Japan Soccer 50年

2013年3月29日金曜日

「もめる門には福きたる」 ヨルダンに敗戦したサムライブルー

こんにちは! 蜻蛉です。 残念でしたね。サムライブルーは敵地にてヨルダンに負けてしまいました。

選手や関係者にとって、この敗戦は大変悔しいことだったと察しますが、考え方によっては、「急がば廻れ!」で、結果的には、幸いだったのではないでしょうか? 

 さてきょうは、一昨日(26日)、中東ヨルダンの首都アンマン(キング・アブドラ国際スタジアム)にて行われた、FIFA・W杯サッカーブラジル2014、アジア地区最終予選B組、ヨルダン代表対日本代表戦の反省と課題について語り合いたいと思います。

 表題の「もめる門には福きたる」は、TV(フジテレビ)のドラマのタイトルを捩(もじ)ったものです。

試合の結果は1−2でサムライブルーはヨルダンに負け、W杯出場決定は、6月4日の対オーストラリア戦(ホーム)か同月11日(または10日)の対イラク戦(アウェー)までお預けになりました。「福きたる」と申しましたのは、もし今回アッサリと勝って出場権を得ていたら、この最後の2戦が消化試合になり、今回の試合でも露呈していた日本サッカーの弱点もそれほど意識しないまま、6月にブラジルで開催されるコンフェデレーションカップの大会まで(緊迫ムードなしに)時間だけ経過してしまうのではという懸念があったコト。結果的には負けたことによりその心配は、同じ6月に大事な試合(予選と大会)が重なることで、これらの課題を一挙に解消できる可能
性が出てきたんおではと考えたからです。

 少しややこしい説明になってしまいましたが、一番恐れているのは、出場権獲得という目的を果たした、という、安堵感と弛緩作用による楽観ムードが日本サッカー界に流れるコトです。それに、コンフェデ杯のための特別な準備もそれほど意識せず、地元での対オーストラリア戦に勝って、その余勢でもって大会に乗り込めるのではというコトです。これらは、「一石二鳥」でできるのだという意味がタイトルに含まれているのです。

 この試合は、少し皮肉っぽい表現になりますが「日本サッカーらしさ」が良い面でも悪い面でも露呈していました。

良い面では、長谷部からの縦パスを清武はカラダの向きとは反対(回転しながら)にワンタッチで、ゴール中央に位置していた香川に見事なパス、香川はマークしていた相手DFをスピードで振り切り、右足でクリーンシュートを決めたコト。悪コンディションのピッチでありながら、得意のパスを駆使してゲームを支配していたコト。アタッカーの前田、岡崎、香川、清武等が忠実に守備面でも使命を果たしていたコト。DF陣のサイドバック内田と酒井高徳、センターバックの今野も味方の攻撃に参加していたコト。等々。

悪い面では、セットプレーのコーナーキックで、しかも前半のタイムアップ寸前、相手にフリーでヘディングシュートの先制点を許したコト。ディフェンス面で、酒井のミスで相手にボールを奪われ、右サイドのタッチライン際にいた相手FWにボールが渡り、酒井の後方にいた吉田が横からタックルに入る瞬間、ドリブルで振り切られ、そのままゴール前まで持ち込まれ、GK川島が前に出る瞬間、左足でシュートを決められ追加点(2点目)を許してしまったコト。攻撃面では、何度もゴール前に持ち込みながら、味方にクロスしたり、プルバックを繰り返し「シュートという意識」が欠けていたコト。等々。

ザッケローニ監督は選手に、「得点する気がないのか!」と叱咤したそうですが、私自身も見ていて、この点でハガユイ気分にさせられていました。

個人的にはあまり言いたくないのですが、FWワントップの前田は前半22分長谷部の後方からのパスを振り向きながらヘッドシュート、ボールはバーに当たって外にでた不運もありましたが、下がって守ったり香川や岡崎にスペースを空けるプレーをしていたものの肝心のシュートに絡むプレーがほとんどなかったのはどうしてか? 

岡崎と清武も香川の脇役のような感じで、得点に絡むプレーがいつもの試合より少なかったのはどうしてか? 香川も事前のカナダ戦での反省も含めて、何とか得点に絡むプレーをしようという意欲は感じとれましたが、味方の援護が少なく、唯一得点に結びついたときのプレー(横にハーフナー、後に清武、長谷部が上手く絡んでいた)のみその成果が現われていたように思います。

左サイドバックの酒井も長友のように積極的に左サイドを抉(えぐ)るようなドリブルでゴールライン際まで持ち込んだり、右サイドから流れてきたパスを、(シュートできる位置にいながら)シュートせずゴール前に混戦状態で待機する味方にクロスしたりプルバックで、ダイレクトにゴールに向けてシュートしないのには苛立ちを感じました。あそこでシュートあるいはシュートのようなクロスをすれば、得点にならなくとも、ラトビア戦で見せた、内田のシュート気味のクロスを岡崎がボールを足先で掠って得点したように決めたり、相手DFがカラダに当ててオーンゴールしたり、GKが
弾いたコボレ球をプッシュして決めるコトができる可能性があるはず。シュートしなければその可能性はないということです。

ボランチの長谷部にしても遠藤にしても、もっと積極的にミドルシュートする気概がなければ、相手のDF陣はラインを下げて(日本の攻撃空間をさらにコンパクトに狭めて)、キレイにゴールするのは至難の技。

 日本サッカーはバルサのようなボールポゼッションに陶酔しすぎて、肝心な「ゴール」という快感を忘れたかのようなパスをゴール前まで続けているような様である。ザック監督が苛立つのも理解できる。

 ヨルダンの2得点は、ロンドン五輪の対メキシコ戦と対韓国戦の失点を彷彿したようであった。メキシコ戦で先取点をあげながら、CKでヘッドで決められ、GKミスパス(手でスロー)を拾われ、シュートを決められていた。その後、相手のFWに吉田がドリブルで交わされシュートを決められている。韓国戦でも吉田が相手のFWにドリブルで振り切られ得点された。この一連のゴールから、吉田のプレーに守備面での弱点が浮き彫りされている。吉田は前には強さがあって素晴らしい面があるが、彼自身の左側の脚と股関節が硬くて柔軟さが欠けており、そこを突かれると、意外な脆さ(タックルが上手くない)を露呈している。その原因は胴体の動きと重心移動(股関節のとらえ)に問題があるようです。

