
こんにちは! 蜻蛉です。大相撲秋場所の千秋楽、優勝を決める結びの一番の、横綱白鵬と大関日馬富士の決戦は、息が止まるほど迫力のある、素晴らしい大相撲でし た。勝った日馬富士が土俵に自分の額を当て感謝(全勝優勝と横綱昇進)している姿が印象的でした。白鵬の負けっぷり(全力を尽くしての負け)も良かったですね。 サッカーもあのような試合をすれば、間違いなく発展するでしょう。
さてきょうは、前回と同じテーマについて話し合いたいと思います。サッカーの監督が主審や副審に抗議するのは、その場で起こったコトだからこそ、その場で審判諸 氏に反省を促し、再度同じ過ちをおかさないでもらいたい、という意味の願いも込められているのです。
確かにサッカーのルールでは、抗議する行為は許されていませんから、監督や選手たちが抗議するのもルール違反の行為です。その鉄のカーテン(審判と監督の間にあ る)によって不満を伝えられない、ひとつのジレンマがあるのです。それらがストレスとなり、繰り返し起こるコトにより、次第に鬱積し、あるときにそれらが爆 発し、暴言や暴行に向かわせているようです。
サッカー競技の根源は押し合いへし合いの闘争ゲームです。それを上手にコントロールするのが審判諸氏の使命です。上手にというコトはルールに従うだけでなく、選 手たちの心理も臨機応変にコントロールするコトも役割であるはずです。そのためには、両チームの選手たちから、審判は「公平」である、という信頼を得るコト、その ためには、できるだけ「誤審をなくす」というコトが大前提でなければ、選手からの信頼は得られないし、「安全」の保証がないコトになります。
Jリーグの試合を観戦してましても、審判諸氏の判断ミスと思われる場面がかなり多くみられます。その際に、選手から抗議されると、主審が口を動かして、選手に説 明?している姿であるかのように見えます。
たとえば、PKで、キックの前にペナルティエリアの中に侵入しないように注意したり、CKやFKで、キックの前、相互の選手同士が、押し合い掴み合いしている と、近づいて注意したりしています。プロの試合で、これらの注意は必要でしょうか?
おそらく審判のインストラクターの教えに従ってやっているのであろうか、と思われます。前もっていちいち注意する必要があるのでしょうか? 疑問を感じます。
注意しても、実際には注意された行為と同じコトをしても、主審は見逃しているのが現状なのです。
PKにしても、ゴールを決めても、攻撃側の選手が蹴る前に侵入していたら、ゴールを取り消し、やり直しさせなければならないルールのはずです。残念ながら、その ルールを適用する主審もあればしない主審もいるのです。
U-20 の「ヤングなでしこ」の選手が、最初の2試合で、スローインの反則をとられていました。おそらく国内の試合で、同じような行為をしても反則を取られない からだ、と思われます。Jリーグの選手でも、上体を前かがみにし、首も前にさげて、ボールの位置も前ぎみで両手で、チョコッと投げている選手がいるのには驚きまし た。CKでも線審がいないと、線の外にボールを置いて蹴る選手もいます。
これらは主審がキチッと判定すれば、いちいち説明する必要はない、と私は思います。FKにしてもCKにしても、主審がテキパキと行動すれば、速やかにゲームの流れ を止めずに進行できるはずですが、審判が一息入れるため?、ノソノソと行動しているようにも思われます。
結論的なコトは言えませんが、問題は審判側にもあるようです。
ペルーの元国際審判員でW杯、南米クラブ選手権決勝、Jリーグ等で笛を吹いた経験のある、アルベルト・テハダ氏に、
「正確な判定をするために、進んだ最新式の機器を導入するコトは良いのですが、本番の試合に応用するのは好ましくない、と思うのですが、審判諸氏の技術向上のため のトレーニング用にはどうしても必要だ、と私は思いますが、どうでしょうか?」
という提案をしたコトがあります。テハダ氏は本番の試合に機器を使うコトは反対でしたが、審判のトレーニング用に使うというコトは、その時点で考えていなかったよ うで返事はもらえませんでした。
ペルーの審判のトレーニングでは、インストラクターの講座と体力トレーニングを熱心にやっているのを、よく見ていましたが、肝腎のサッカーの試合を観ながら研 究する時間が少ないようにも感じました。
私自身コーチの資格をとるため、サッカーをいろいろな角度から観るコト(ストリートサッカーからプロのサッカー、国内と国外の試合、他のスポーツ等を、直接観 戦したり、TV観戦、ビデオ観戦等)で、鑑賞力を向上させようと計ってきました。
その中で浮かんだルールに関するアイデアの一つに、レッドやイエローカードの他に、青かグリーンカードを新たに採用する案を10年以上前にノートに記載していま した。
つい最近インターネットの情報で、ドイツで、現在のイエローカードが、悪質なプレーとゴールした後ユニフォームを脱いだ選手も同じ(重い刑と軽い刑が一緒)である のは「不公平」であるという理由で、次のような提案が記載されていました。
軽い刑にはグリーンカードを出し、一定の時間場外にて待機させるコトでその刑は継続させない。しかし同じ過ちを犯せば、イエローまたはレッドのカードを出す。とい う内容の案でした。
この案を見て私は驚きました。このアイデアは私のとまったく同じだったのです。
選手の中には、次の試合(ペルーの場合、高地での試合など)に出場したくない場合、ゴールを決め意識的にユニフォームを脱いで出場停止を狙う者もいるのです。
この行為は、いつになっても世界中で繰り返されているのに、ルール化している意味がどこにあるのでしょうか?試合後ユニフォームの交換で脱いだり、ロンドン五 輪で「独島(トクト)」の抗議文のプラカードを掲げた選手は、裸であったのに、制裁はなかった、というコトはどういう意味なのでしょうか?
というコトは、ルールそのモノがゲームの主人公である選手側の意見がまったく入れられていないで、審判側の法的な見方で、決められている、というコトに問題の焦 点が絞られそうです。
W杯の予選の試合で、ペルーの選手がゴールした後、ユニフォームを捲り上げて、アンダーシャツに書かれた「Te Amo Perú(ペルーを愛している)」を観 衆の前に表示し、観衆が絶叫している姿がありました。それなのに、イエローカードが出されるのは、何か不自然な感じがします。この試合の後、店頭や街路でこの言 葉の入った文字のシャツが爆発的に売れたのです。これは一種のパフォーマンスです。五輪で国旗を肩にかけているのと変わりないと思うのですが、どうでしょうか?
おそらく審判以外で、反対する人はいないのでは、と思いますがどうでしょう。
なんとなく民法的な考えで、サッカーのルールを変更したり改正しているように思えてならないのです。民法でも法で縛りまくり、民間人が理解できない裁定がありま すように、スポーツ界のルールもその延長線上にあるのではないでしょうか?
これらは私のつぶやきです。
グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ
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