Japan Soccer 50年

2012年12月25日火曜日

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (6)

こんにちは! 蜻蛉です。 今年最後の世界サッカービッグ・イヴェントであるクラブW杯も、南米代表、コリンチャンス(ブラジル)が、欧州代表、チェルシー(イングランド)に1−0で勝利、栄冠を獲得し幕を閉じました。

 昨日22日は、このブログの『蜻蛉ちゃんのサッカー』の一周年記念日でした。昨年の今頃の私は、「ブログとはなんぞや!」という心境で、パソコンをワープロのように使って、やりはじめました。

私が日本に一時帰国した目的は、私のサッカー人生(日本とペルー)60年の間に学んだコトを、後世に遺すべく綴った原稿を、本にして出版するコトでした。

しかし、現実の日本の事情はペルーで想像していた以上にサッカーが国民に浸透していて、しかもサッカーに関する出版物も多種多様で、知名度の高い人の著書が多く、無名の者の著書などは見向きもされないのではと判断しまして、今日までどこの出版社とも交渉せず、コリン星のようにチャンスを待っている次第です。

この蜻蛉ちゃんのサッカー2冊分(本)の題名は、

1:ワールド・カップ制覇は夢ではない、

日本独自の民族性を活かした変幻自在の『土俗的な忍者式サッカー』

2:世界のトップをめざす日本サッカーのために、

『サッカー文化と異文化の内外相合』

 このブログでは原稿の一部を抜粋していますが、私の構想にある日本サッカーについての見方や感じ方、それに考え方は文章の中で記載しておりますので、少しずつご理解いただけるのでは、と思っております。

 本の出版に関して、もしどなたかご相談にのっていただければ、ぜひ私のメール宛にご一報くださるようお願い申しあげます。

 前置きが長くなってしまいましたが、きょうは、このたびのクラブW杯観戦記の総評を述べてみたいと思います。3位決定戦については、そのなかで合わせて述べるコトにします。

 広島と対戦したオセアニア代表のオークランド(ニュージーランド)は、唯一のアマチュアクラブでした。また、日本人の岩田選手が左サイドバックで出場していましたね。上背が高く、オーストラリアのように力強さがあり、守備面ではその特性が活かされていましたが、攻撃面では、残念ながら、DFラインを下げ過ぎたのか、相手を脅かす積極的なプレー、たとえば、ゴール前にロビングパス(クロス、CK,,FK)を入れて(上背の利を活かして)ヘッドで決める、というパターンがあるのに、それらが見られませんでした。

 アジア代表の蔚山・現代(韓国)は攻撃陣の先鋒FW(ワントップ)の長身(196cm)キム・シンウク選手にロビングボールを集めていましたが、その戦法をあらかじめ読んでいた(対戦相手のモンテレイと広島の)相手DFにクリアーされて、ほとんど機能していませんでした。そのため、エースのFWイ・グノの強引とも思えるプレーと外人選手の動きが多少目立った程度でした。得点はイ・グノのミドルシュート(対アルアハリ)と自殺点にFK(対広島)で計3得点。守備の面でも、アルアハリと広島に各3失点、2試合で計6点という結果で、アジアのチャンピオンとして時折韓国らしいアグレッシブなプレーがありましたが、全体として期待を裏切った感がしました。

 5位のJリーグチャンピオン広島サンフレッチェは、対オークランド戦で相手の守備一辺倒の作戦に悩まされ、広島の良さが出せませんでしたが、対アルアハリ戦では広島らしいパス攻撃でボールを支配し、相手DF陣を脅かしましたが、味方のDFに2つのミスがあり、それで負けたのは惜しまれます。対蔚山戦では最初と最後にミスによる得点を相手に献上しましたが、攻撃面で、キャプテンFW佐藤の活躍とMFが機能していました。広島の得点源であるエース佐藤が2得点と1アシストしてアジアのチャンピオンであり宿敵ライバルでもある韓国のチームに勝ったコトは、日本サッカー界にとっても喜ばしいコトです。

あえて苦言を申すならば、4つのエラーによる4失点とMFの動きが物足りなかった、というマイナス面がありましたが、それを今後の課題として修正すれば、このチームはまだまだ伸びしろがある、という印象を感じました。

 アフリカ代表のアルアハリ(エジプト)は対広島戦では雪による寒さと時差による影響か、本来のダイナミックなスピードのあるサッカーが陰を潜めていたようです。そのためか広島にゲームを支配され、自陣で守る時間が長く苦戦していました。しかし幸運にも相手DFの2つのミスで2得点を獲得。守備面で同点ゴールがありましたが、辛うじて勝ちました。対コリンチャンス戦では、本来の調子を取り戻し、エジプトらしい縦横な動きで、寒さで動きの鈍い、コリンチャンスを悩ませました。不運にもチョッとした虚を突かれ、相手のエースストライカーにヘッドで決められ、相手DFを破るコトができず敗れました。  