 試合における選手の顔色というか表情を見ていて、猛暑の中東で試合しているのに、まるで寒冷地での試合かのように、青褪(あおざ)めて震えているかのような様子には驚きました。遠藤のPKにしても、彼の特徴かもしれませんが、なにか冷めたような感じで、ここで決めるんだという迫力がまったく感じられませんでした。案の定、GKから見え見えのキックで弾かれ同点弾を決められませんでした。 後半13分長谷部と遠藤の足が止まった(私のノートにそう記録されている)。その後すぐ、後半15分相手のFWの長い単身ドリブルからのシュートで2点目を決められている。

 私がこのブログで何度も言ってきている「泥臭いシュート」は、日本代表のサッカーのように、長友、内田、あるいは酒井高徳、酒井宏樹、駒野といったサイドバックがクロスして頭や足でキレイにシュートして決めるだけでは、相手が必死に守ったらそう簡単に打開できない。相手のディフェンスを引き出すためにも、あらゆる距離あらゆる角度からでもシュートする気概と習慣がなければ、「泥臭いシュートやゴール」はありえない。

 現在のようにFWやMFのアタッカーが必死になって守備に力を入れる割合を割いても、攻撃面の力を増やせるようにしなければ、いつまでたっても同じ課題が継続されていくであろうと思います。それは私たちのカラダと同じで、右脇を締めたら同時に左脇を緩めないと、カラダは硬直して、しなやかさも柔らかさもパワーも発揮できないコトと同じです。その点を監督をはじめコーチ陣が戦術面で、特に気を配らねばならない大事なコトではないかと思います。それにはなお一層ディフェンス陣1人1人の技術的能力と個人戦術の能力向上させ強化するコトが不可欠です。それに、今回の試合前に問題があった選手の健康状態やケガに対するケアも同様に気を配らねばなりません。

 残る6月までの2ヶ月間でどれだけ課題を解消できるか、強化委員会と監督を中心とするコーチングスタッフの手腕による戦略が期待されます。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月28日木曜日

対ヨルダン戦でW杯出場権をかけるサムライブルーの問題

こんにちは! 蜻蛉です。 今晩いよいよW杯出場権獲得の決戦が始まります。みなさんも日本代表の勝利を期待して観戦されることでしょう。今回の見所は日本のエース本田と長友が体調不良(膝の負傷)による欠場で、どういう戦いをするか? トップ下に誰が位置するか? また、事前にドーハで行われた対カナダ代表との消化不良の試合に出た、日本代表の課題をどう克服するか? 等々、さまざまな角度の視点から観戦する楽しみもあると思います。しかし、今回の試合は内容はともかく、「なんとしても勝って出場権獲得という結果を出して欲しい」と期待されておられることでしょう。

 私はペルーに36年も住んでいる関係で、ペルーのサッカーについても、日本サッカーと同様、心底から愛着を持っております。 南米のW杯予選は開催国ブラジルを除く9カ国で、総当り2回戦(ホーム&アウェー)で行われています。3月22日現在第11節の試合が終了し、アルゼンチンが勝ち点23で、出場権をほぼ確定しています。コロンビア(19)、エクアドル(17)、ウルグアイ(13)、ベネズエラ(12)、チリ(12)、ペルー(11)、ボリビア(8)、パラグアイ(8)の順位で、出場枠4+1PO(アジアとのプレーオフ)をめぐって大混戦。期待するペルーは、隣国のライバル、チリと対戦、試合終了間際(88分)にドイツのシャルケ04で内田と同僚のファルファンが決勝点を決め1−0で辛うじて勝利(負けていれば絶望だった)。この試合、主力4人が欠場(コリンチャンスのゲレーロも)で心配されていましたが、正直なところ勝ってホッとしました。

 さてきょうは、今日ヨルダンのアンマン行われるFIFA・W杯アジア最終予選日本代表対ヨルダン代表戦にて、出場権をかける大事な一戦に挑むサムライブルーのコトについて話し合いたいと思います。

 先日(22日)日本はカナダとカタールのドーハで親善試合を行い、2−1で勝利したものの、内容はカナダに苦戦して消化不良であったことが報じられています。この試合、日本の得点源であるエース本田と長友が不在のポジション(トップ下と左サイドバック)を誰が占めるか、また、センターバック今野の欠場(発熱)を誰が埋めるかが焦点でした。

 スタメン(交代選手)は、GK川島、DF内田(駒野)、吉田、伊野波(栗原)、酒井高徳(酒井宏樹)、MF長谷部、遠藤、岡崎(中村)、香川、乾(大津)、FW前田(ハーフナー)。

 トップ下は、前半香川、後半中村、センターバック今野のポジションには伊野波と栗原が出場しました。試合後の選手の反省というか感想は、次のように記載されていました。

 左サイドのアタッカー乾は「監督からポジションのことを言われる。そこを意識し過ぎた」、ピッチで試合の流れに対応できなかったことを反省しています。

 トップ下の中村「前半ベンチで試合を見守りながら、みんなのポジションが等間隔に感じた。自ら動いて選手間でつなぐことを意識した。自分はセカンドストライカーのタイプじゃない。自分の役割ができたらと思う」と述べています。

 トップ下とサイドアタッカーの香川は「形にこだわりすぎてしまった。監督の目指すサッカーを浸透させようと考える。それは日本人のいいところであり悪いところ。もっと試合の流れを読んでやっていかないといけない。攻撃陣1人1人の距離が遠く、連係を生み出すことができなかった。真ん中でプレーしたいのに左の乾は遠くにいた。近寄っていけばワントップの前田が孤立してしまった。チャンスボールを引き出して形をつくることが大事だが、チームとして難しかった」と述べている。

 キャプテン長谷部は「セカンドボールを拾われた。フィジカルで相手に負けていた。簡単なミスがあった」と反省している。

 これまでザッケローニ監督の采配に感じているコトは、戦術面のコンセプトが選手間でよく理解されていないのでは、と思われる節がある。と申しますのは、日本のリズムでプレーしているときには素晴らしい面が現れていますが、一旦逆境に立たされたときに、「不消化」のようなゲームになってしまう。それがカナダ戦で現実に表れていたのです。

