
さて、不吉な話題はこれまでにして、きょうは、雑誌『サッカー批評』を読んで感じた、私の感想を述べてみようと思います。
この雑誌に記載されていた欧州遠征でフランス、ブラジルという強豪と対戦した日本代表の批評に関して、これまで4回このブログで取り上げてきました。この他に、フリーランスの西部謙司氏のよる、「無謀な挑戦」の光明、愚かな戦いを挑んで見えた攻撃の完成度。元川(実川?)悦子氏による「ブラジルまでの次なる航路」日本代表選手の証言から紐解く指標、羽中田昌氏(サッカー指導者、解説者)、三浦俊也(サッカー指導者)、里内猛氏(フィジカルコーチ)、飯尾篤史氏(サッカーライター)の4氏による誌上討論、[検証]ザッケローニの手腕とマネージメント、欧州遠征、本田ワントップ、ポゼッション傾倒への弊害等々も記載されていますが、それらのいくつかをピックアップしながら、蜻蛉の見解を述べることにします。
この雑誌の批評にもありますように、皆さんはそれぞれの立場から、日本代表の欧州遠征での2戦についてはよく分析されているのには感心しましたし、また、日本代表の長所も短所も皆さんはよく把握されているようです。
この表題にあります「日本人の完璧主義」という意味は、日本人がということではなくて、日本人のスケールでの、というコトです。本来の「完璧」でいう、完全で欠点がないことや完全無欠という意味ではありません。別の言い方でいいますと、「日本人流の完璧主義」です。
西部氏は「日本代表は非常に意義のある経験を積めたと思う。特にブラジル戦は、考えられないほど勇敢に、別の言い方をすれば無謀な挑戦をしていたのには驚かされた」「手応えを得られたのは攻撃だ」「あえて無謀な守備に挑戦したのは、ボールをつなぎ相手を押し込むゲームをやろうとしたからだ。日本のパスはつながり、チャンスも作れた」「日本があそこまで無謀なプランで臨まなければ、もっと僅差の試合になっていただろう。日本は最高のブラジルを引き出す戦い方を選択した。これほど野心的な、蛮勇の日本は初めてではないだろうか。皮肉ではなく、感心した」と述べています。
それに筆者は、「ブラジル戦の“実験”は必要なデータをとれたという意味では有意義だった。ざっとあげても、かなりチェックポイント(略)が明確になった。ブラジル相手に、ああいう仕掛け方をしなければ、わからなかったこともあったと思う。一方、フランス戦のほうは不完全燃焼の試合だった」とも述べています。
「ブラジルのセンターバックがまずスペースを消すことを優先し、中盤に引く本田や香川に食らいつかなかったのに対し、今野や吉田はネイマールやカカにぴったり食らいついていった。ブラジルに対して、決してあのように守ってはいけない」と筆者はつけ加えています。
このような見方ををしているジャーナリストに敬意を表します。日本代表に対して、好意的な批評をされていますし、よく観察されています。
私は、指導者としての立場から、あえて別の見方について述べてみたいと思います。
正直なところ私は、ペルーから一時帰国して以来、日本代表の試合を観戦してきまして、イタリアから招聘したザッケローニ監督のコンセプトや采配に一貫性がないのには不満(このブログでは時々褒めてはいますが)を感じています。アジア選手権やW杯アジア予選では結果を出して実績をあげていますが、監督の力なのか、選手たちの力なのか、明確に現れていないからです。
前監督の岡田武史監督やイビチャ・オシム監督のコンセプトと現在のチームと一致する面があるのですが、ザック監督のコンセプトが何なのか、まだよく伝わってこないからです。
ブラジル戦に対して、勝つために「無謀な挑戦」なのか、己のレベルを知るための実験的「無謀な挑戦」をしたのか?何の目的で、あえて無謀な挑戦をしなければならなかったのか? 西部氏の言うような今後の課題を抽出するためだったのでしょうか。また、一流の指導者が結果(勝利)を無視した「無謀な作戦」を立てるでしょうか?
西部氏が指摘した日本とブラジルの両センターバックの守備の位置とマークの仕方を見れば、両国の差がはっきりと表れています。ブラジルのサッカーは相手に食らえつくようなマークはしません。ブラジルの両バックがラインを下げたのは、日本の攻撃戦術と個人戦術を距離を置いて(視野を広げるため)観察することと、DFラインを予め他の選手たちに示す意味もあるのです。日本のアタッカーが攻め込んでくるのは計算済みでやっているのです。ところが日本側から覗くと、パスはつながり、チャンスが作れたと見ているわけです。その間に日本の攻撃陣は裸にされているのに気がつかないで、押し込もうとしていたわけで、ブラジルの思うツボにかかって、カウンターで仕留められていたのです。
「戦術」とは、要約すれば「駆け引き」です。読んで字のごとく、攻め込むだけでなく、引くことも戦術なのに、日本は攻め込みぱなしで、引くことをしなかった。
ブラジルとは反対に日本のセンターバックは技術もスピードもある選手に食らえついてしまいカウンターを許してしまった。
最初の15分で、ブラジルは日本の攻めを完全に把握したのに対し、日本はブラジルの攻めを確認できずに振り回されてしまったわけです。無謀どころか愚かとしかいえません。
日米開戦での神風特攻隊と艦隊を彷彿させるような戦いをさせる戦略家をわざわざ外国から招聘したのでしょうか? それを褒めているジャーナリストの評価には、??? ブラジル戦で、「決してあのように守ってはいけない」と言いながら、一方では褒めたのは、フランス戦で不完全燃焼でも勝ったから、その褒美もあるようです。
日本が世界と伍して戦うための最も重要な課題は守備面をもっと強化して、強固なDF陣を構築することであるはず、その裏づけなしに、本田と香川に期待しても、W杯のグループリーグ戦で敗退するのが落ち。長谷部と遠藤のボランチもセンターバックのバックアップがなければ機能しないし、ボランチが機能しなければ攻撃にも守備にも中途半端で、ゴールには結びつかない。絶えず不安定。
その点から考えると、対フランス戦をもっと真剣に見直さなければならないはずです。勝って不燃焼で済ましてはダメ、逆に、あのようにフランスに攻め込まれても、なぜ日本が勝てたのか?、それに、無得点で抑えることができたのか? ただ単に相手のミスシュートに助けられたからで片付けてしまっては、何のために戦ったのかが意味をなくなすことになる。実にもったいない。なでしこジャパンもロンドン五輪にてフランスに猛攻を受けても勝ったではないですか。あのような試合こそ日本の長所を見つけるべきだったのではないでしょうか。そういうひとつひとつの(見えない部分)の良さを、理詰めにしていけば、日本代表はもっと向上していくと思います。
スペイン代表やバルサのサッカーの華やかな攻撃の部分を見つめるだけでなく、それを支えている守備陣の動向に焦点を当てることが、日本サッカーにとってもっとも大事なコトだと思います。
最後に、日本代表の完璧主義は、ある大会に挑む前、入念な計画を立て、しかも細部にわたって緻密に検討し実行します。ですから、その照準を最初の試合に当てることで、幸先のよい結果を出すことに集中することになります、そこで失敗すると崩れてしまうか、運良く決勝トーナメントに進出しても、それまでしか準備していないため、その威力が落ちてしまう、という筋書きになってしまうのです。
大雑把な計画で、試合ごとに編み上げていく、という発想ができないところに、日本サッカーはもう一歩というところで前進できないように思われます。これはサッカーだけではありません。
以上で雑誌の批評について閉じることにします。
グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!
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