Japan Soccer 50年

2013年2月25日月曜日

ゼロックススーパー杯広島対柏戦を観戦して

Back in action: Saturday's Xerox Super Cup gives Sanfrecce Hiroshima manager Hajime Moriyasu (far left) and his Kashiwa Reysol counterpart Nelsinho (far right) a chance to see their teams in action before the 2013 J. League  season officially begins.こんにちは! 蜻蛉です。 Jリーグが1993年に誕生し今年で20歳。その間、FIFA・W杯開催とW杯出場4回、そして5回目も目前。欧州のビッグクラブで活躍する選手も現れました。日本サッカー界はこの20年間素晴らしい実績を挙げてきております。おめでとうございます。

Jリーグ百年構想の1/5、日本サッカー界はまだまだやらねばならないことが沢山あるはずです。例えば、日本サッカーのレベルを上げるには、選手の能力アップと同様、サッカー界の一人ひとり(サポーターやファンの方々)の支援と能力向上も不可欠です。

来年は新たに、J3リーグが誕生しそうですね。Jリーグが益々繁栄しますよう祈っております。

さてきょうは、一昨日(23日)国立にて、広島サンフレッチェ(J1リーグ優勝)対柏レイソル(天皇杯優勝)による、ゼロックススーパー杯の試合が行われましたので、その試合のコトと特に優勝した広島の森安一監督のコトについて話し合いたいと思います。

試合の結果は1−0で広島が柏に勝って優勝しました。両チームのスタメンはつぎの通り。

広島:GK西川、DF塩谷、千葉、水本、MF青山、森崎和、石川、森崎浩、高萩、清水、FW佐藤。

柏 :GK菅野、DF鈴木、近藤、増島、MF大谷、茨田、キム、L・ドミンゲス、ワグネル、FWクレオ、工藤。

広島交代:佐藤(石原)山岸(石川)。 柏交代:栗沢(茨田)、田中(クレオ)、山中(ワグネル)。

 両チームは今シーズン、リーグ戦と、アジアチャンピオンリーグ(ACL)に備え、強化合宿で、特にフィジカル面に重点を置いたせいか、初の公式戦でしかも昨年度のチャンピオン同士のタイトルマッチということもあって、前半の25分は中盤での硬さの取れない攻防戦で、得点に絡みそうな動きもチャンスもなかった。

 前半28分、ボランチ青山が左サイドからゴール前へクロス、相手の足を掠め、サイドバックの水本がジャンプヘッドで後方に流し、ゴール正面に位置していたエースの佐藤が左足のジャンプボレーキックで強烈なシュート、ボールはゴール右上の隅に吸い込まれ、広島が先制点を決めました。その後も、調子に乗った広島は再三再四柏ゴールにシュートしたが決まらず前半終了。

 前半の広島は、DF陣を固める柏に対して、無理して攻撃に出ず、3バックの塩谷、千葉、森崎和(水本は左サイドのMF)が落ち着いてボールをキープ。その間、MFと交えてパスを繋ぎながら、時折柏DF陣を誘き出すくさびのパスを入れ、ゲームの主導権を握っていた。

 一方の柏は、ツートップのクレオ(新加入)と工藤には、広島の3バックがしっかりとコントロールして、チャンスを与えず、また、ゲームメーカー、レアンドロとワグネルに対しても、MFが絶えずプレッシャーをかけて、好機をあたえなかった。

 後半に入っても、広島は9分と11分と佐藤が立て続けでシュート、ゴールかと思われたが、柏GKの手を掠め得点にはならなかった。このとき佐藤はGK菅野と接触して脚を痛め、14分に石原と交代。エースの抜けた広島に対して、柏がようやく攻撃リズムが出始め、後半17分ゴール正面でFKの得点チャンスがあり、レアンドロがゴール左隅にシュート。広島GK西川がゴールポストにぶつかりながらかろうじて右手でボール弾き出した。20分には、レアンドロの右サイドからのFKを増島がジャンピングヘッド、ボールはクロスバーに当たり外へ。その後も、柏は攻め込みましたが、広島はゴール前を固め(双方に得点チャンスはあったが)そのまま逃げ切り、タイトルを獲得しました。

 この試合の柏は、先日のJ2の千葉との「千葉杯」にて、3−0で完封された試合と比較して、多少調子は上がっていましたが、新加入の選手との連携がまだ取れていないためか、柏の良さが出ないで負けてしまったようです。フォーメーションも昨年の4バックから3バックになり、新加入の鈴木が右で、昨年右だった増島が左にポジションを変更、近藤も鈴木も主審に抗議(調子が良くない証拠)するなどで、まだ互いに呼吸が合ってないように感じました。