 私が気になるのは、乾選手の言葉にある、戦術のシステムにおけるポジションの機能を強調するため、選手の意識がそこに集中(こだわり)しすぎるきらいがあるようです。

 雑誌『サッカー批評』に、ザック監督を評して「イタリア人だけあって、細かい守備はもちろん、攻撃でも決まりは多い。個人で勝手なプレー?はさせない。サイドアタッカーが早い段階で中に入ることをとかく嫌う」その理由は、ボールを相手に奪われたとき、外のスペースが空いてしまうことと、相手のサイドバックの攻撃参加を抑止させたい、という意味もあるようです。

 攻撃ゾーンにおけるトップ下の2列目の攻撃陣に求められる機能は、ボールをゴールに向けてシュートして得点を決めるコト。そのためには流動性と即興性よ意外性をもって、相手の守備を揺さぶる動きとプレーが必要なのですが、そのところを、決まりをつけて制限させてしまえば、選手の創造性もヒラメキも抑制されてしまう恐れがあります。

 ところが、選手の言葉とは裏腹に、監督は「自己判断」の必要性を説いているのです。そこに、監督と選手の間に意識のズレを感じているのです。 それがたとえ監督からの選手への使命であっても、その指示された「言葉」に囚われず、状況に応じた臨機応変なプレー(可能性の)を期待しているのです。しかし、問題は、日本人の感覚ですと「勝手なプレー」、というニュアンスでとらえてしまう傾向のあるコトを、前に、このブログで記載しているのですが、その辺の微妙な解釈というか表現の仕方が外国語と日本語の意味に違いがあるようです。

 たとえば、乾選手の場合、内側に切り込む効果を表すには、その前に縦に突破する布石のプレーが必要というように、そういう駆け引きがあれば、監督は、あえて制限をするわけはないはずです。相手サイドバックのカウンターアタックにしても、サイドバックの酒井高とボランチの遠藤、それにセンターバックとの連係が機能すれば問題はないはずです。

 ザック監督は不在の本田とトップ下候補の香川と中村について、「本田は代表にとって大切な選手、技術の高さ、パーソナリティー、何よりもパワーがある。トップ下に彼が入ると、チームにパワーが加わり、周囲がより攻撃参加できる。香川と中村は特徴が違うのでそこは求めていない」と本田の存在の大きさを口にしています。香川については「軽快なテンポで周囲の味方を使い、ゴール前で得点に絡むリズムのプレーをする」

中村については「長短のパスを操るクレバーなプレーをする」「両者とも本田のように1人で局面を打開できるパワーのあるプレーは望めない」というトップ下でのプレーヤーとしての特徴を語っています。

 本田はたしかに、両腕の使い方が上手く、背後からのマークに対してもカラダで抑えてボールをキープできる。簡単に転ばない、体幹がしっかりして軸がブレない、素晴らしいプレーヤーである。しかし、彼の膝と足首が完治しないまま無理してプレーすれば、選手寿命を縮める恐れがある。彼の歩行の動作にて左右の肩が上下運動していることは、安定した姿勢を保つための、股関節のとらえ、と胴体の骨盤と腰椎、それに背骨にまで影響するコトが考えられます。彼の立場と責任感で無理してでもプレーしようと考えているでしょうが、来年のW杯優勝を本人が目標にしているのであれば、今は辛抱強く寛治するコトが肝心、そのためにも休養をとるプレーが一番大事
だと思います。

 きょうの試合の敵はヨルダンではなく、日本選手の出場権獲得という意識が過剰になるコト、審判諸氏の判定、それにグラウンドコンディションにあるというコトです。

 日本代表にこれまで指摘したような問題がありますが、ぜひ勝ってW杯出場を決めてくれるコトを信じて、このページを閉じることにします。

 グラシアス!アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月20日水曜日

アルガルベ杯(ポルトガル)の大会で感じた”なでしこジャパン”

こんにちは! 蜻蛉です。 3月に入り好天気続きですが、突風のような強風と砂嵐には驚かされました。

J1リーグは第3節が過ぎ好試合が展開。今月23日、カナダ代表との親善試合と26日のW杯出場権をかける対ヨルダン代表と対戦する、“サムライブルー”日本代表の招集メンバー発表。というように、今月はサッカーの話題で大いに賑わしてくれるコトでしょう。

 さてきょうは、今月6日から13日まで開催されましたポルトガルでの国際女子サッカー“アルガルベカップ”大会に出場した、“なでしこジャパン”日本代表の試合をTV観戦して感じたコトを述べてみようと思います。

 今回の大会に佐々木監督は、ロンドン五輪(銀メダル獲得)出場組のうち、GK福元、DF近賀、矢野(引退)、MF沢、宮間、阪口(ケガ)、FW安藤、丸山、大野、岩淵(ケガ)を召集せず、GK海堀、DF岩清水、熊谷、鮫島、MF川澄、田中明日菜、FW大儀見、高瀬の8人の他、U-20W杯で活躍したMF田中陽子とFW田中美南の新人に加えて、GK山根、久野、DF長船、有吉、加戸、川村優理、MF宇津木、中島、川村真理、山崎、FW大滝、永里、小川等の15人、合計23選手を代表に選びました。

 五輪組以外の15人のうち、宇津木以外新たなメンバーとして招集したというコトで、新たな期待を寄せながら私は観戦させてもらいました。 しかしその期待とは裏腹に、第1戦の対ノルウェー代表戦で、裏切られてしまった感がしました。と申しますのは、先発メンバーを見て、ロンドン五輪の対南アフリカ戦の試合での嫌な記憶を蘇えさせられたからです。

 ロンドン五輪での南アフリカ戦で、主力選手を温存し、それに加え引き分けを狙った試合に、私は大変不満を感じていたのです。今回の緒戦の対戦相手が過去の世界女子サッカー界でトップクラスだったノルウェー代表であり、佐々木監督自身も“なでしこジャパン”の新たな門出の大事な試合であったはずです。