3位決定戦のアルアハリ対北米中米カリブ代表モンテレイ(エジプト)戦は両チームは比較的にオープンスペースを空けて攻防。そのため攻守の入れ替えが激しく行われていましたが、最終DFラインが浅いアルアハリの裏をついて、モンテレイが先制点を決めました。その後、チェルシー戦で崩れたDFを立て直したのか、相手の猛攻にも耐え、後半にカウンターから追加点を入れて2−0でモンテレイが勝利。

この試合私は、モンテレイを仮想日本、アルアハリを仮想中東のヨルダンとイラクとして観戦していました。この試合結果にありますように、日本が中東に攻めさす作戦も成功する可能性が高い、という感触を得ました。アルアハリの問題はDFラインが浅いため、後ろに大きな攻撃スペースを相手に与えてしまうリスクがある、というコトです。そのコトは日本代表のDFにも該当すると思います。

3位になったモンテレイは、対蔚山戦でメキシコのチームらしくアグレッシブな動きと長短を交えたパスワークでゲームを支配、最後相手に1点を許したものの、3点先取して楽勝。準決勝の対チェルシー戦は、右サイド守備が崩壊し3点を許し、最後に1点を返したが完敗。しかし、この試合の得点差ほど実力差があったとは思えませんでした。チョッとした気の緩みからその隙間を相手にうまく突かれた、と言えそうです。

優勝候補筆頭だった欧州代表のチェルシー(イングランド)はメキシコ戦で楽勝したものの、対コリンチャンス戦でメンバーを相当入れ替えたコトが影響したのか、対モンテレイ戦のように選手間の連携がうまくいかなかったように感じました。  

「ゴールを決めるべきチャンスに決めないと、それが敗戦の結果(要因の1つ)として現れる」、という1つの例を示してくれたようです。

「惜しいかな?」とか「あれを決めてれば」という悔いを残す言葉に表れてしまうわけです。それがサッカーに限らず、あらゆる勝負事の難しさであるようです。

優勝した南米代表のコリンチャンス(ブラジル)は、対アルアハリ戦では、寒さで、本来の調子を出さなかったのか、前半に先取点を決めて、対チェルシー戦を意識した戦略で手の内をかくしたのかどうかは分かりません。しかし、DF陣が相手に押されても崩れなかったコトは、チェルシー戦でも得点に絡む危険な場面があったのですが、無失点で耐えた要因であり勝因でもあったように、私は感じました。

最近の例にある、日本がフランスとのアウェー戦で守って勝った試合を評して、「守備的な戦術から勝ち点を拾う、言わば弱者のサッカー」というコメントがありましたが、そういう考えが「勝ってる試合を時間を稼いで逃げ切る」、というのを「卑怯なサッカー」ととらえるところに、日本人の考え方に問題がありそうです。

その典型的な例が「ドーハの悲劇」だったのですが、時間がたつと他の問題が目先にあって、過去の教訓を忘れてしまうのでは、という感じを私は持っています。

ブラジルのコリンチャンスがバックラインを引いて守っても、誰も批判しませんよね。同じように引いても相手に大敗するケースはあるのです。

現在の日本代表が相手陣内でボールを支配するのが当然かのように常識になっていますが、それに固守すると、そうならない場合、新たな問題が起きて、その常識に対しても不安になり、「方向転換すべきだ」、という意見が出てきて、知名度の高い実績のある監督やコーチの意見を求めて結論をだす、という筋書きになるのではないですか?懸念を感じています。

変則的なトーナメントのこのW杯は、準決勝までの様子では失敗のように思われましたが、決勝戦で横浜のスタジアムを大観衆で埋めて、しかも気候もそれまでの寒さとは打って変わり気温が上昇し、プレーする選手にも、また、観衆にとっても絶好のコンディションの下で行われたのは幸いでした。

そのお陰でしょうか、得点こそ1点でしたが、両チームは力を最後まで出し合って、内容のある素晴らしい試合をしてくれましたので、それまでの物足り不満を一気に吹き飛ばしてくれました。

スタジアムの半分を3万人(広島のスタジアムを満席する人数)のサポーターで埋めつくし、南米のスタジアムのような応援で舞台を盛り上げてくれたコリンチャンスのサポーターこそ、クラブ世界一の名に相応しいと思いました。

以上で、2012年のクラブFIFA・W杯サッカー観戦記のページを閉じることにします。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