 広島は昨年末のクラブW杯でのDF陣のミスとMFの動きが足りないことを、私は指摘しましたが、この試合でのDF陣のミスは後半ゴール前で反則し相手にFKを与えただけで、致命的なミスはなかったように思う。問題のMF高萩、森崎浩、青山は攻守に良く動いてチームに貢献していた。あの得点したときの選手のポジションを見れば、選手がいかに流動的なポジションチェンジをしていたかが分かる。右サイドのボランチ青山が左サイドからクロス。左サイドバック水本がペナルティーエリアのラインに位置。佐藤が水本と同じラインでゴール正面に位置。というように、相手に意表を突くポジションチェンジで得点を決めたわけです。

 広島の選手一人一人が萎縮せず伸び伸びとリラックスして、しかも考えてプレーしているのには、感心しました。これだけ選手の個性を引き出せるには、やはり監督の手腕があってできるコト。就任1年目でJ1優勝、そして今回のスーパー杯優勝に導いた広島の森安一(もりやす・はじめ)監督の功績は大である。

 前にこのブログで彼の現役選手時代のことを記載しましたがここでもう1度取り上げてみようと思います。

 

『森安日本一監督は未来の日本代表監督になる才能あり』

 森安一選手は長崎県生まれで、高校時代は国見や島原商のような有名校出身ではなく、東洋工業の子会社に入社。幸運にも、オフト(オランダ)がコーチで、彼の才能を発見。オフトが日本代表の監督に就任して、当時まったく無名の森安を代表候補の合宿に召集。アルゼンチン代表との親善試合に先発でMFボランチ(守備型MFで、ポルトガル語の舵取りの意)として初出場。試合後のインタビューで、当時のスター、カニージャの「日本の選手で一番やり難かったのは16番(森安)だった。自分が入りたいと思って動くと彼が立っていたんだ」という言葉に記者団は驚き、アッという間に森安の名とボランチという用語が世間に広まったのです。  

テレビカメラで森安のプレーを捕らえようとしても、相手からボールを奪ったら、直ぐに味方にパスしてしまうため、「森安とボールを同時にキャッチした像が画面に現れない」とテレビ関係者を悩ませていたのです。

 その森安が広島の監督就任1年目で、過去1度もリーグ戦えタイトルを獲得したことのない広島をチャンピオンに導いたのは、彼の選手時代に日本代表初招集の1回のチャンスで結果を出した強運を見逃すわけにはいかない。

近い将来、森安は日本代表の監督になれるだけの才能があると、蜻蛉の目はそう見ています。そのわけは、森安監督がベンチやコーチングボックスに立っている姿勢、彼の眼の輝き、そしてオーラを感じさせているコト。それに、彼の広い視野、深い洞察力、旺盛な行動力、即興性がそのまま選手のプレーになって現れているコト。そのうえ感情の起伏が少なく、リラックスした冷静さは監督としての資質は十分備えている。もちろんサッカーの戦術、技術、体力等の知識もあり、センスも感じられる。監督のゆとりが選手に反映して、選手のプレーも遊びがあって、見ていても安心してみていられる。クラブW杯では「リラックス」さが、「気抜け」になったプレーが見ら
れましたが、この試合では、あの悪い癖は修正されていました。

 その意味からも、今後、森安監督の采配と動向に注目する価値があると、蜻蛉は期待しています。
 
 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月22日金曜日

日本柔道界の暴力問題について


こんにちは! 蜻蛉です。 イングランドの名門マンチェスターUで活躍している香川真司選手が、日本サッカー史上初めて、世界サッカー界の最高峰とも言える大舞台(欧州CL決勝トーナメント1回戦スペインの名門Rマドリード対マンU戦―ベルナべウスタジアム)、にて、出場しましたね。素晴らしい出来事ですし、日本サッカー界にとっても大変喜ばしい出来事です。我々サッカーマンにはユメの夢ですからね。現役サッカー選手たちにも、夢でなく、可能性が現れてきたようですね。

一方では、日本代表対ラトビア戦の批評をこのブログにて、本田圭佑(OSKAモスクワ)の膝のことを記載しましたが、以前右膝の手術をしたバルセロナの医師に検診してもらうため、スペインに滞在、というニュースがありました。膝は脚腰を駆使するサッカー選手にとって重要で、しかも大変デリケートな部位です。大事に至らなければと、祈っております。

さてきょうは、サッカーの話題でなく、スポーツ界の暴力問題について話し合いたいと思います。このブログで、昨年の4/7と5/2に『歴史的な観点から覗く日本人の緊張感』に掲載しましたが、今回の問題の根源もこれらと関連しているのではないだろうか、というコトで再度取り上げました。

2月5日、下村博文文部科学相は柔道女子日本代表での指導者による暴力問題を「日本のスポーツ史上最大の危機」として、暴力の根絶を呼びかける異例のメッセージを発表しました。