 下記の先発メンバーを見て下さい。

GK久野、DF川村優、岩清水、長船、加戸、MF川澄、山崎、田中明、川村真、FW小川、
大滝。このメンバーで五輪組はDF岩清水、MF田中明、川澄の3人と現在欧州でプレーしている大滝だけが経験者。

この大会前に国内合宿をしていましたが、あのときはまだ代表メンバーは決まっていませんでした。ですから、大事な緒戦で、しかも強豪相手に、いきなり未経験な選手8人を応用したのには、正直いって驚きました。 

選手の立場にしてみれば、嬉しい反面経験の浅い選手同士で不安があるコト、監督やコーチの前でアピールしたい反面失敗を恐れるコトが考えられます。しかし、監督やコーチにしてみれば、早いうちに、未知の選手たちを試してみたいという思いがあったかもしれませんが、即席のようなチームで自分の能力を発揮するコトの難しい面があるコトを、コーチングスタッフが、選手の心理状態を考慮していなかったように感じました。

 その心配が試合開始早々から表れました。前半15分ノルウェーの選手が左タッチライン際をドリブルで日本の右サイドバック川村優理を軽くかわし、ゴールラインに沿って持ち込み、角度のない位置からシュートを決めあっさりと先制点。このとき川村は追跡したが間に合わなかったけれど、カバーに入るべきセンターバックの岩清水が、プルバックを警戒してタックルに入らず、逆にダイレクトシュートのスペースを相手に与えゴールを決められてしまったのです。

 このゴールは川村のミスと報道されていますが、カバーに入れる詰めの時間が十分あったベテラン岩清水のミスでもあったのです。その後も川村が軽くかわされ、ゴール前へのクロスを相手に飛び込まれきれいに右足でシュートを決められ、追加点を許してしまったのです。残念ながらその後の試合、川村理選手は出場機会が与えられませんでした。

 後半、川村は有吉と交代、左の加戸が右サイドバックに、有吉は左サイドバックに入った。その後も高瀬、鮫島、田中陽、大儀見、永里が入って挽回を狙ったが、動きがチグハグで、終始ゲームはノルウェーペースで展開。試合の結果は0−2で敗戦。

 第2戦の対ドイツ戦では、先発に、

GK海堀、DF有吉、岩清水、熊谷、鮫島、MF高瀬、田中明、宇津木、川澄、FW田中美、大儀見。

この試合は後に引けない大事な試合で、主力メンバーを揃えました。特に注目を浴びたのは、佐々木監督が合宿で特に印象づけられたU-20のFW田中美南を抜擢したたコトです。(私もこの選手をU-20で注目していた)

 田中は期待に応えて日本に初得点をもたらしたのでした。彼女のプレーの特色は、スピードがあって、積極果敢にアタック、パスを受けるのにもカラダを張ってトラップするなど、同点ゴールを決めたシュートなど、堂々とした構えから正確にキチッと決めたあたり、新人とは思えない立派な得点でした。

 高瀬と川澄も絶好の得点チャンスのシュートをゴールの枠内に決められず、同点のチャンスを逃がしたのはおしまれますが、これこそ日本サッカーの大事な課題なのです。

 最初の日本の失点は相手のシュート前にハンドがあったのですが、主審が見逃し得点を許してしまったのは残念。ドイツの2点目はGK海堀の判断ミスで相手に得点を与えただけに、惜しい結果になってしまいました。しかし、結果の1−2の敗戦はともかくとして、五輪組選手の経験値の高さを感じさせられた試合内容でした。

 第3戦のデンマークとの試合の先発は、

GK山根、DF加戸、岩清水、熊谷、鮫島、MF中島、田中明、宇津木、川澄、FW大儀見、
永里。

この試合もデンマークに押されながらも、少ないチャンスをものにして、2−0で勝利。最初の得点は、川澄の左サイドからのクロス気味のシュートが、GKの頭を越えファーポストの内側に吸い込まれるという幸運もあり、2点目は中盤で宇津木が相手のミスで拾ったボールを、前線で構えていた大儀見に絶好のパスを送り、大儀見は冷静にトラップしてGKをかわし、無人のゴールにシュートを決めたのでした。

 この試合で注目を浴びたのは190センチ以上の長身ゴールキーパー山根でした。まだGKとして身のこなしが未熟なところがありますが、パントキックでは男並み、日本では珍しい、待望久しき長身GKの成長を期待したいと思います。交代で、高瀬、田中美、山崎、小川が入った。

 5位決定戦の対中国戦の先発は、

GK山根、DF加戸、熊谷、長船、有吉、MF中島、山崎、宇津木、川村真、FW大儀見、大滝。

この試合は東アジア選手権の前哨戦ともいえる試合で、どう戦うか注目しました。結果は後半22分中島の右サイドからの好キックをファーポストの外に構えていた大儀見が冷静に決めて、1−0で勝利。しかし、この試合、相手選手と激突したDFの長船が鼻の骨折で退場したのは残念でした。一日も早く全快し復帰してほしいですね。この試合の交代は、MF田中美、田中陽、FW高瀬、小川が入った。

 この大会の“なでしこジャパン”の試合を振り返ってみると、このブログで記載しました藤田一郎さんが、男子日本代表のユースの問題で指摘したコトがそのまま当てはまっていると、私はそう感じました。相手の選手に後からプレッシャーをかけられると、あっさりバックパスしたり、あわてて横にパスして、相手にカットされ、カウンター攻撃をくわされたりで、まだまだ、五輪組のレベルに達するのには時間がかかるであろうコトと、感じました。それに欧州で活躍している選手たちのフィジカル面がよくなかったコトです。

最後に、コーチ陣に注文したいのは、初経験の選手に対し、「失敗を恐れず相手と頻繁に接触プレーを楽しめ!」というぐらい、挑戦的な気分でプレーできる雰囲気をつくって欲しいというコトです。と申しますのは、アシスタントコーチが戦術盤を使って選手に細かい動きを説明している姿を見たからです。これらの選手に必要なのは、戦術面より、欧州選手の強い当たりを直接体感するコトが、どれだけ今後の財産になるのか、そういう体験があってこそサッカー選手として貴重な内部感覚を養うコトができるのですが、あっさりバックパスを繰り返してたら、折角欧州まで出かけて、貴重な体験ができるチャンスを自ら放棄してしまうコトになるのです。