蜻蛉ちゃんコト竹嶋住夫のE−メール:sumiotakeshima@yahoo.co.jp

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (5)


「コリン星、チェルシースターを退け、横浜の空を栄冠で輝かさせた!」

 サッカー界の星の王座は5年の間欧州のスター勢力に占拠されていた。その座を奪回すべく、南米のスターは、ブラジルの雄コリン星軍団を決戦の地日本に送った。 
 

2012年12月16日の夜、王座の決戦は予想通り、欧州の強豪イングランドのチェルシースター軍団とコリン星軍団の対戦となった。

コリン星は、この王座奪回のチャンスに、ペルーの請負戦士ゲレーロを雇って、チェルシースター軍団の鉄壁の壁(ゴール)を掠奪、猛反撃されても、守護神である聖カッシオに支えられ、世界の星の王座奪回に成功した。

その夜の横浜の空はコリン星の歓喜に包まれキラキラと輝いていた。

こんにちは! 蜻蛉です。 クラブW杯で、南米代表コリンチャンス(ブラジル)が欧州代表チェルシー(イングランド)を1−0で破り、世界の頂点に立ちました。最後のタイムアップ寸前まで、世界一決定戦に相応しい、スリルに富む素晴らしいサッカーの攻防で魅させてくれました。

最初に記載した「コリン星‐‐‐」は、チャンピオンになったコリンチャンスという名前をコリンとチャンスに分離させ、ペルー人のストライカーの名がゲレーロ(Gurrero)=戦士という意味と彼のあだ名がデプレダドール(depredador)=掠奪者と呼ばれているるコト、ゴールを死守したGKカッシオの奇跡を起こす聖人のようなプレーから名前の頭に聖(英語のa saint)を付け、サッカー界のスター(星)軍団を喩えて、駄洒落のような遊びの文章を組み立てた、というわけです。

きょうはこの試合について話し合いたいと思います。私は正直なところ、日本のサッカー関係者やサッカーファンが、スペイン代表やFCバルセロナに代表される、欧州のサッカーを崇拝し、ブラジルとアルゼンチンのサッカーを少し見下ろすような傾向があるのでは、とペルーから日本に一時帰国して以来、日本サッカー界を垣間見てきてそう感じております。

ですからこの試合、南米サッカーを代表するブラジルのコリンチャンスが、欧州サッカーを代表するイングランドのチェルシーにどういう戦いをするか? 

それに、低迷しているペルーサッカー界から、久しぶりに世界の檜舞台にコリンチャンスの一員として登場するパウロ・ゲレーロが、日本のサッカーファンの前で、彼が持っているストライカーとしての実力を示してくれるだろうか?

また、この試合にかける両チーム監督の駆け引きと采配ぶりどうだろうか?等々。期待と心配と興味をまじえて観戦しました。

両チームの先発は、

(チェルシー):GKチェフ、DFイバノビッチ、ケーヒル、D・ルイス、A・コール、MF(ボランチ)ラミーレス、ランパード、(アタッカー)モーゼス、マタ、アザール、FWトーレス。 ベニッテス監督

(コリンチャンス):GKカッシオ、DFアレサンドロ、シカン、P・アンドレ、F・サントス、MF(ボランチ)パウリーニョ、ラウフィ、(アタッカー)エンリケ、ダニーロ、エメルソン、FWゲレーロ。 ティティ(チチ)監督

 チェルシーは準決勝の対メキシコ戦の先発と比べ大幅にメンバーチェンジ。DFのアスピリクエタを外してMFボランチのD・ルイスが入り、MFボランチはミケルを外しラミーレスとランパードを入れ、同アタッカーのオスカルを外しモーゼスを入れました。

 一方のコリンチャンスはMFアタッカーのドウグラスをホルへ・エンリケに代えただけでした。

 前半開始早々から、チェルシーはパワーとスピードでコリンチャス陣内を支配し、10分には(チ)ケーヒルのヘッドによるシュートを(コ)GKがゴールのライン上で坐った姿勢でボールをキャッチ。

その後、21分コリンチャンスもトップのゲレーロが相手の股間を抜いてゴールライン際から持ち込み相手のタックルで倒れてPKを訴えたが主審はその続行。

27分再びゲレーロはゴール前中央でエメルソに絶妙なスルーパス、GKと1対1でシュートするも力み過ぎてボールはバーを越え失敗。

33分ゲレーロはゴールエリア右サイドで、絶妙な胸のトラップでワンタッチコントロールして相手DFを サッと右に交わしてファーポストにパスを流したが味方の詰めが遅く得点にならず。