競技団体ごとの通報窓口設置やトラブルの相談を受け付ける第三者機関の新設も求めた。このメッセージは「スポーツ指導から暴力を一掃するという基本原則に立ち戻り、スポーツ界を挙げて取り組む必要がある」と強調。指導者養成の在り方を改善する必要があるとした。柔道以外についても暴力行為がなかったか実態調査を進めるよう要請した。改革とは、外部有識者による第三者委員会の設置、女子支援体制の強化、女性理事登用、女性監督起用等々。

今回の暴力問題を歴史的に、明治維新後に遡って、考えてみましょう。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せ
よ」

明治維新後、山縣有朋(やまがたありとも)の主唱によって、明治6年に国民皆兵を標榜する徴兵制が導入されました。このとき山縣の念頭にあった近代兵制のキーワードは「統制」でした。これは2つのコトを意味しています。1つは明治政府の指揮に従おうとしない各藩の士族兵を「統御する」コト、第2には、これまで武装したことのない農民や商人ら平民の身体を軍事的に「標準化する」コトです。つまり農民の身体を「標準化する」ことをもって、中央権力に服さない士族兵の身体を「統御する」という2つの水準での「身体の統制」を山縣有朋は企てていたのです。

この軍事的身体加工の「成功」(西南戦争の勝利)をふまえて近代日本は「体操」の導入に進みます。明治19年、文部大臣森有礼(ありのり)は軍隊で行われていた「兵式体操」を学校教育現場に導入します。生徒たちの身体の統制が「道徳の向上」と「近代的な国家体制の完成」に不可欠のものであることを森はただしく看取していたのです。国家主導による体操の普及のねらいはもちろん単なる国民の健康増進や体力の向上ではありません。そうではなくて、それはなによりも「操作可能な身体」、「従順な身体」を造型することでした。

身体を標的する政治技術がめざしているのは、単に身体だけを支配下に置くことではありません。身体の支配を通じて、精神を支配するコトこそこの政治技術の最終目的です。この技術の要諦は、強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されているものが「統御されている」というコトを感知しないで、自ら進んで、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲望に駆り立てられて、従順なる「臣民」として権力の網目の中に自己登録するように仕向けることにあります。

(スポーツはこのような傾向があるようです)

政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、権力は必ず「身体」を標的にします。いかなる政治権力も人間の「精神」にいきなり触れて、意識過程をいじくりまわすことはできません。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せよ」です。

(内田樹著『寝ながら学べる構造主義』文春新書より)

柔道女子日本代表候補選手15名による告発は、「耐えがたき監督、コーチの暴力行為と暴言」とのコトですが、実際に暴力があったのでしょうか。暴行を受けた女性が身体にある障害があったのでしょうか。もし障害があったとしたら、障害事件にまで発展するはずです。まして、15名の告発者の名が公表されず、匿名のままで監督、コーチに、あっさりと辞任させるというのも、何か曖昧さを感じさせます。  

確かに女性たちは苦痛をうけたのでしょうが、スポーツの世界では、大なり小なり万人が経験するものですが、あらゆる社会あらゆる時代において同じ強度で、同じ仕方で、同じ痛みとして経験されるわけではありません。「現に、苦痛が耐えきれなくなる閾値(いきち)には個人差があるだけでなく、その個人がどのような文化的なバックグラウンドを有しているかによっても異なることも知られている」

身体的苦痛のような物理的・生理的経験でさえ、歴史的あるいは文化的な条件付けによってまったく別のモノとなります。何を苦痛と感じ、何を苦痛と感じないか、という「苦痛の閾値」はその人がどういう文化的なネットワークの中に位置しているかによって変化します。

それを逆から言えば、明治維新後のように、身体を文化的な統制、あるいは政治的な技術によって造型し直し、変容し、馴致(じゅんち)することだってできるわけです。

大阪の高校教師による暴力的な行為によってバスケットボール部の主将が自殺したように、似たようなケースが起こっていながら、発覚するまで何の手を打たなかった文部科学省にも問題がありそうです。 

昨夜TVで見た全日本高校女子チアガールリーダース(集団組み体操)にしても、優勝するために危険な難度の技を強いる指導者、落下して首の頚椎を痛めて見学している者、何度も高いところから落下して下の者に支えられている者、それらを離れて全体が見える位置に立って強要している指導者の姿があった。見ていて、チョッとの不注意で重症または死に至る大技を、アシスタントコーチなしでできるのであろうか、もし犠牲者が出れば、誰が責任をとるのか? 誰かを制裁するコトですむだろうか? 