今回の4試合で日本がゲームを支配した試合は一度もなかったという現実を謙虚に反省して、コーチ陣も選手強化に励んでもらいたいと思います。

“なでしこジャパン”は、現在「世界選手権保持者」であるコトを、佐々木監督はじめコーチ陣に再認識してもらい、目標に向かって真摯に取り組んでもらうコトを期待し、蜻蛉の感想を閉じたいと思います。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月12日火曜日

現状の日本サッカーと1992年の藤田一郎氏の報告書 2/2

こんにちは! 蜻蛉です。 今日3月11日は東日本大震災から2年経過しました。あの日私は、南米ペルーのリマ市にある自宅にて、TVの映像に現れる悲惨な情景を驚愕の目で食い入るように見つめていました。その日のTV番組も、繰り返し繰り返し報道していました。リマの商店街でも、TVの前に大勢の人たちが集まり、あまりにも恐ろしい光景に、呆然として見つめている姿が大変印象的でした。

 ペルーにおいても大きな自然災害の主な要因は地震です。ペルーで発生した過去最大の災害は、1970年5月31日の地震によるユンガイ町の壊滅とチンボテ、ワラス市の大被害で、死者・行方不明者は約6万7千人に達していました。特に、人口約2万人のユンガイ町は、ペルーのアンデス山脈の最高峰ワスカラン山(標高6768m)からの大土石流に一瞬のうちに埋められ、消滅してしまったのです。(土石流とは、山腹や川底の岩石や土砂が、長雨や集中豪雨などの大量の水といっしょになって、津波のように襲ってくるものをいいます)

 地震発生の時間帯、ユンガイの人たちのほとんどが、サッカーW杯メキシコ大会に出場していたペルー代表とブルガリア代表の試合をTVで観戦していたので、土石流の接近に気づかず、そのため避難が遅れ、被害が大きくなってしまったそうです。

 私も現地のユンガイの丘にある墓地に立って、ワスカラン山とユンガイの町全体を、覗いて感じたコトは、山と町の距離から考えて、まさか土石流がここまで襲うなどとは想像もできませんでした。しかし、そのまさかが現実に起ったコトなのです。(後に、リマにある地震研究所にて、コンピューターで再現した映像を見せてもらい、説明を聞いて、納得しましたけれど)

 現在、東北地方の被害地の復興が進められておられるようですが、このような悲劇を二度と繰り返さないように、政府を中心に防災対策に取り組んでもらいたいと願います。サッカー関係者も積極的に支援活動をされているようですが、被災地のみなさまが一日でも早く立ち直れるよう祈っております。

 このブログ『蜻蛉ちゃんのサッカー』を2011年の12月に記載し始めてから、今回で100回目になりました。記載の目的は、私の日本とペルーにおけるサッカー人生で学んだ、サッカーの見方、感じ方、考え方、いわゆるサッカー哲学をゴミ箱に捨てるコトです。そのゴミのなかに、皆さんが役に立つコトがあれば、ぜひ拾って活かしてもらいたいという期待と願いを込めて記載しておりますので、今後ともよろしくお願いします。

 さてきょうは、前回に引き続き、藤田一郎氏の報告書の戦術面の課題について話し合いたいと思います。

 藤田氏は、技術面で、「日本選手のプレーに、強さという要素において不十分さが認められた」と指摘されていましたが、戦術面でも、つぎの3つのコトを指摘してい
ます。

(1) プレーを難しくする傾向がある。単純にプレーできない。単純なプレーを前向きに押し出していく自  

信を欠いている。動きにおいても同様であり、サポート、フォロー、オーバーラップ、スペースへの飛び出しの動きを、単純にはっきりと、分かりやすく遂行できないのは自信の欠如(体力的要素も含めて)にあると考えられる。

(2) ゲーム運びがつたない。特に追い上げる試合運びよりも、リードを保ち、追加点を狙う流れをつかみ 

きれない。余裕がなく、余力を失い、緊張し、心理的プレッシャーに弱く消耗しきってしまう。

(3) 相手の力が格下だと自分たちのプレーを遺憾なく発揮するが、同等以上の相手との試合の流れで劣勢 

となると受身になってしまい、消極的になり、強気のプレーへ転換し、持てる力を発揮するバネとエネルギーを失するきらいがある。悪条件に対する耐性に弱さが感じられる。

 以上3つの戦術面の課題を挙げていますが、チーム戦術において、個人戦術を発揮する土台としての、精神面への指摘とも読み取れます。たとえば、同格またはそれ以下チームでは自分たちのプレーを発揮できるが、同等以上になるとマイナス要素(劣勢、受身、消極的等々)が表れてしまう。

 「精度」という言葉がよく使用されていますが、高いレベルになればなるほど、精度の度合いが違ってくる。その見極めを指導者ができなければ、選手はいつまでたっても認識できないまま、これらの問題点をかかえるコトになるのではと思われます。

 これらの課題はアルガルベカップ(ポルトガル)に参加しているなでしこジャパンの選手たちにもあるコトを、私は前回にて指摘しております。たとえば、ボールの奪い合いで当たり負けしたり、少し後方からプレッシャーをかけられるとあっさりとバックパスしたり、単身ドリブルでシュートの体勢に入ると、追走する相手を気にしてか、胴体が硬直し、あわてて脚の力だけで蹴ってボールがゴールの枠から逸れてしまうなど、藤田氏が指摘しているような力強さ、ダイナミックさが欠けていると思っています。

サッカーだけではありません。WBC(ワールドベースボールクラッシック)に出場している侍ジャパンの選手たちのプレーを観ていても、少し骨のあるピッチャーに対すると、バットスウィングに力強さが欠け、ボールを腕と手首だけで当てる感じで、まったくダイナミックスさが欠けています。

昨日のオランダ戦では、その前に苦戦してきた様子とはがらりと変わり、ホームランが6本、毎回得点で16点を叩き出したのも、藤田氏が述べている、「格下に対しては、自分たちのプレーを遺憾なく発揮する」コトを証明しています。