チェルシーも35分ゴール正面からモーゼスがシュートするもGKはパンチで逃れ、その後は一進一退で前半0−0で折り返しました。

 後半、チェルシーのスピード攻撃になれたコリンチャスは縦横にブラジルらしいリズムのテクニックと動きでチェルシーの守備網を分断し、得点のチャンスがありましたが、チェルシーのDF陣も最終ラインがしっかりと守り得点を許さず。     

69分(後半24分)コリンチャンスはゴール前の攻防からクリアーされたボールを(コ)MFパウリーニョがゴール正面の右サイドで拾い、ペナルティエリアのラインと平行にドリブルしながら左サイドに位置していたMFダニーロへパス、ダニーロがゴールに向けてクロスしたボールが相手DFの足に当たり、それがファーポストの近くに位置していたFWゲレーロの前に逸れ、ゲレーロはそのボールをジャンプヘッドしてゴール左隅にシュート、その時、ゴールライン上に位置していた、(チ)DFコールとルイスがジャンプするも届かず、ボールはネットに吸い込まれてゴール。コリンチャンスが0−0の均衡を破る先制点を、私が期待していたゲレーロが決めました。3万人?
のファンが絶叫し、試合を盛り上げてくれました。

 チェルシーもその得点でショックを受けながらも、ゴール前にロビングボールを入れてコリンチャンスのDF陣を脅かしましたが、(コ)GKカッシオの神業のようなプレーと、DF陣のカラダを張った防御網を破れませんでした。

アディショナルタイムに入り、左サイドからのロビングをF・トーレスがジャンプヘッド、ボールはゴール右ポスト内側のネットを揺るがし同点ゴールと思われました。しかし、線審の旗がオフサイドを示し万事休す。主審のタイムアップの笛が鳴り、コリンチャンスがこの大会2度目のタイトルを獲得しました。

 この試合の明暗は、前の試合でアルアハリ(エジプト)に苦戦したコリンチャンスがMFの選手1人を交代させただけチームの母体を維持したのに対して、前の試合のモンテレイ(メキシコ)で楽勝したチェルシーは、攻撃面で機能していた左サイドの駆け引きの巧いMFアタッカーのオスカル(ブラジル)と大活躍したアザール、ボランチで攻守に光っていたD・ルイス(ブラジル)、DF左サイドバックで積極的に攻撃参加していたA・コールのうち、オスカルを外し、D・ルイスを本来のセンターバックに下げ、母体を崩してしまったコトにあるのです。

 結果的にはコリンチャンスは相手の左サイドのアザールを中心とした攻撃を警戒して、右サイドに攻守において柔軟な対応ができるホルへ・エンリケを入れ、(おそらく監督からの指示で)相手のカウンターに備えて、後ろからの飛び出しを抑える使命を与えられていたように見えました。

エンリケは技術的にもコントロールが優れ、相手に自由にプレーさせない地味ないい選手と感じました。そのためアザールは前の試合のような味方の援護がなく、孤立状態でドリブルで強引に抜こうとしていました。ブラジルのDFはネイマルのような選手と対戦して、マンマークは慣れていて容易にDF網を破れませんでした。

マタ、オスカルのポジションにマタとブラジル人の(ボランチ)ラミーレスが入ったりしていましたが、ほとんどコリンチャンスの堅いDF陣に跳ね返され、逆に、カウンター攻撃をくらうなど、前の試合のようなわけにはいかなかったようです。

私が予想したとおり、2試合続けてよいコンディションで戦うのは難しい、と述べましたが、この試合はコリンチャンスが上昇し、逆に、チェルシーが下降して、それが結果として現れたのでは、と私は感じました。

チェルシーのベニッテス監督は、

なぜコンディションがよくなかったランパードを先発させたのか?イングランドとクラブのアイドルだからと気を使ったのだろうか? 

それに、ブラジルのチーム相手で3人のブラジル代表の選手を同時に使うのを、なぜ躊躇したのか? 

私が最も疑問視したのは、なぜ前の試合で攻撃と守備の起点になって大活躍していたダビッド・ルイスをセンターバックに下げたのか?

いくら技術が高い選手でも、周囲の選手が変われば、そう簡単にコンビネーションプレーを即興的に適合させるのは、たとえ、事前の打ち合わせがあったとしても不確定要素のあるリスクをもたらすのでは、と私はそう感じました。 

まして、相手は百戦錬磨の南米チャンピオン、ブラジルのコリンチャンスです。コリンチャンスの選手が、プレー中にパウサを入れ、上手にリズムを変えて、プレーにメリハリがあったのですが、それに気がつきましたか? 

