら、味方の選手を上手く利用(このときに身体の内部感覚を操作)し、ゴール前で見え隠れしながら、サッとゴールを決めてしまう能力があるわけです。

メッシはその内部感覚で、他の選手が2メートル必要な仕事を、1メートル内にてできる技術能力あるからできるのかもしれません。しかし、たとえメッシがそれだけの能力があっても1人では限度があります。見落としてはならないのは、メッシがドリブルしだしたときの、他の味方選手の動きです。最近良く使われている言葉でいう、「連動」があってこそ、メッシが活き、他の選手も活きてくるのです。

香川がオフサイドぎりぎりにスルスルと入り込み、瞬間、マークする相手から離れた方にボールと一緒に反転し、何の力みもなく左足で流し込むようなシュートで決めました。このプレーで注目されるのは、一つはポジションのとり方であり、もう一つは、狭い範囲内で、流れるようなプレー(トラップからシュートへ)で得点したコトです。この一連のプレーは「リラックス」した身体の「内部感覚」で操作していたからこそ、相手GKは香川の動作を読めず、タイミングが合わなかったのだろう、と私はそのように感じました。

乾の単身ドリブルを身体的な面から覗きますと、直線的に相手GKに向かっていたため、上体(胴体)が緊張感で硬直した状態でシュート態勢に入り、股関節と骨盤、骨盤と肋骨とが分離せず、股間と脚の可動範囲が限定され、GKにシュートのコースを読まれてしまった、と私はそう感じました。

ストライカーに求められる資質にヘディングによるシュートがあります。特にジャンプヘッドの場合、相手GKやDFは背が高くヘッドが得意な選手が多いので、相手に競り勝つのは容易ではありません。しかし、ストライカーにもハーフナーのように上背に恵まれている選手もいますが、背が低くとも二段ロケットを思わすプレーをする選手もいるのです。

技術的には、脚の力によって跳ぶように思われますが、実際にはムダな緊張のない胴体の力と骨盤の仙骨の締めと股関節のとらえの組み合わせでジャンプすると、身体全体はフワリと浮き上がり、よりスピーディーに動くし視界が広くなるので、ジャンピング・ヘッドがしやすくなるのです。そのためにも気功で丹田にエネルギーを蓄え、意念で気を体内に流し、柔らかくて強く安定感のあるのに軽やかな動きができるよう筋肉を操作するコトがストライカーに求められる身体的内部感覚なのです。

日本の選手のようにスピードのあるプレーをすると、どうしても体の一部または全体に、緊張で力んでしまいがちになります、そのために筋肉の連動に虚ができて、スピードが失速したり、シュートが思うようにきまらない原因にもなるのです。

日本代表の場合DFをもっと強化するコトとアタッカーの守備の負担を軽減するコトでゴールにより執着できるのでは、と考えられます。その結果、いつかこの問題も解消できるようになるのでは、と私は考えています。

「チョッと」という片仮名の無声音の小文字の感覚が、内部感覚であり、「チョッと」意識に変化をいれて、カラダを操作するだけで、大きな力にもなるのです。

この内部感覚の「見えない動き」をマスターするには、まず見える動きを掘り下げるコトからはじめれば、それほど難しくはないのです。と申しますのは、身体の根幹となる「胴体」の動きは3つしかないのです。その3つとは、[丸める/反る][伸ばす/縮める][捻り]です。あらゆる動きはこの3つのバリエーションにすぎないのです。ですから、これを徹底的に磨けば、動きの質は間違いなく向上し、このコトをチョッと意識するだけでも、動きが変わるのです。そうなればあらゆる状況においても、適切な判断で対応できるプレーが可能になる、というコトです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月2日火曜日

ストライカーの内部感覚について (1)


こんにちは! 蜻蛉です。今年もアッという間に10月、心配された台風も過ぎ去り、スッキリとした秋晴れの青空になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、きょうの話題は、ストライカー不足に悩むサムライブルー日本代表のコトについて、私自身の見方や考え方(主観的な偏見かもしれませんが)を2回に分けて述べてみたいと思います。

昨夜のTVスポーツニュースで、マンUの香川選手のゴールとフランクフルトの乾選手のゴール失敗のシーンを観ました。この2人に見られるように、日本の選手たちが欧州で活躍している姿を見るのは喜ばしいコトです。