名門校にはこの傾向があるようです。それらの演技を観戦する側からすれば、「素晴らしい」と賛美しますが、もし誰かが犠牲になったとたん指導者は目の敵にされるのではと、そう考えるだけでも、今回の問題に対応した文部科学相の「柔道の指導者の行為を一方的に暴力と決め付けた」姿勢に、私ははなはだ疑問を感じています。また、挨拶やマナーも指導できない全日本柔道連盟に対しても同様です。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月16日土曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (5) 最終回


こんにちは! 蜻蛉です。 レスリングが五輪種目から外されそうだ、というニュースには驚かされました。また、グアム島での通り魔無差別殺傷事件にも驚かされました。いつ何が起こるかわからないのが現代社会、恐ろしい世の中になりましたね。

 さて、不吉な話題はこれまでにして、きょうは、雑誌『サッカー批評』を読んで感じた、私の感想を述べてみようと思います。

 この雑誌に記載されていた欧州遠征でフランス、ブラジルという強豪と対戦した日本代表の批評に関して、これまで4回このブログで取り上げてきました。この他に、フリーランスの西部謙司氏のよる、「無謀な挑戦」の光明、愚かな戦いを挑んで見えた攻撃の完成度。元川(実川?)悦子氏による「ブラジルまでの次なる航路」日本代表選手の証言から紐解く指標、羽中田昌氏(サッカー指導者、解説者)、三浦俊也(サッカー指導者)、里内猛氏(フィジカルコーチ)、飯尾篤史氏(サッカーライター)の4氏による誌上討論、[検証]ザッケローニの手腕とマネージメント、欧州遠征、本田ワントップ、ポゼッション傾倒への弊害等々も記載されていますが、それらのいくつかをピックアップしながら、蜻蛉の見解を述べることにします。

 この雑誌の批評にもありますように、皆さんはそれぞれの立場から、日本代表の欧州遠征での2戦についてはよく分析されているのには感心しましたし、また、日本代表の長所も短所も皆さんはよく把握されているようです。

この表題にあります「日本人の完璧主義」という意味は、日本人がということではなくて、日本人のスケールでの、というコトです。本来の「完璧」でいう、完全で欠点がないことや完全無欠という意味ではありません。別の言い方でいいますと、「日本人流の完璧主義」です。

 西部氏は「日本代表は非常に意義のある経験を積めたと思う。特にブラジル戦は、考えられないほど勇敢に、別の言い方をすれば無謀な挑戦をしていたのには驚かされた」「手応えを得られたのは攻撃だ」「あえて無謀な守備に挑戦したのは、ボールをつなぎ相手を押し込むゲームをやろうとしたからだ。日本のパスはつながり、チャンスも作れた」「日本があそこまで無謀なプランで臨まなければ、もっと僅差の試合になっていただろう。日本は最高のブラジルを引き出す戦い方を選択した。これほど野心的な、蛮勇の日本は初めてではないだろうか。皮肉ではなく、感心した」と述べています。

 それに筆者は、「ブラジル戦の“実験”は必要なデータをとれたという意味では有意義だった。ざっとあげても、かなりチェックポイント(略)が明確になった。ブラジル相手に、ああいう仕掛け方をしなければ、わからなかったこともあったと思う。一方、フランス戦のほうは不完全燃焼の試合だった」とも述べています。

 「ブラジルのセンターバックがまずスペースを消すことを優先し、中盤に引く本田や香川に食らいつかなかったのに対し、今野や吉田はネイマールやカカにぴったり食らいついていった。ブラジルに対して、決してあのように守ってはいけない」と筆者はつけ加えています。

 このような見方ををしているジャーナリストに敬意を表します。日本代表に対して、好意的な批評をされていますし、よく観察されています。

 私は、指導者としての立場から、あえて別の見方について述べてみたいと思います。

 正直なところ私は、ペルーから一時帰国して以来、日本代表の試合を観戦してきまして、イタリアから招聘したザッケローニ監督のコンセプトや采配に一貫性がないのには不満(このブログでは時々褒めてはいますが)を感じています。アジア選手権やW杯アジア予選では結果を出して実績をあげていますが、監督の力なのか、選手たちの力なのか、明確に現れていないからです。

 前監督の岡田武史監督やイビチャ・オシム監督のコンセプトと現在のチームと一致する面があるのですが、ザック監督のコンセプトが何なのか、まだよく伝わってこないからです。

 ブラジル戦に対して、勝つために「無謀な挑戦」なのか、己のレベルを知るための実験的「無謀な挑戦」をしたのか?何の目的で、あえて無謀な挑戦をしなければならなかったのか? 西部氏の言うような今後の課題を抽出するためだったのでしょうか。また、一流の指導者が結果(勝利)を無視した「無謀な作戦」を立てるでしょうか? 