このブログで、前に何度も「パウサ(pausa)」という言葉を使ってきました。この言葉はスペイン語で、文章の句読点にも使われて、止まる、休むという意味です。たとえば、サッカーでは、早いドリブルから急にピタッと止まり、少し間をおいてパスしたり、方向転換したり、シュートしたり、再びドリブルするなど、チョッと間を置くだけで、相手の動きを止めて、その僅かな瞬間に、局面を変えるプレーができるのです。

文章もセンテンスが長すぎると読みにくいし、意味が分かりにくいように、間に句読点を入れれば、文章もメリハリがあって読みやすくなるように、パウサを入れてプレーすると、余裕が保たれ視野も広くなります。それでチェルシーの選手がマークに入っても、簡単にタックルできない状態にされていたのです。

日本の選手にも上手にパウサを入れている選手もいますが、南米の選手のように小さい子どものころからストリートサッカーやミニゲームでカラダをぶつけ合いながら自然と身のこなしをカラダの内部感覚で本能的にプレーできるのと違い、まだ不自然なところがあります。しかし、練習で意識してそのような状況を設定して何度も練習すれば自然と無意識にパウサを使ってプレーができるようになるでしょう。

次回は3位決定戦の試合とこの大会を観戦してきた総評を述べてみたいと考えています。

最後に、エジプトのクラブの名前「アルアハリ」を誤って「アルハアリ」と当初から記載してしまいましたので、ここでお詫び申し上げます。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年12月17日月曜日

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (4)


こんにちは! 蜻蛉です。もう半月で正月を迎える‐-‐? 実感が湧きません。南米ペルーに移住して以来、36年ぶりの日本でまる1年(2012年)を過ごすコトができるなんて考えてもいませんでした。

 さてきょうは、クラブW杯準決勝2試合について話し合いたいと思います。試合の結果は、皆さんが既にご承知のように、(12日トヨタ・スタジアム)南米代表のコリンチャンス(ブラジル)がアフリカ代表のアルハアリ(エジプト)に1−0で辛勝、また、(13日横浜国際競技場)欧州代表のチェルシー(イングランド)が北中米カリブ代表モンテレイ(メキシコ)に3−1で圧勝しました。

 南米に住む私が期待していましたコリンチャンスはサッカー王国ブラジルらしからぬ重い出足で、エジプトサッカーのリズムを取り戻したアルハアリにゲームを支配されていました。

しかし、前半(?分)コリンチャンスの左コーナーキック(CK)から中央にはじき返されたボールが、味方を経由して、再び左サイドライン際に位置していたMFドウグラス(CKのキッカー)に渡り、彼は直ぐにゴール前にロビングクロスを入れ、ワントップのストライカーであるゲレーロが後ろに倒れるような格好でヘディングシュートを決めました。

そのシュートに対してGKは、ヘッドの構えからはコースが予測できず、反応が遅れて、ゴールを許してしまいました。しかし、このシュートは、ゲレーロがストライカーであるコトを証明した、難しい体勢でのプレーでした。

この得点を決めたパオロ・ゲレーロはペルー人ですから、広島の佐藤寿人選手と並んで、この大会で私が最も注目していた選手の一人です。

彼は、大惨事で死亡した“アリアンサ・リマ”のGKでペルー代表でもあったホセ・ゴンサレス・ガノーサの甥にあたり、16歳まで同クラブの下部組織でプレー(同期にはドイツのシャルケ04で内田篤人の同僚ジェファーソン・ファルファンもいました)していた頃、ストライカーとして優れた技術と体格に恵まれた素質に惚れ込んだドイツのバイエルン(B)・ミュンヘン(当時同クラブにはアリアンサ出身のペルー人で、現在も同クラブに所属している、クラウディオ・ピサッロが、ストライカーとして活躍していました)に引き抜かれ同クラブのユースでトップを目指しゴールゲッターとして活躍していました。

しかし、当時、トップチームのB・ミュンヘンは世界トップクラスの選手がひしめき合っていて、若い彼はベンチ入りはしたものの、出場チャンスがあまりなかったようで、同じドイツのハンブルガーSVの要望で貸与された後、活躍が認められ、完全移籍。今年の数ヶ月前まで同チームのストライカーとして活躍していました。

ペルー代表としても、今年の南米選手権(コパ・アメリカ)にて得点王に輝き、クラブW杯で世界一を目指すコリンチャンスが、その得点能力に期待して、彼を獲得したのでした。

コリンチャンスでは、ストライカー9番として活躍しはじめた矢先、今月はじめの、同じサンパウロ州の永遠のライバル、サンパウロFCとの対戦でゴールを決めた後膝を痛めこの大会出場が危ぶまれていました。ティティ監督は戦術上ワントップの9番ができるのはゲレーロしかいない、というコトで、出場の可能性を期待して、日本行きのメンバーに登録したのでした。