ここで特に2つの得点に絡むシーンを取り上げましたのは、得点を決めるために重要な内部感覚(センス)が、対照的に現れていたからです。

香川のシュートは、相手ペナルティエリア内、ゴールを背にしたポジション(オフサイドぎりぎりの位置)で味方のパスを受け、内側にマークしていた相手DFとは反対の方向に素早くボールと一緒にターンして、タイミングよく左足でシュート、GKは左側にセーブしたがボールに届かず、ゴール右隅に揺ったりと弾みながら吸い込まれた見事な得点でした。(彼のマンUの公式戦初得点も同じようなケースから振り向きながら決めていましたね)

一方の乾選手は現在絶好調、この試合前までの3試合に連続得点して、期待されていました。この試合でも、味方のカウンター攻撃で、ハーフライン近くから抜け出し、単身ドリブルで相手ゴールに向かい、相手GKと1対1になったところで、右足でシュートしましたが、前に出てきたGKに手ではじかれ、得点チャンスを逃がしてしまいました。 

ザッケローニ日本代表監督が観戦していたそうですが、おそらく本人は多少意識しながらプレーしていたのかもしれませんね。もしあそこで決めていれば、現在のクラブでも日本代表にても、彼の存在価値がグ―ンと上がったかと思われるほどの惜しまれるシュートシーンでした。

内部感覚という言葉が、この場合について適切なのかどうかは、私自身も定かではないのですが、「体を操作する上での意識(見えない部分)のとらえ」というふうな意味にとらえてもらえれば、と思います。

この「内部感覚」というのは、サッカー選手のストライカーの身体とプレーを例にしますと、柔らかくて強く、安定感があるのに軽やか、という矛盾する状態を併せ持つ理想的な身体で、プレーの状況に対して、それらを意識(内部感覚)的に臨機応変、身体操作ができるコトを言います。

そのような身体というのはカラダのどの部分でどのように動かすコトをいうのか? 
それに関連して、ストライカーに求められるプレーとは何なのか?

これらのコトについては、次回に述べてみたいと思います。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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2012年9月25日火曜日

なぜ監督が審判諸氏に執拗な抗議をするのだろうか?(2)


こんにちは! 蜻蛉です。大相撲秋場所の千秋楽、優勝を決める結びの一番の、横綱白鵬と大関日馬富士の決戦は、息が止まるほど迫力のある、素晴らしい大相撲でし た。勝った日馬富士が土俵に自分の額を当て感謝(全勝優勝と横綱昇進)している姿が印象的でした。白鵬の負けっぷり(全力を尽くしての負け)も良かったですね。 サッカーもあのような試合をすれば、間違いなく発展するでしょう。
 さてきょうは、前回と同じテーマについて話し合いたいと思います。サッカーの監督が主審や副審に抗議するのは、その場で起こったコトだからこそ、その場で審判諸 氏に反省を促し、再度同じ過ちをおかさないでもらいたい、という意味の願いも込められているのです。

確かにサッカーのルールでは、抗議する行為は許されていませんから、監督や選手たちが抗議するのもルール違反の行為です。その鉄のカーテン(審判と監督の間にあ る)によって不満を伝えられない、ひとつのジレンマがあるのです。それらがストレスとなり、繰り返し起こるコトにより、次第に鬱積し、あるときにそれらが爆 発し、暴言や暴行に向かわせているようです。

サッカー競技の根源は押し合いへし合いの闘争ゲームです。それを上手にコントロールするのが審判諸氏の使命です。上手にというコトはルールに従うだけでなく、選 手たちの心理も臨機応変にコントロールするコトも役割であるはずです。そのためには、両チームの選手たちから、審判は「公平」である、という信頼を得るコト、その ためには、できるだけ「誤審をなくす」というコトが大前提でなければ、選手からの信頼は得られないし、「安全」の保証がないコトになります。

Jリーグの試合を観戦してましても、審判諸氏の判断ミスと思われる場面がかなり多くみられます。その際に、選手から抗議されると、主審が口を動かして、選手に説 明?している姿であるかのように見えます。

たとえば、PKで、キックの前にペナルティエリアの中に侵入しないように注意したり、CKやFKで、キックの前、相互の選手同士が、押し合い掴み合いしている と、近づいて注意したりしています。プロの試合で、これらの注意は必要でしょうか?