 西部氏が指摘した日本とブラジルの両センターバックの守備の位置とマークの仕方を見れば、両国の差がはっきりと表れています。ブラジルのサッカーは相手に食らえつくようなマークはしません。ブラジルの両バックがラインを下げたのは、日本の攻撃戦術と個人戦術を距離を置いて(視野を広げるため)観察することと、DFラインを予め他の選手たちに示す意味もあるのです。日本のアタッカーが攻め込んでくるのは計算済みでやっているのです。ところが日本側から覗くと、パスはつながり、チャンスが作れたと見ているわけです。その間に日本の攻撃陣は裸にされているのに気がつかないで、押し込もうとしていたわけで、ブラジルの思うツボにかかって、カウンターで仕留められていたのです。

 「戦術」とは、要約すれば「駆け引き」です。読んで字のごとく、攻め込むだけでなく、引くことも戦術なのに、日本は攻め込みぱなしで、引くことをしなかった。

 ブラジルとは反対に日本のセンターバックは技術もスピードもある選手に食らえついてしまいカウンターを許してしまった。

 最初の15分で、ブラジルは日本の攻めを完全に把握したのに対し、日本はブラジルの攻めを確認できずに振り回されてしまったわけです。無謀どころか愚かとしかいえません。

 日米開戦での神風特攻隊と艦隊を彷彿させるような戦いをさせる戦略家をわざわざ外国から招聘したのでしょうか? それを褒めているジャーナリストの評価には、??? ブラジル戦で、「決してあのように守ってはいけない」と言いながら、一方では褒めたのは、フランス戦で不完全燃焼でも勝ったから、その褒美もあるようです。

 日本が世界と伍して戦うための最も重要な課題は守備面をもっと強化して、強固なDF陣を構築することであるはず、その裏づけなしに、本田と香川に期待しても、W杯のグループリーグ戦で敗退するのが落ち。長谷部と遠藤のボランチもセンターバックのバックアップがなければ機能しないし、ボランチが機能しなければ攻撃にも守備にも中途半端で、ゴールには結びつかない。絶えず不安定。

 その点から考えると、対フランス戦をもっと真剣に見直さなければならないはずです。勝って不燃焼で済ましてはダメ、逆に、あのようにフランスに攻め込まれても、なぜ日本が勝てたのか?、それに、無得点で抑えることができたのか? ただ単に相手のミスシュートに助けられたからで片付けてしまっては、何のために戦ったのかが意味をなくなすことになる。実にもったいない。なでしこジャパンもロンドン五輪にてフランスに猛攻を受けても勝ったではないですか。あのような試合こそ日本の長所を見つけるべきだったのではないでしょうか。そういうひとつひとつの(見えない部分)の良さを、理詰めにしていけば、日本代表はもっと向上していくと思います。

 スペイン代表やバルサのサッカーの華やかな攻撃の部分を見つめるだけでなく、それを支えている守備陣の動向に焦点を当てることが、日本サッカーにとってもっとも大事なコトだと思います。

 最後に、日本代表の完璧主義は、ある大会に挑む前、入念な計画を立て、しかも細部にわたって緻密に検討し実行します。ですから、その照準を最初の試合に当てることで、幸先のよい結果を出すことに集中することになります、そこで失敗すると崩れてしまうか、運良く決勝トーナメントに進出しても、それまでしか準備していないため、その威力が落ちてしまう、という筋書きになってしまうのです。

大雑把な計画で、試合ごとに編み上げていく、という発想ができないところに、日本サッカーはもう一歩というところで前進できないように思われます。これはサッカーだけではありません。

 以上で雑誌の批評について閉じることにします。

 

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月10日日曜日

サムライブルーVS ラトビア戦を観戦して

こんにちは! 蜻蛉です。 柔道女子日本代表での暴力問題を「日本のスポーツ史上最大の危機」として、下村文部科学相が、暴力の根絶を呼び掛けるメッセージを発表しました。何か突然降って湧いたような問題ですが、このブログで『歴史的な観点から覗く日本人の緊張感』(昨年4月27日と5月2日)という題で私が記載したコトと、今回の問題と関係がありそうなので、後日この問題について取り上げてみようかなと思っています。

 さてきょうは、サッカーの雑誌については一時中断して、今月6日に行われましたキリンチャレンジカップ、日本代表対ラトビア代表戦(ホームススタジアム神戸)について話し合いたいと思います。

 結果は3−0で日本が楽勝?しました。正直なところ対戦相手のラトビアのレベルが低過ぎて日本の勝利を素直には喜べませんでした。しかし、過去のチャレンジカップと比較して、ザッケローニ監督の采配に(プラスの意味で)変化が表れたように感じました。