 私の体験から得たこれらの課題に対する考え方は、目に見える技術は普遍化しやすいですから、誰にでも遅かれ早かれできるようになる、ですからその前に、さまざまな状況に対応できる身体(柔らかくて強く、安定感があるのに軽やか)がなければ、細かいテクニックをいくら磨いてもしょうがないというコトです。  

藤田氏の指摘する課題を克服するには、身体の能力を高めながら技術を磨かねばならないというコトです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月9日土曜日

現状の日本サッカーと1992年の藤田一郎氏の報告書 1/2

こんにちは! 蜻蛉です。 ここ数日気温が上昇し春の到来を感じさせています。日本サッカー界も3月に入り、創立二十周年のJ1リーグが開幕、ACL(アジアチャンピオンリーグ)、FIFA・W杯ブラジル大会への出場権をかけるサムライブルー対ヨルダン戦、なでしこジャパンのアルガルベ杯(ポルトガル)の出場というように、春の到来を感じさせています。

 このような明るい話題の反面、私の気持ちのなかに、日本のサッカーに一抹の不安というか不満を感じさせているコトがあります。きょうはそのコトについて話してみたいと思います。

 表題の藤田一郎氏は、Jリーグの始まる以前のJSL(日本サッカーリーグ)時代、日本代表のユースの監督、アジアのサッカー後進国への巡回指導など、日本サッカー界の指導者レベルがそれほど高くない時代に、世界の優れた指導法を導入し優れた選手を育成されておられた。(藤田氏は若い選手を育てる第一人者であった)

 先日、私のファイルを見直しているとき、日本サッカー協会の機関紙に藤田氏が記載した、1992年当時の日本サッカーの現状報告書(問題点)を抜粋した一枚の用紙があったので、それを読み直してみました。

 私が一昨年ペルーから一時帰国して以来日本サッカーの試合を観戦してきて感じているコトは、体力と技術レベルが、むかしと比べて、一段と高くなっているコトでした。しかし、それは日本人同士の試合であって、同等以上の対戦相手のときには、日本のサッカーの技術は根本的な要素(問題点)が1992年当時に指摘されている問題とそれほど変わっていないのだと、この報告書を読みながら感じました。

 その報告書には次のコトが記載されていました。(文書が少し長いので、2回に分けて記載します)

(1) プレーの原点・基本に未熟さがある。激しいつば競り合い、ボール(球)際での競り合いにひるみ、 

負い目が出がちである。

(2) ボールコントロールが良くなっていると言われる。しかし、力強さ、ダイナミックさに欠け、プレッ  

シャー、スピードのなかで正確に、前向きにプレーを発揮するには至っていない。

(3) 身体を使って持ちこたえるプレーができない、すぐに倒れる、スタンディングでの軽く小さなかわし 

のプレーは通用しない、動きながらのプレー、持ちこたえる身体を使ったプレーの開発が望まれる。

 そうしたゲームの展開から、藤田氏は技術の角度から、「日本選手のプレーに強さという要素において不十分さが認められた」と指摘し、以下の5つを具体例として挙げている。

(1) 激しく詰め寄られ、プレッシャーをかけられると、攻める方向、前を向いてのプレーが不十分になっ 

ていまう。

(2) プレッシャーのあるスピードのなかでは、正確なコントロール、パス、シュートなど技術を発揮する

精度のレベルが落ちてしまう。

(3) 身体を使い相手をブロックしてのボールの受け、持ちこたえるキープ力に欠ける。

(4) 相手の深いタックル、スライディングに対して、ひるむ傾向が強く、先手を取って出端を取る強気の  

プレーができない。

(5) 相手ボールに対する詰めと間合い、アプローチが甘くなる。1対1で破られることを恐れ、安全第一の 

プレーに走る。

 3月6日と昨夜(8日)TVで観戦したアルガルベ杯(ポルトガル)にての、なでしこジャパンの第1戦のノルウェー、第2戦のドイツとの試合にても、藤田氏の指摘している問題の要素がズバリそのまま現れていました。また、ACLの第1戦に敗退した浦和と広島も、試合を観ていませんが、上記の問題があったのではと予測されます。

 次回は戦術面で藤田氏が指摘しているコトを記載したいと思います。きょう行われるJ1リーグの試合も、このような視点から観戦してみると、これまでとはチョッと違ったコトが感じられるかもしれません。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月25日月曜日

ゼロックススーパー杯広島対柏戦を観戦して

Back in action: Saturday's Xerox Super Cup gives Sanfrecce Hiroshima manager Hajime Moriyasu (far left) and his Kashiwa Reysol counterpart Nelsinho (far right) a chance to see their teams in action before the 2013 J. League  season officially begins.こんにちは! 蜻蛉です。 Jリーグが1993年に誕生し今年で20歳。その間、FIFA・W杯開催とW杯出場4回、そして5回目も目前。欧州のビッグクラブで活躍する選手も現れました。日本サッカー界はこの20年間素晴らしい実績を挙げてきております。おめでとうございます。

Jリーグ百年構想の1/5、日本サッカー界はまだまだやらねばならないことが沢山あるはずです。例えば、日本サッカーのレベルを上げるには、選手の能力アップと同様、サッカー界の一人ひとり(サポーターやファンの方々)の支援と能力向上も不可欠です。

来年は新たに、J3リーグが誕生しそうですね。Jリーグが益々繁栄しますよう祈っております。

さてきょうは、一昨日(23日)国立にて、広島サンフレッチェ(J1リーグ優勝)対柏レイソル(天皇杯優勝)による、ゼロックススーパー杯の試合が行われましたので、その試合のコトと特に優勝した広島の森安一監督のコトについて話し合いたいと思います。

試合の結果は1−0で広島が柏に勝って優勝しました。両チームのスタメンはつぎの通り。

広島:GK西川、DF塩谷、千葉、水本、MF青山、森崎和、石川、森崎浩、高萩、清水、FW佐藤。

柏 :GK菅野、DF鈴木、近藤、増島、MF大谷、茨田、キム、L・ドミンゲス、ワグネル、FWクレオ、工藤。

広島交代:佐藤(石原)山岸(石川)。 柏交代:栗沢(茨田)、田中(クレオ)、山中(ワグネル)。

 両チームは今シーズン、リーグ戦と、アジアチャンピオンリーグ(ACL)に備え、強化合宿で、特にフィジカル面に重点を置いたせいか、初の公式戦でしかも昨年度のチャンピオン同士のタイトルマッチということもあって、前半の25分は中盤での硬さの取れない攻防戦で、得点に絡みそうな動きもチャンスもなかった。