おそらく審判のインストラクターの教えに従ってやっているのであろうか、と思われます。前もっていちいち注意する必要があるのでしょうか? 疑問を感じます。

注意しても、実際には注意された行為と同じコトをしても、主審は見逃しているのが現状なのです。

PKにしても、ゴールを決めても、攻撃側の選手が蹴る前に侵入していたら、ゴールを取り消し、やり直しさせなければならないルールのはずです。残念ながら、その ルールを適用する主審もあればしない主審もいるのです。

U-20 の「ヤングなでしこ」の選手が、最初の2試合で、スローインの反則をとられていました。おそらく国内の試合で、同じような行為をしても反則を取られない からだ、と思われます。Jリーグの選手でも、上体を前かがみにし、首も前にさげて、ボールの位置も前ぎみで両手で、チョコッと投げている選手がいるのには驚きまし た。CKでも線審がいないと、線の外にボールを置いて蹴る選手もいます。

これらは主審がキチッと判定すれば、いちいち説明する必要はない、と私は思います。FKにしてもCKにしても、主審がテキパキと行動すれば、速やかにゲームの流れ を止めずに進行できるはずですが、審判が一息入れるため?、ノソノソと行動しているようにも思われます。

結論的なコトは言えませんが、問題は審判側にもあるようです。

ペルーの元国際審判員でW杯、南米クラブ選手権決勝、Jリーグ等で笛を吹いた経験のある、アルベルト・テハダ氏に、

「正確な判定をするために、進んだ最新式の機器を導入するコトは良いのですが、本番の試合に応用するのは好ましくない、と思うのですが、審判諸氏の技術向上のため のトレーニング用にはどうしても必要だ、と私は思いますが、どうでしょうか?」

という提案をしたコトがあります。テハダ氏は本番の試合に機器を使うコトは反対でしたが、審判のトレーニング用に使うというコトは、その時点で考えていなかったよ うで返事はもらえませんでした。

 ペルーの審判のトレーニングでは、インストラクターの講座と体力トレーニングを熱心にやっているのを、よく見ていましたが、肝腎のサッカーの試合を観ながら研 究する時間が少ないようにも感じました。

 私自身コーチの資格をとるため、サッカーをいろいろな角度から観るコト(ストリートサッカーからプロのサッカー、国内と国外の試合、他のスポーツ等を、直接観 戦したり、TV観戦、ビデオ観戦等)で、鑑賞力を向上させようと計ってきました。

 その中で浮かんだルールに関するアイデアの一つに、レッドやイエローカードの他に、青かグリーンカードを新たに採用する案を10年以上前にノートに記載していま した。

つい最近インターネットの情報で、ドイツで、現在のイエローカードが、悪質なプレーとゴールした後ユニフォームを脱いだ選手も同じ(重い刑と軽い刑が一緒)である のは「不公平」であるという理由で、次のような提案が記載されていました。 

軽い刑にはグリーンカードを出し、一定の時間場外にて待機させるコトでその刑は継続させない。しかし同じ過ちを犯せば、イエローまたはレッドのカードを出す。とい う内容の案でした。

この案を見て私は驚きました。このアイデアは私のとまったく同じだったのです。

 選手の中には、次の試合(ペルーの場合、高地での試合など)に出場したくない場合、ゴールを決め意識的にユニフォームを脱いで出場停止を狙う者もいるのです。

 この行為は、いつになっても世界中で繰り返されているのに、ルール化している意味がどこにあるのでしょうか?試合後ユニフォームの交換で脱いだり、ロンドン五 輪で「独島(トクト)」の抗議文のプラカードを掲げた選手は、裸であったのに、制裁はなかった、というコトはどういう意味なのでしょうか?

 というコトは、ルールそのモノがゲームの主人公である選手側の意見がまったく入れられていないで、審判側の法的な見方で、決められている、というコトに問題の焦 点が絞られそうです。

 W杯の予選の試合で、ペルーの選手がゴールした後、ユニフォームを捲り上げて、アンダーシャツに書かれた「Te Amo Perú(ペルーを愛している)」を観 衆の前に表示し、観衆が絶叫している姿がありました。それなのに、イエローカードが出されるのは、何か不自然な感じがします。この試合の後、店頭や街路でこの言 葉の入った文字のシャツが爆発的に売れたのです。これは一種のパフォーマンスです。五輪で国旗を肩にかけているのと変わりないと思うのですが、どうでしょうか?

おそらく審判以外で、反対する人はいないのでは、と思いますがどうでしょう。

 なんとなく民法的な考えで、サッカーのルールを変更したり改正しているように思えてならないのです。民法でも法で縛りまくり、民間人が理解できない裁定がありま すように、スポーツ界のルールもその延長線上にあるのではないでしょうか?