 日本のスタメンは、GK川島DF(右から)内田、吉田、今野、長友、MF(ボランチ)長谷部、細貝、(アタッカー右から)清武、本田、香川、FW(ワントップ)岡崎。

 このスタメンに、ボランチに細貝、トップに岡崎を据えたコトで、変化が表れています。それに、トップ下の本田のポジションのとり方にも変化が表れていました。

 細貝は途中から交代してプレーするのとスタートからプレーするのとは違和感があったはずです。これは実際に体験しなければ分からない部分があるのです。というコトは、やらない間は意識がその部分に向けられないという問題があるのです。

 スタートの場合は、本人の使命と味方との連携、それに対戦相手を知らない、という未知の部分があるわけです。それに味方の攻守と相手の攻守も同時に考慮して本人自身の個人戦術も調整し、それを短時間のうちに状況をキャッチして対応できるようにしなければならないのです。特にボランチの機能と資質は「察知能力」が要求されます。つまり相手が何をしたいのかを感じる能力があれば、場面に応じて適切な対応ができるというコトです。このコトは前回のブログにても記載しています。

途中交代で入る場合は、これらが既に見えている状況で、しかも本人の使命もあらかじめ分かった状態でプレーできるので機能しやすいのです。交代選手の難しさは、コンディショニングの調整とリズムですが、あるときには試合の結果を出さねばならない重要な使命もあるわけです。

予想通り細貝は戸惑いがあったようで、それが前半1−0という結果(苦戦)にも多少表れていたようです。だからといって、細貝はダメなのか? ダメどころか細貝個人にとっても日本代表にとっても必ず利益になる、と蜻蛉の目はそう観測しています。

岡崎のワントップも、前に私がこのブログで述べています。彼自身に「泥臭さ」を要求していたのですが、先日の彼の談話にてこの言葉がありました。というコトは、彼自身が「きれいにシュートして得点する」イメージから、「ポジショニングのとり方と瞬間のタイミングで得点する」イメージに切り替えたと思われます。

ゴール前で「こぼれ球でも押し込んでやるぞ!」という泥臭さのあるプレーを意識した結果が、内田からのシュートのようなパスを、相手DFの後方に立っていながら、一瞬先に出て、足先でボールを掠めて決めた前半最初の得点です。後半、前田が清武に代わってトップに入り、岡崎は清武のポジションに替わったけれど、最初の得点のゆとりとワントップの体験が、香川からのゴール正面へのパスを岡崎はサイドから相手DFラインの裏をつき、そのボールを受けて、GKを余裕を持って交わして決めたのが、日本の3点目でした。ザック監督になって初めての試みが結果を出したわけです。

 日本は前半、本田がトップ下でありながら、トップの岡崎と離れてボランチの長谷部に近い位置でプレーしていたようです。その空いたスペースに香川が積極的に左サイドからドリブルで持ち込み清武や岡崎が相手DFの裏を突こうと試みていたようで、ブラジル戦で左サイド寄りでパス攻撃を仕掛けていたのをゴールに近い中央ですれば、直接シュートするチャンスと相手にプレッシャーをかけるコトになる。

 この体制でいけば、香川もトップ下の機能が発揮でき、岡崎や清武も裏に飛び込め、しかもキープ力とシュート力のある本田が広い視野で、しかもノーマークでプレーできると計算していたように感じました。それが前半の23分の本田のミドルシュートや岡崎と清武が相手DFの裏をつく動き(オフサイドになったが)が再三見られました。

ザック監督はサイドハーフが早い段階で中に入るコト(香川のようなプレー)を嫌っていたようです。その理由は、ボールを奪われたときに外のスペースが空いてしまうコトと、相手のサイドバックの攻撃参加を許してしまうコトのようです。この試合の場合は、本田が香川の後方に構え、長谷部と細貝が攻撃のサポートしていたので、ボールを中央で奪われても直ぐにカバーできる体制ができており、ブラジル戦のように攻撃のために守備体制が崩れる心配は少なくて済むはずです。

 後半、ボランチの細貝に代え遠藤が入り、中央の攻撃スペースが広がり、14分香川は左サイドから縦にドリブルで持ち込み、ゴール正面に飛び込んできた本田にパス、本田は間髪入れず左足でシュートして、日本の2点目を決めたのも、前半の布石が功を制したと思われます。この日の本田は体力的に精彩を欠いてミスプレーが多かった。彼の歩き方を見ていると、正常ではないように感じました。歩くごとに肩が上下に傾いていたので、以前膝の手術をした部位に、異常があるのではないかと心配されます。大事にならなければよいのですが。

 試合の結果は3−0でしたが、日本代表が早急に解決しなければならない守備の課題が、この試合にて試すことができなかったのは残念。そのかわりに、攻撃面では、メンバーと攻撃方法をチョッと変えただけで、良い面で変化が表れたようです。