 前半28分、ボランチ青山が左サイドからゴール前へクロス、相手の足を掠め、サイドバックの水本がジャンプヘッドで後方に流し、ゴール正面に位置していたエースの佐藤が左足のジャンプボレーキックで強烈なシュート、ボールはゴール右上の隅に吸い込まれ、広島が先制点を決めました。その後も、調子に乗った広島は再三再四柏ゴールにシュートしたが決まらず前半終了。

 前半の広島は、DF陣を固める柏に対して、無理して攻撃に出ず、3バックの塩谷、千葉、森崎和(水本は左サイドのMF)が落ち着いてボールをキープ。その間、MFと交えてパスを繋ぎながら、時折柏DF陣を誘き出すくさびのパスを入れ、ゲームの主導権を握っていた。

 一方の柏は、ツートップのクレオ(新加入)と工藤には、広島の3バックがしっかりとコントロールして、チャンスを与えず、また、ゲームメーカー、レアンドロとワグネルに対しても、MFが絶えずプレッシャーをかけて、好機をあたえなかった。

 後半に入っても、広島は9分と11分と佐藤が立て続けでシュート、ゴールかと思われたが、柏GKの手を掠め得点にはならなかった。このとき佐藤はGK菅野と接触して脚を痛め、14分に石原と交代。エースの抜けた広島に対して、柏がようやく攻撃リズムが出始め、後半17分ゴール正面でFKの得点チャンスがあり、レアンドロがゴール左隅にシュート。広島GK西川がゴールポストにぶつかりながらかろうじて右手でボール弾き出した。20分には、レアンドロの右サイドからのFKを増島がジャンピングヘッド、ボールはクロスバーに当たり外へ。その後も、柏は攻め込みましたが、広島はゴール前を固め(双方に得点チャンスはあったが)そのまま逃げ切り、タイトルを獲得しました。

 この試合の柏は、先日のJ2の千葉との「千葉杯」にて、3−0で完封された試合と比較して、多少調子は上がっていましたが、新加入の選手との連携がまだ取れていないためか、柏の良さが出ないで負けてしまったようです。フォーメーションも昨年の4バックから3バックになり、新加入の鈴木が右で、昨年右だった増島が左にポジションを変更、近藤も鈴木も主審に抗議(調子が良くない証拠)するなどで、まだ互いに呼吸が合ってないように感じました。

 広島は昨年末のクラブW杯でのDF陣のミスとMFの動きが足りないことを、私は指摘しましたが、この試合でのDF陣のミスは後半ゴール前で反則し相手にFKを与えただけで、致命的なミスはなかったように思う。問題のMF高萩、森崎浩、青山は攻守に良く動いてチームに貢献していた。あの得点したときの選手のポジションを見れば、選手がいかに流動的なポジションチェンジをしていたかが分かる。右サイドのボランチ青山が左サイドからクロス。左サイドバック水本がペナルティーエリアのラインに位置。佐藤が水本と同じラインでゴール正面に位置。というように、相手に意表を突くポジションチェンジで得点を決めたわけです。

 広島の選手一人一人が萎縮せず伸び伸びとリラックスして、しかも考えてプレーしているのには、感心しました。これだけ選手の個性を引き出せるには、やはり監督の手腕があってできるコト。就任1年目でJ1優勝、そして今回のスーパー杯優勝に導いた広島の森安一(もりやす・はじめ)監督の功績は大である。

 前にこのブログで彼の現役選手時代のことを記載しましたがここでもう1度取り上げてみようと思います。

 

『森安日本一監督は未来の日本代表監督になる才能あり』

 森安一選手は長崎県生まれで、高校時代は国見や島原商のような有名校出身ではなく、東洋工業の子会社に入社。幸運にも、オフト(オランダ)がコーチで、彼の才能を発見。オフトが日本代表の監督に就任して、当時まったく無名の森安を代表候補の合宿に召集。アルゼンチン代表との親善試合に先発でMFボランチ(守備型MFで、ポルトガル語の舵取りの意)として初出場。試合後のインタビューで、当時のスター、カニージャの「日本の選手で一番やり難かったのは16番(森安)だった。自分が入りたいと思って動くと彼が立っていたんだ」という言葉に記者団は驚き、アッという間に森安の名とボランチという用語が世間に広まったのです。  

テレビカメラで森安のプレーを捕らえようとしても、相手からボールを奪ったら、直ぐに味方にパスしてしまうため、「森安とボールを同時にキャッチした像が画面に現れない」とテレビ関係者を悩ませていたのです。

 その森安が広島の監督就任1年目で、過去1度もリーグ戦えタイトルを獲得したことのない広島をチャンピオンに導いたのは、彼の選手時代に日本代表初招集の1回のチャンスで結果を出した強運を見逃すわけにはいかない。

近い将来、森安は日本代表の監督になれるだけの才能があると、蜻蛉の目はそう見ています。そのわけは、森安監督がベンチやコーチングボックスに立っている姿勢、彼の眼の輝き、そしてオーラを感じさせているコト。それに、彼の広い視野、深い洞察力、旺盛な行動力、即興性がそのまま選手のプレーになって現れているコト。そのうえ感情の起伏が少なく、リラックスした冷静さは監督としての資質は十分備えている。もちろんサッカーの戦術、技術、体力等の知識もあり、センスも感じられる。監督のゆとりが選手に反映して、選手のプレーも遊びがあって、見ていても安心してみていられる。クラブW杯では「リラックス」さが、「気抜け」になったプレーが見ら
れましたが、この試合では、あの悪い癖は修正されていました。

 その意味からも、今後、森安監督の采配と動向に注目する価値があると、蜻蛉は期待しています。
 
 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月22日金曜日

日本柔道界の暴力問題について


こんにちは! 蜻蛉です。 イングランドの名門マンチェスターUで活躍している香川真司選手が、日本サッカー史上初めて、世界サッカー界の最高峰とも言える大舞台(欧州CL決勝トーナメント1回戦スペインの名門Rマドリード対マンU戦―ベルナべウスタジアム)、にて、出場しましたね。素晴らしい出来事ですし、日本サッカー界にとっても大変喜ばしい出来事です。我々サッカーマンにはユメの夢ですからね。現役サッカー選手たちにも、夢でなく、可能性が現れてきたようですね。