心配された負傷も予想以上に早く回復し、この試合に間に合ったというわけです。

この試合でゴールを決めましたが、私が知っているゲレーロのプレーとはほど遠い感じがしました。その要因のひとつは、ケガによる練習不足による体重過剰からくる体力不足であり、もうひとつは膝の負傷による再発の怖れで、思いっきりプレーが発揮できないのでは、という問題点が予測されます。

 コリンチャンスは、この虎の子の1点を守り抜き、決勝への進出を決めましたが、おそらく暑い夏の気候のブラジルから真冬のような日本の寒さと時差が影響したのでしょう。動きもプレーの鋭さも余裕もブラジルらしさが影を潜め、対広島戦で雪と寒さで苦しんでいた一方のアルハアリは、一戦を交えたコトで寒さにも慣れ、前の試合とはうって変わり、エジプトらしい柔軟で激しい動きのサッカーのリズムを取り戻し、再三再四ブラジルのDF陣とゴールを脅かしていました。

 コリンチャンスは苦戦に追い込まれながらも、DF陣が崩れず守り抜いた、というコトはチェルシーとの決勝戦に活きてくるであろうか、と感じました。

 チェルシー対モンテレイ戦の前、私はモンテレイのプレーに注目するコトを皆さんに奨めました。おそらく「なぜなのだろうか?」と疑問をもたれたコトでしょう。 

その理由は次のコトからです。その一つは、皆さんが欧州の世界トップクラスのチェルシーに関心をよせているのは当然ですが、日本代表がチェルシーと同じサッカーを目指しているわけではありません。

ですから、日本がW杯で世界と伍して戦うためには、欧州でフランスとブラジルを相手に2連戦しましたように、日本サッカーがより強く、より向上していくためには、世界の強豪との戦いは不可欠です。

この試合はメキシコサッカーのスタイルが日本とよく似ているコトから、モンテレイを仮想日本として観戦すれば、チェルシーのフェルナンド・トーレス、アザール、マタ、オスカル、ダビッド・ルイス、A・コール、ランパートといった名のある選手たちのプレーに気をとらわれず、強豪を相手にするモンテレイ(日本)のプレーを冷静に観察できるのでは、というのがもう一つの理由です。

チェルシーのベニッテス暫定監督はスペイン人で元リバプール(イングランド)の監督でしたが、この大会のために、

「ストライカーのトーレスを活かせる監督は誰が適任か?」

と人選したところ、同じスペイン人で実績もある彼を指名した由来があるのです。

短期間の指導で結果を出すコトを求められていたのですから、リバプール時代のトーレスとスペイン人のマタ、D・ルイスといった監督のコンセプトをよく理解した選手たちを通して、エースストライカーのトーレスを活かす戦略を企てたのです。

それが見事に的中して、トーレスとマタ、それにアザールやD・ルイス、A・コールといった選手たちの活躍を引き出したのでした。

そのコトが前もって分かっていながら、モンテレイのブセティク監督はその対応を怠ったのか、選手自身がチェルシーのアグレッシブな攻撃に戸惑ったのか、それとも、選手が監督の指示に従わなかったのか、その真相は分かりませんが、モンテレイの右サイドの守備は、チェルシーの左サイドからの攻撃に翻弄されていました。

前半17分、チェルシーは左サイドからMFオスカルに縦パスを入れ、彼はパスを受けながら振り向かず、相手を背後からマークさせたままボールをキープしながら後方に戻り、その瞬間後方から走り込んで来たサイドバックA・コールと交差しながらヒールキックでゴールライン方向に落とし、コールはすかさずゴール前でフリーのMFマタにグラウンダーのクロスを入れました。マタは落ち着いてゴール左にシュートを決めて、チェルシーが均衡を破り1−0で先行しました。

その後は、それまでチェルシーのスピード攻撃に戸惑っていたモンテレイですが、時間の経過と共に慣れるに従い、本来のリラックスしたリズムを取り戻していました。
正確で落ち着いたボールコントロールで速いパスを繋ぎ、守っては早いつぶしのインターセプトで互角に戦っていました。前半1−0で終了。

後半に入り開始早々1分、立ち上がりからチェルシーは、弱い右サイドの相手守備を突き、アザールが左サイドから見事なドリブルを駆使して3人の相手DFを交わし、ゴールライン際まで持ち込み、右後方に位置していたトーレスにプルバックで渡し、彼はそのパスを右足でゴールに向けてシュート、ボールは相手DFの足に当たりゴールに吸い込まれ2−0と引き離しました。