 個人的には、清武の1点目に絡んだ粘りのあるプレー(無理な体勢でもボールを奪われず長谷部にパス)。前出の岡崎のプレー。岡崎と交代して初登場した大津の3人を相手にコーナーキックまで持ち込んだ粘りのあるプレー。乾の軽快な動きと6本もシュートしたプレー。内田と交代した酒井高徳の積極果敢なプレー。ロンドンオリンピック代表の若手が動き出したコトは、サムライブルーにとって、この試合は利益をあげたと言えそうです。

ザックジャパンの組織力を向上させるには、個々の力をさらに向上させていかねばなりません。しかし、代表の合宿練習や試合だけでは個々の向上は限度があります。個々の力を上げるには、個々の選手が所属するクラブで実績をあげていくコトが最も望まれます。その力を代表のために貢献すれば解決できるのではないでしょうか。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月4日月曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (4)

こんにちは! 蜻蛉です。アッという間に2月、早いですね。残念なことに、日本のお家芸であるはずの柔道界の指導者の暴力行為が、クローズアップされています。

私はこのブログで、柔道の礼儀と礼節が守られていないコトと、柔道の本来の「らしさ」が失われているコトを指摘しました。その原因は講道館と日本柔道界の姿勢にあるコトも述べました。

柔道や武道の稽古は、対人関係を円滑にし、危険回避をはじめとする状況判断の能力を向上させる、という2つの面を持っているのです。そのためには、常に自分をニュートラルな状態に置いて、相手を感じ、それにもっとも適した身体反応ができるように訓練するです。対人関係においても、まず相手が何をしたいのかを感じる能力があれば、状況に応じて適切な対処ができる。つまり「人の動き(心身共に)が読める」ようになるのです。

そして自分にとって危険な状況、不利な状況を察知できる能力が向上し、的確な判断ができるようになり、追い込まれた状況から逆転する能力も身についてくる。同時にさまざまな状況を予測できるようになる。身体が敏感なアンテナとして機能すれば、動物的な“カン”も働くようになるのです。

この大事なコトを知らない?で指導している指導者、それに指導者の資格を、五輪でメダルを獲得したからといって、安易に与えている柔道界の体質に重大な要因があるのではないでしょうか。

いじめの問題や体罰の問題を関係者を処罰するだけでは、何も解決しないし、逆にますます深みにはまっていく、と私はそう感じています。

さて、きょうも雑誌『サッカー批評』(双葉社発行No59)の批評に関して、ディフェンスマスターと呼ばれている栃木SCの松田浩監督が徹底分析した『日本代表の守備はなぜ崩壊したのか?』ポジショニングから見る4失点(対ブラジル戦)の要因を批評されているコトについて話し合いたいと思います。 

先に柔道界の問題と柔道や武道の稽古について述べたコトは、サッカーにとっても重要なコトなので、記載しました。

松田氏はつぎの4つの項目を挙げています。

1.ピンチを招いた要因は守備意識の低さ

2.フリーでシュートを打たせた遠藤と香川のポジショニング 

3.守備に足りないゾーンディフェンスの意識 

4.ブラジルとの差を埋めるために必要なことは

1.では、松田氏は、「フランス戦はよく勝ったという印象。前半は押し込まれたが無得点でゲームを進められたのが一番の勝因だと思います。必然的に守備意識が高まり、うまく守り勝ったのがフランス戦。ザッケローニ監督はブラジル戦の前に『フランス戦のように守り勝つつもりはない』とコメントしていたでしょう。かくして指揮官の宣言どおりブラジル戦の序盤、日本は見事なパスワークでブラジルを自陣に押し込めました」と述べています。

左サイドで長友、香川、本田、遠藤が絡んで何本もパスを回し、相手のペナルティエリア付近までボールを運ぶ。だが、本田がつぎの瞬間にボールを奪われ、そのままカカに渡る。カカは間髪入れずに前線のネイマール目掛けて正確で長いボールを足下に入れる。ネイマールは見事なワンタッチで広大なスペースに抜け出す。ブラジルの最初のカウンターシーンを図解で両チームの選手の位置(ポジション)を示しながら解説しております。

松田氏は、「この場面、僕は日本の戻りが遅いと思う。ブラジルの上がりの方が速い」吉田と内田がネイマールの突破を遅らせているうちに帰陣したのは長谷部と今野の2人だけ、一方ブラジルは後方から4人が駆け上がっている。ネイマールにボールが出た瞬間は2対1の数的優位。でもつぎの場面では4対5の数的不利。どれだけブラジルの上がりが速くて日本の帰陣が遅いかということですよ。

