Japan Soccer 50年

2013年3月12日火曜日

現状の日本サッカーと1992年の藤田一郎氏の報告書 2/2

こんにちは! 蜻蛉です。 今日3月11日は東日本大震災から2年経過しました。あの日私は、南米ペルーのリマ市にある自宅にて、TVの映像に現れる悲惨な情景を驚愕の目で食い入るように見つめていました。その日のTV番組も、繰り返し繰り返し報道していました。リマの商店街でも、TVの前に大勢の人たちが集まり、あまりにも恐ろしい光景に、呆然として見つめている姿が大変印象的でした。

 ペルーにおいても大きな自然災害の主な要因は地震です。ペルーで発生した過去最大の災害は、1970年5月31日の地震によるユンガイ町の壊滅とチンボテ、ワラス市の大被害で、死者・行方不明者は約6万7千人に達していました。特に、人口約2万人のユンガイ町は、ペルーのアンデス山脈の最高峰ワスカラン山(標高6768m)からの大土石流に一瞬のうちに埋められ、消滅してしまったのです。(土石流とは、山腹や川底の岩石や土砂が、長雨や集中豪雨などの大量の水といっしょになって、津波のように襲ってくるものをいいます)

 地震発生の時間帯、ユンガイの人たちのほとんどが、サッカーW杯メキシコ大会に出場していたペルー代表とブルガリア代表の試合をTVで観戦していたので、土石流の接近に気づかず、そのため避難が遅れ、被害が大きくなってしまったそうです。

 私も現地のユンガイの丘にある墓地に立って、ワスカラン山とユンガイの町全体を、覗いて感じたコトは、山と町の距離から考えて、まさか土石流がここまで襲うなどとは想像もできませんでした。しかし、そのまさかが現実に起ったコトなのです。(後に、リマにある地震研究所にて、コンピューターで再現した映像を見せてもらい、説明を聞いて、納得しましたけれど)

 現在、東北地方の被害地の復興が進められておられるようですが、このような悲劇を二度と繰り返さないように、政府を中心に防災対策に取り組んでもらいたいと願います。サッカー関係者も積極的に支援活動をされているようですが、被災地のみなさまが一日でも早く立ち直れるよう祈っております。

 このブログ『蜻蛉ちゃんのサッカー』を2011年の12月に記載し始めてから、今回で100回目になりました。記載の目的は、私の日本とペルーにおけるサッカー人生で学んだ、サッカーの見方、感じ方、考え方、いわゆるサッカー哲学をゴミ箱に捨てるコトです。そのゴミのなかに、皆さんが役に立つコトがあれば、ぜひ拾って活かしてもらいたいという期待と願いを込めて記載しておりますので、今後ともよろしくお願いします。

 さてきょうは、前回に引き続き、藤田一郎氏の報告書の戦術面の課題について話し合いたいと思います。

 藤田氏は、技術面で、「日本選手のプレーに、強さという要素において不十分さが認められた」と指摘されていましたが、戦術面でも、つぎの3つのコトを指摘してい
ます。

(1) プレーを難しくする傾向がある。単純にプレーできない。単純なプレーを前向きに押し出していく自  

信を欠いている。動きにおいても同様であり、サポート、フォロー、オーバーラップ、スペースへの飛び出しの動きを、単純にはっきりと、分かりやすく遂行できないのは自信の欠如(体力的要素も含めて)にあると考えられる。

(2) ゲーム運びがつたない。特に追い上げる試合運びよりも、リードを保ち、追加点を狙う流れをつかみ 

きれない。余裕がなく、余力を失い、緊張し、心理的プレッシャーに弱く消耗しきってしまう。

(3) 相手の力が格下だと自分たちのプレーを遺憾なく発揮するが、同等以上の相手との試合の流れで劣勢 

となると受身になってしまい、消極的になり、強気のプレーへ転換し、持てる力を発揮するバネとエネルギーを失するきらいがある。悪条件に対する耐性に弱さが感じられる。

 以上3つの戦術面の課題を挙げていますが、チーム戦術において、個人戦術を発揮する土台としての、精神面への指摘とも読み取れます。たとえば、同格またはそれ以下チームでは自分たちのプレーを発揮できるが、同等以上になるとマイナス要素(劣勢、受身、消極的等々)が表れてしまう。

 「精度」という言葉がよく使用されていますが、高いレベルになればなるほど、精度の度合いが違ってくる。その見極めを指導者ができなければ、選手はいつまでたっても認識できないまま、これらの問題点をかかえるコトになるのではと思われます。

 これらの課題はアルガルベカップ(ポルトガル)に参加しているなでしこジャパンの選手たちにもあるコトを、私は前回にて指摘しております。たとえば、ボールの奪い合いで当たり負けしたり、少し後方からプレッシャーをかけられるとあっさりとバックパスしたり、単身ドリブルでシュートの体勢に入ると、追走する相手を気にしてか、胴体が硬直し、あわてて脚の力だけで蹴ってボールがゴールの枠から逸れてしまうなど、藤田氏が指摘しているような力強さ、ダイナミックさが欠けていると思っています。

サッカーだけではありません。WBC(ワールドベースボールクラッシック)に出場している侍ジャパンの選手たちのプレーを観ていても、少し骨のあるピッチャーに対すると、バットスウィングに力強さが欠け、ボールを腕と手首だけで当てる感じで、まったくダイナミックスさが欠けています。

昨日のオランダ戦では、その前に苦戦してきた様子とはがらりと変わり、ホームランが6本、毎回得点で16点を叩き出したのも、藤田氏が述べている、「格下に対しては、自分たちのプレーを遺憾なく発揮する」コトを証明しています。

 私の体験から得たこれらの課題に対する考え方は、目に見える技術は普遍化しやすいですから、誰にでも遅かれ早かれできるようになる、ですからその前に、さまざまな状況に対応できる身体(柔らかくて強く、安定感があるのに軽やか)がなければ、細かいテクニックをいくら磨いてもしょうがないというコトです。  

藤田氏の指摘する課題を克服するには、身体の能力を高めながら技術を磨かねばならないというコトです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

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