束の間の後半3分、チェルシーはトーレスが左サイドからドリブルしながら前の選手に短いパス、それを受けた味方の選手が、交差するようにしながら、足の裏でボールを後方に落とし、トーレスはそれを受けてゴール左手前まで持ち込み、右足のアウトサイドでファーポストの右側にパス、そこに現れたマタがゴール前にクロスしたボールが帰陣してきた選手の足に当たりオウンゴール、アッという間に3−0で試合を決定付けてしまいました。

その後は、チェルシーが少し気を緩めたのか、モンテレイが反撃したのかは分かりませんが、終了間際のアディショナルタイムにて、モンテレイのストライカー、ディ・グリスに右サイドの角度のない位置からシュートを決めらましたが、それで主審のタイムアップの笛が鳴りチェルシーが3−1で勝利、16日コリンチャンスとの王座をかけた決勝戦に進みました。

試合後TVの解説者?「格がちがいましたね!」とコメントしていましたが、本当にそう思いましたか? 結果と見た目の印象ではそう感じたかもしれませんが、私蜻蛉の目にはそうとは映りませんでした。

メキシコの選手は、相手のプレッシャーに対して、日本の選手のようにアッサリと安易にバックパスで逃れるようなプレーをしていましたか? 私の目にはプレッシャーに怖れず、リラックスに相手と向き合い、冷静にプレーしていたように見えました。このプレーは日本代表の選手に限らず、すべての選手が見習う必要があります。そのプレーできてこそ世界のトップクラスの選手たちと互角に戦えるのです。

前にも広島の選手のプレーで指摘しましたように、「リラックス」と「気の抜けた」プレーを混同してしまう意識の虚に問題がありそうです。

「集中せよ!」というコトの意味は、そういう「意識の虚による怠慢とか緩慢なプレーをするな!」というコトです。

 そういう意味からすると、モンテレイの右サイドの選手たちのミスはそのような傾向があったように、感じました。この他にも、最初のウルサン戦で調子が良かったモンテレイは、時差と移動とスタジアムの環境の違いに加え、寒さによる疲れが現れ、それらが原因で、時折集中力を欠く結果にもなっていたように感じました。

 相手をマークする場合、直接ボールをキープする相手へのズレが連鎖的にカバーする味方にも影響してズレてしまうコトがあるようです。

1点目の場合、ボールをキープしていたオスカルの後ろにマークしていた選手が、後方に戻るオスカルと後方から走ってきたA・コールを同時に視野に入れていなかったというプレーに問題があるのです。相手のおスカルは後ろ向きでしたので、危険な状況ではなかったのに、マークする相手の動きに気を取られて、密着し過ぎて、視界が狭くなり、危険な相手が進入してくるのを見逃してしまったところに、そのミスの原因があったのだと思います。

 2点目の場合は、アザールの単身ドリブルに3人の選手が簡単に抜かれ、しかもストライカーのトーレスに誰もマークする選手がいなかったというコトです。

現代サッカーの主流とも言える速いタッチのパスゲームに対してゾーンシフトに慣れた選手たちは、ドリブルで向かってくる選手に、マンツーマンで上手な詰めとタックルができなくなったのでしょうか?アザール、メッシ、ロナルド、ファルカンといった優秀なドリブルの名手に簡単にゴールを許してしまう、という欠点を暴露しているように感じています。

3点目も1点目と同じミスをおかし、トーレスにドリブルで簡単に振り切られて、マタのクロスがオウンゴールになってしまったのです。

 右サイドからの危険な攻撃はまったくなかったと言えるほどでしたから、モンテレイにしてみれば、もし右サイドの選手たちの不手際がなければ、互角に戦えたのではないか、というのが蜻蛉の目で見た感想です。

 明日16日は3位決定戦と世界一を決める試合が予定されています。準決勝の試合から見れば、チェルシーが優勢ですが、南米でのW杯予選にて、2試合単位で、この大会と同じような間隔の日程で試合が行われています。理由はよく分りませんが、2試合続けて、よいコンディションで、試合に勝つのは大変難しいようです。  

それでいくとコリンにもチャンスがありそうです。どちらにせよ、世界一の決定戦に相応しい、勝負だけに拘らない、内容のある試合を両チームに披露してもらいたいですね。

最後に、この試合をコントロールする審判諸氏にも、公平な審判をしてもらいたいと願い、この長い?ページを閉じたいと思います。

以上が蜻蛉のつぶやきです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年12月14日金曜日

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (3)