この辺りが、日本はブラジルをチョッと甘く見ていない?と思うのです。ブラジルのカウンターは天下一品なのに」

 この後、松田氏は、「カウンターの局面ではいかに早く十分な数のカラダを帰陣させるか、それだけしかないんです。僕はその意識付けを促すためにD(ペナルティアーク)のポジションの重要性を選手に伝えている」とも述べておられる。

2.では、ブラジルの最初の得点の場面の日本選手のポジションのとり方が的確でないコトを指摘しています。 DF内田のクリアミスが最大の要因あることは間違いないが、問題はそれだけではない」と松田氏は述べています。

「相手のシュートもうまいと思いますよ。でもゾーンディフェンスのポジションをしっかりとっていればシューターにも、その前のパスを出した選手にもアプローチにいけたはずです。内田のミスがなければ、こういうポジション取りの問題が明るみにならないのです」と松田氏は述べています。

3.では、氏は「ゾーンディフェンスの守備時に大事なことは、守備にも行けるし攻撃にも行ける、という意味で中途半端なポジションをとること。(略)序盤は自分たちの攻撃が良くて相手を押し込められていたけれど、まだどうなるか何もわからない状況で、守備の局面でしっかり守備のポジションをとらないのはなぜか、ということです。そう考えると、フランス戦の勝利とブラジル戦の立ち上がりの良さによって、ブラジルを甘くみてしまったのではないかと感じるのです」

「僕が考えるゾーンディフェンスはボールを中心として、その次に見方の位置で決まるのだから、吉田はもっと今野に近づいて間のスペースを埋めないといけない。あるいは、瞬時に長谷部がその穴に飛び込んで埋めるか。吉田はマンツーマンの意識が強いのかなあ。ネイマールは内田に任せればよかったと思うのです」と氏は述べています。

4.「日本代表の強みは、今や細かいパスワークに代表されるコレクティブな攻撃と連動した守備だ。そのいずれかを放棄すれば世界のトップとは渡り合えない。徹底的に攻めるならば、徹底的に守ること。ブラジル戦で見えた収穫と課題がまさにそこにある」と締めくくっています。

(蜻蛉の見解)

 この文章を読んで、ザッケローニ監督が、ブラジル戦前に「フランス戦のように守るつもりはない」というコトをプレスに向かって述べていたとは驚きでした。なんとなく彼の言動をチェックすると、彼自身が日本サッカー界が、ブラジルサッカーに傾倒し過ぎているのでは、というような印象を持っているように感じています。それで彼はブラジルに挑戦状を突きつけたのではないでしょうか。

1の図を見れば、本田がボールを相手に奪われた時点で、遠藤と長友まで攻撃に参加して、2人をカバーしているのが今野と長谷部の2人ですが、その前のスペースをブラジルの4選手が占拠。ハーフラインにネイマール1人に対して吉田と内田ですが、ハーフラインからの自陣はがら空きの状態。「守りをコンパクトにせよ!」というコンセプトを守らず、闇雲に相手の懐に飛び込もうとしている様である。

松田氏が「帰陣して数的有利にせよ!」「Dにて守備網をかけよ!」は守備戦術の鉄則。ゾーンディフェンスを意識するのも、防御ラインを組織化するためで、マンツーマンで守るとパス攻撃に対処できないのだ、というわけです。帰陣させるには、相手のボール保持者に対応する選手のマークの仕方が大事、そこで阻止できなければ、1のように、アッという間に相手のカウンターで押し込まれるコトになる。また、このときのブラジルのバックラインには、松田氏のいうDの位置に3人と少し前に1人がいて、日本の4人で突破するのは容易でない状況。というコトは、ブラジルは日本の攻撃をあらかじめ許して、日本の出方を探りながら、しかも日本のミスに乗じてカウンターをかける、という筋書きができていたのでは、と私は過去30年以上南米サッカーを観戦してきた体験から感じています。

このコトは、松田氏の「まだどうなるか何もわからない状況で、守備の局面でしっかりと守備のポジションをとらないのはなぜか?」の言葉にあるように、日本は無謀に攻め込んだと、非難されても仕方がない。なのに、プレス関係のライターは寛容?に、「攻撃面はまずまずの出来」とか「収穫があった」と記載されている。なんとなく信じられませんね。

守備に関しては、規律が第1ですから、守備戦術の原則とかマークの原則がしっかりと認識されていなければ、絶えず不安定な状況に立たされるのです。その上で、技術とか体力の他に、どのような状況にも対応できるよう、柔軟で強いメンタリティが選手たちに要求されるのです。

4で述べておられるように、なにごとも「徹底する」という姿勢こそ、日本サッカー界に求められる姿だと、と私なりに思っています。そのためにも、このページで私が最初に述べたコトが、高度なサッカーを目指す上で欠かせないのです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!