これらは私のつぶやきです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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2012年9月24日月曜日

なぜサッカーの監督が審判諸氏に執拗な抗議をするのだろうか?(1)‏




こんにちは! 蜻蛉です。大相撲秋場所もきょうが千秋楽、全勝大関日馬富士と一敗横綱白鵬が結びの一番で対戦します。待望久しき新横綱誕生もありそうですね。
 さてきょうは、少し気になるJリーグの試合における、監督の退場問題について、話し合いたいと思います。

 ペルーでは日常茶飯事のように思っていましたサッカー監督退場劇が、Jリーグにおいても演じているのには驚きました。

現在Jリーグの監督には、世界的にも百戦錬磨の名選手として活躍していました、名古屋グランパスエイトの“ピクシー”ドラガン・ストイコビッチや鹿島アントラーズのジョルジーニヨがいます。そのような経験のある人が、審判の誤審を見逃すコトはまれです。その彼らが主審と副審に対して、執拗なぐらい抗議するのは、その理由があるからだ、と私は思っています。

彼らだけではない、他のクラブの監督(外人だけではなく日本人もです)も同様な行為で退場させられ、指揮停止処分と制裁金を果たされているのです。

どうしてこのような行為が、何年も何年も、繰り返し繰り返し、されているのでしょうか? 

日本やペルーだけではありません。欧州や南米というか世界中で、このような行為が繰り広げられているのです。

私はこのブログにて、6月に「わたしがルールブックだ」という、二出川延明(昔のプロ野球パリーグの審判部長)さんの名言を表題に審判とルールの解釈について記載しました。そこでは、ルールが審判を支えているのではなく、審判がルールを支えているので、ルールの解釈に自由があるコトと、また、監督や選手にも審判の誤審を許せるトレランス(寛容)を要求しました。

しかし、現実のサッカーの試合では、審判諸氏の明らかな誤審が目立っています。一時期は、選手が偽装したプレーで、審判の誤審を誘発するコトがたびたびありました。その後遺症か? 現在では、偽装でないプレーまで偽装にしてしまっているコトもたびたびあるのです。

サッカーの試合で特に問題になるのは、PKとoff-side に加え、ゴールインか否かの判定と退場に関わるプレーなどが挙げられます。

私がペルーでプレーしていたとき、よく審判諸氏と議論しました。そのわけは、私のポジションはアウトサイド・レフト(左のウイング)で、相手のオフサイド・トラップに対抗するため、自分なりに、陸上競技のスタートダッシュのように如何にして味方の選手がボールを蹴る瞬間に飛び出すか、研究してきました。位置が、タッチライン沿いですから、相手の防御ラインも味方のパスも、線審と同様によく見えます。ですから日本でプレーしているころは、オフサイドをとられるコトはほとんどなかったのです。

ところが、ペルーでは、同じプレーがオフサイドになってしまったのです。その場では少し抗議しましたが、何度もとられるので、その線審がフリーのとき、「なぜ、私のプレーがオフサイドなのか?その理由を聞かせて欲しい」と訊ねました。

 「貴方は相手の後ろでオフサイドの位置にいたからフラッグをあげたのです」と応えたので、「どの瞬間、私はその位置にいたのですか?」と問いただしたのですが、その審判からはそれ以外の応えは得られなかったので、逆に、「味方の選手が私にパス(キック)した瞬間、私の位置を、貴方は見ていましたか?」

ちょうど話し合っているとき、主審だった人が前にきたので、私は紙に書いて、説明し、ようやく納得してもらいました。「自分の武器をもぎ取られた」と冗談を言って別れたのですが、そのとき以来、その主審とはどこで出会っても気軽に話し合える仲になっていました。彼がプロリーグの審判になったときにも祝福しました。

この線審の場合は、オフサイドの解釈の誤りに原因があったのです。もし私が議論しなければ、彼は誤っているコトを知らずに審判の仕事を続けるところだったのです。これと同じコトが、Jリーグの監督が主審や副審に執拗な抗議をする理由があるのです。なぜならば、その審判の判定の瞬間に、その審議をしないと、審判諸氏も、誤審に対しての反省もなければ、同じようなケースで繰り返し誤審をするコトになるのでは、と考えられるのです。