一方では、日本代表対ラトビア戦の批評をこのブログにて、本田圭佑(OSKAモスクワ)の膝のことを記載しましたが、以前右膝の手術をしたバルセロナの医師に検診してもらうため、スペインに滞在、というニュースがありました。膝は脚腰を駆使するサッカー選手にとって重要で、しかも大変デリケートな部位です。大事に至らなければと、祈っております。

さてきょうは、サッカーの話題でなく、スポーツ界の暴力問題について話し合いたいと思います。このブログで、昨年の4/7と5/2に『歴史的な観点から覗く日本人の緊張感』に掲載しましたが、今回の問題の根源もこれらと関連しているのではないだろうか、というコトで再度取り上げました。

2月5日、下村博文文部科学相は柔道女子日本代表での指導者による暴力問題を「日本のスポーツ史上最大の危機」として、暴力の根絶を呼びかける異例のメッセージを発表しました。

競技団体ごとの通報窓口設置やトラブルの相談を受け付ける第三者機関の新設も求めた。このメッセージは「スポーツ指導から暴力を一掃するという基本原則に立ち戻り、スポーツ界を挙げて取り組む必要がある」と強調。指導者養成の在り方を改善する必要があるとした。柔道以外についても暴力行為がなかったか実態調査を進めるよう要請した。改革とは、外部有識者による第三者委員会の設置、女子支援体制の強化、女性理事登用、女性監督起用等々。

今回の暴力問題を歴史的に、明治維新後に遡って、考えてみましょう。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せ
よ」

明治維新後、山縣有朋(やまがたありとも)の主唱によって、明治6年に国民皆兵を標榜する徴兵制が導入されました。このとき山縣の念頭にあった近代兵制のキーワードは「統制」でした。これは2つのコトを意味しています。1つは明治政府の指揮に従おうとしない各藩の士族兵を「統御する」コト、第2には、これまで武装したことのない農民や商人ら平民の身体を軍事的に「標準化する」コトです。つまり農民の身体を「標準化する」ことをもって、中央権力に服さない士族兵の身体を「統御する」という2つの水準での「身体の統制」を山縣有朋は企てていたのです。

この軍事的身体加工の「成功」(西南戦争の勝利)をふまえて近代日本は「体操」の導入に進みます。明治19年、文部大臣森有礼(ありのり)は軍隊で行われていた「兵式体操」を学校教育現場に導入します。生徒たちの身体の統制が「道徳の向上」と「近代的な国家体制の完成」に不可欠のものであることを森はただしく看取していたのです。国家主導による体操の普及のねらいはもちろん単なる国民の健康増進や体力の向上ではありません。そうではなくて、それはなによりも「操作可能な身体」、「従順な身体」を造型することでした。

身体を標的する政治技術がめざしているのは、単に身体だけを支配下に置くことではありません。身体の支配を通じて、精神を支配するコトこそこの政治技術の最終目的です。この技術の要諦は、強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されているものが「統御されている」というコトを感知しないで、自ら進んで、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲望に駆り立てられて、従順なる「臣民」として権力の網目の中に自己登録するように仕向けることにあります。

(スポーツはこのような傾向があるようです)

政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、権力は必ず「身体」を標的にします。いかなる政治権力も人間の「精神」にいきなり触れて、意識過程をいじくりまわすことはできません。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せよ」です。

(内田樹著『寝ながら学べる構造主義』文春新書より)

柔道女子日本代表候補選手15名による告発は、「耐えがたき監督、コーチの暴力行為と暴言」とのコトですが、実際に暴力があったのでしょうか。暴行を受けた女性が身体にある障害があったのでしょうか。もし障害があったとしたら、障害事件にまで発展するはずです。まして、15名の告発者の名が公表されず、匿名のままで監督、コーチに、あっさりと辞任させるというのも、何か曖昧さを感じさせます。  

確かに女性たちは苦痛をうけたのでしょうが、スポーツの世界では、大なり小なり万人が経験するものですが、あらゆる社会あらゆる時代において同じ強度で、同じ仕方で、同じ痛みとして経験されるわけではありません。「現に、苦痛が耐えきれなくなる閾値(いきち)には個人差があるだけでなく、その個人がどのような文化的なバックグラウンドを有しているかによっても異なることも知られている」

身体的苦痛のような物理的・生理的経験でさえ、歴史的あるいは文化的な条件付けによってまったく別のモノとなります。何を苦痛と感じ、何を苦痛と感じないか、という「苦痛の閾値」はその人がどういう文化的なネットワークの中に位置しているかによって変化します。

それを逆から言えば、明治維新後のように、身体を文化的な統制、あるいは政治的な技術によって造型し直し、変容し、馴致(じゅんち)することだってできるわけです。

大阪の高校教師による暴力的な行為によってバスケットボール部の主将が自殺したように、似たようなケースが起こっていながら、発覚するまで何の手を打たなかった文部科学省にも問題がありそうです。 

昨夜TVで見た全日本高校女子チアガールリーダース(集団組み体操)にしても、優勝するために危険な難度の技を強いる指導者、落下して首の頚椎を痛めて見学している者、何度も高いところから落下して下の者に支えられている者、それらを離れて全体が見える位置に立って強要している指導者の姿があった。見ていて、チョッとの不注意で重症または死に至る大技を、アシスタントコーチなしでできるのであろうか、もし犠牲者が出れば、誰が責任をとるのか? 誰かを制裁するコトですむだろうか? 

名門校にはこの傾向があるようです。それらの演技を観戦する側からすれば、「素晴らしい」と賛美しますが、もし誰かが犠牲になったとたん指導者は目の敵にされるのではと、そう考えるだけでも、今回の問題に対応した文部科学相の「柔道の指導者の行為を一方的に暴力と決め付けた」姿勢に、私ははなはだ疑問を感じています。また、挨拶やマナーも指導できない全日本柔道連盟に対しても同様です。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!