先日ペルーのクラッシコの一つスポルティング・クリスタル(現在トップ)対ウニベルシターリオ・デ・デポルテ(La U)の試合をインターネットで観てましたら、試合は1−0でLa Uが勝っていましたが、La Uのペナルティエリア内で3回PKと思われるプレーがありました。その試合の主審は、最初は相手の脚を引っかけた、明らかなPKを取らず、2回目は相手を明らかに押し倒したのですが、偽装行為と取られイエローカード、3回目は相手の背後から胸を反らしてジャンプヘッド、相手は偽装行為のように前に倒れ、主審は大げさなジェスチャーでPKを取ったのです。

この主審の行為に元国際審判員で、現審判委員会委員長も「目くらでも見える」と皮肉ったコメントをしていたほど、最悪な判定を下したのでした。最初の2回が本物のPKで、3回目が、もしPKになるとしたら、CKやFKではヘッドでは守りようがなくなってしまうのでは、と思われるほどでした。

 それだけではありません。PKの仕方にも問題があったのです。クリスタルのキッカーは助走を3歩し、ボールを蹴るふりをして一旦止め、その瞬間GKは右側に飛び倒れたとき、インサイドで反対側にキックしてゴール。GKは直ぐ抗議したのですが受け
入れられず、試合の結果は1−1で終了。

 PKの仕方については、私が受講した指導者資格の講義で、FIFA審判のインストラクターから「PKの際、助走から途中止めてキックする行為は禁止されている」という説明と文書にも記されていたのに、その後に、それらしき行為がありながら、主審はゴールを認めているのはどういうコトなのだろうか?

 まだまだありますが、これらについては次回に話し合いたいと思います。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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2012年9月10日月曜日

対イラク戦を前にしたサムライブルー日本代表


こんにちは! 蜻蛉です。ロンドン五輪閉幕後、ご無沙汰しております。この間、日本開催のFIFA・W杯、女子U−20の試合と 新潟開催、キリン・チャレンジ・カッ プ、サムライブルー日本代表対アラブ首長国連邦(UAE)代表の試合をTVで観戦した り、私が母校慶応義塾大学ソッカー部現役時代だった頃の監督と選手の集いがあり、約半世紀ぶりに懐かしい面々に再会して感激、美酒を交わしながらサッカー談義で、楽しいひと時を過ごしました。



 さて、明日はFIFA・W杯ブラジル大会、アジア最終予選、日本対イラク戦が埼玉スタジアムで行われます。

きょうは、この試合に先立ち(9月6日)行われました日本対UAEの試合にて、サムライブルー日本代表に、いくつかの不安な点が見られましたので、そのコトについて話し合いたいと思います。

「ドーハの悲劇」を忘れてはいませんか? 今回の相手は、その悲劇を演出した当事国、“イラク”ですよ。イラク代表のジコ監督が元日本代表の監督だったせいか、そちらの方にスポットが当てられ、もう過去のコトだ、と話題にもなりません。

ブラジルが地元開催(1950年)W杯決勝でウルグアイに逆転負け、その後、その試合は今日まで、マラカナーソ(マラカナスタジアムでの大悲劇)と、語り継がれてきているのですよ。

これは一つのモチベーション(動機付け)になると思うのですが、相手はイラクなのに、ジコが日本のサッカーを完全に熟知しているからと、まるで日本対ジコが対戦するかのように、マスコミがジコの話題で、イラクへの矛先をかわしてしまっているかのようです。確かに、現在の日本にとって、イラクは強敵です。

同じ中東のUAEに1−0で勝利したものの、今回の日本の選手たちのコンディションは、どうヒイキ目に見ても良好とは言えません。

対UAE戦のスタメンはGK川嶋、DF(右から)酒井宏樹(酒井高広)、吉田、伊野波(水本)、駒野、MF(ボランチ)長谷部(細貝)、遠藤(高橋)、(アタッカー右から)清武、本田(中村)、香川(岡崎)、FW(ワントップ)ハーフナー(カッコ内は交代選手)でした。

次に日本代表の不安な問題点をいくつか挙げてみましょう。:

(1) DF内田、今野、栗原の3人が出場停止の穴が埋まらないコト。

(2) MFキャプテン長谷部の実戦(試合)感覚が不足しているコト。

(3) 香川と本田のポジションと機能が噛み合っていないコト。

(4) 左サイドバック長友がケガの状況次第で欠場するコト。

(5) チームとして、ストライカー的な決め手になる選手がいないコト。

(6) 組織力で動く日本サッカーの欠点は、チーム内のある選手の不調による虚から、自然崩壊する怖れがあるコト。

 右サイドバック内田のポジションに酒井宏樹が入りました。ロンドン五輪前の壮行試合から対ベネズエラとこの試合まで、彼のプレーを注目してきているのですが、昨年末のW杯クラブ選手権での柏レイソルの酒井宏樹とは比較にならないほど、すべての面で低下しています。特に守備の面での技術的な欠陥がみられます。その欠陥とは、彼の胴体の動き(丸めたり、反らしたり、伸ばしたり、縮めたり)が硬く、骨盤が、肋骨から離れず骨盤の周りの筋肉が膠着して、回転せず、そのため、腰から下腹部、腰から臀部にかけての筋肉がよく動かないし、そこに連動している腿も、思うように動かないのです。

逆の場合には楽に動かせるので、マークやタックルの動作における、体重移動も敏捷でスムーズにできる。キックも股関節が骨盤から分離して、正確でコントロールしやすくなります。(パスミスやケガの原因は以上のような問題があるからです)

 センターバックの吉田は今野とのコンビのように、伊野波と水本とは噛み合っていないようです。両者はポジションの取り方と詰めに甘さがあるようです。

 MFの長谷部はドイツのクラブでの長い間の欠場が影響してか、試合の感覚を取り戻していないようです。プレーの判断や動作にズレが見られ、以前のような活躍を期待するのはむずかしそうです。目先を換えて他の選手の投入も考えられそうです。 

ザッケローニ監督はトップ下に本田を置くコトを固守しているようですが、これまでの試合を観てきて、香川が欧州で活躍しているような冴えが見られないのは、どうしてなのでしょうか? 両選手とも素晴らしいのですが、私の考えでは、本田の利き足が左、香川は両足という点で、香川を中に、本田を左に位置させた方がよいのでは、と私は見ています。ポジションチェンジで香川が中に位置するコトもありますが、本田に対して、日本人的な遠慮が見られます。ペルーでも香川のドルトムンドでの試合をかなり多く観ていますが、彼の上手さは彼が軸になって、周りを動かし、瞬間的にリズムを変えてスペースをつくり、味方を活かしたり、自分自身が活きる、知的な駆け引きをするプレーが彼の素晴らしさなのです。左サイドではその特性を活かせず、しかも中に本田がいるコトで、制限されているようです。

どちらにせよ、ポジションや使命は監督が決めるコトなので、あくまでも、こういう見方もあるよ、というコトです。

長友の出場は欠かせません。もし欠場となれば駒野か酒井高弘が入り、右サイドは酒井宏樹か駒野となり、どうしても守備の面で不安を抱えるコトになります。

守備の不安に加え、前哨戦2試合で2点というのも不安材料です。ストライカー不足は短期に解決できるコトではありません。本田、香川の他、岡崎、前田、藤本、ハーフナーといますが、岡崎にもう少し本田のような性格があれば、ストライカーになれる可能性が一番近いのですが、どうでしょうか?

最後に、日本サッカーの組織力と機動力はセールスポイントですが、11人の中で何人かがブレーキになってチーム内に虚ができれば、そこから崩れてしまう怖れもあります。特に、ディフェンス面での両サイドバックの裏やセンターをドリブルで突かれた場合に、連携ミスを誘発する危険があるコト、セットプレーでのチョッとした虚を突かれるのを防止するためにも、集中するコトとコントロールするコトは、守備においては欠かせません。一つのミスがお互いの信頼感を失い、その後、次々と連鎖反応のようにタイミングがズレて、自滅してしまう、というケースもあるのです。

ジコ監督にしても、対日本は複雑な心境であるはずですが、百戦錬磨のプロです。彼はイラクが勝つコトしか考えていないはずです。社交辞令で敵視するような発言はしてませんが、相手はイタリア人の監督ですから、そんな意識はないと思います。 

ジコの兄さんのエドゥーアシスタントコーチはペルーのクラブチームの監督をしてい
たとき、偶然同じ車に乗って話し合ったコトがあります。彼も鹿島アントラーズで監
督していましたので、日本のサッカーや選手をよく知っているコトから、明日の試合
は、ホームであっても勝つコトは容易ではないと予想しています。

そうならないよう、しっかり応援しましょう。

「がんばれサムライブルー日本!」

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