こんにちは! 蜻蛉です。クラブW杯の5位決定戦と準決勝は、昨日(12日)トヨタ・スタジアム(愛知)で行われ、Jリーグ・チャンピオン広島サンフレッチェがアジア・チャンピオンのウルサン・ヒュンダイ(韓国)に3−2で勝利して5位、南米・チャンピオンのコリンチャンス(ブラジル)はアフリカ・チャンピオンのアルハアリ(エジプト)に1−0で辛勝、決勝進出を決めました。

 さてきょうは、広島対ウルサンの試合だけについて話し合いたいと思います。

広島対ウルサンの試合は、ロンドン五輪での日韓による3位決定戦で、日本は宿敵韓国に敗れ、銅メダルを逸するという生々しい記憶を残した後の最初の日韓戦ですので、「日本代表の広島が韓国代表のウルサンとどういう戦いをするだろうか?」と大変興味深く期待しながら(TVにて)観戦しました。

 広島のスタメンは、GK西川、DFファン・ソッコ、塩谷、水本、MF(ボランチ)青山、森崎和(石原)、MF(アタッカー)石川(千葉)、高萩、森崎浩、山岸(清水)、FW佐藤。カッコ内は交代選手。

 広島はアルハアリ戦のメンバーとは異なり、顔面を負傷したGKの西川が復帰、同じく負傷した右DF森脇に代えファン・ソッコ、致命的なミスをしたセンターバックの千葉に代え塩谷、MF右サイドアタッカーのミキッチに代え石川、左サイドの清水に代えて山岸というように、大幅にメンバーチェンジをしていました。

 試合開始早々、ウルサンはダイナミックな動きで広島陣内に攻め込み、広島のDF陣を脅かしましたが、広島も徐々に盛り返して均衡を保ちかけていました。

 しかし、前半17分広島は思わぬDFのミスにて失点。DF水本がゴール前にて斜め前から来たボールを後ろに振り向いてトラップしてゴールへ向かってバックパス。GK不在の無人ゴールにボールは吸い込まれ、相手のウルサンに先制点を献上。

 この試合も広島は反撃し同点ゴール。前半35分、相手ゴール斜め右約25メートルの位置からMF森崎浩が左足でキック、ボールは弧を描いて相手ゴール左ポストの手前へ、FW佐藤がヘッドで合わせてシュート、相手GKが足で止めたこぼれ球をMF山岸がすかさず飛び込み足でプッシュし1−1の同点。

 その後の広島は同点で少し気が緩んだのか、第一戦試合で私が指摘したMFのアタッカーの動きが緩慢になり、ウルサンに押し込まれる場面が再三あったが得点までに結びつかず、前半1−1で終了。

 後半戦は立ち上がりウルサンがボールを支配していましたが、11分広島はMF森崎和、青山、高萩、森崎浩が中盤から前後に緩急を入れた絶妙なパスを繋ぎ、左サイドのMF山岸にパス、山岸は間髪入れずゴールのファーポストに向かってクロス、相手GKがキャッチしようと構えていたところにFW佐藤が前を横切るように飛び込み足に少しカスッて直接ネットに刺さる見事なゴールを決めて2−1。 

 その後のウルサンは15分にMFラフィーニョのシュートをGK西川が足で防いでから、ガタッと動きが止まり広島ペースでゲームは展開。

27分佐藤と高萩が相手ゴール前でパスを交わし佐藤がシュートを決めて3−1と引き離し、その後も追加点ができると思われましたが、攻めずに時間稼ぎかのようなバックパスの繰り返し、アディショナルタイムにてDF塩谷が不用意な切り替えしで相手にボールを奪われ、その瞬間に反則をおかし相手にFKが与えられ、それでゴールを決められたところで主審のタイムアップの笛がなり、広島が3−2で韓国のウルサンに勝利、5位を確保しました。

 広島の3試合を振り返って私が感じたコトは、キャプテンでエースでもある佐藤寿人を中心によく纏まった組織力のあるチームだ、という印象を強く受けました。また、このチームだったら準決勝に進んでもおかしくない、と思えるほど、ピッチ上で、その実力を示していました。しかしその半面残念なコトに、3試合の4失点すべてが、味方の不用意なエラーから生まれていたのは実に惜しまれます。

 そのエラーの原因は、広島の長所でもあるリラックスしたプレーが、ときおり、気の抜けたプレー(意識の虚)となって現れていたのです。そのために、試合中は集中力を欠かさないコトが大切だ、と感じました。

特に、MFのトップ下の高萩と森崎浩、それにボランチの青山と森崎和の、時折現れる緩慢なプレーが、最終ラインのDFの3人にもその癖が乗り移って、その結果、致命的なエラーとなって現れたようにも感じられました。

一人一人のボール扱いは実に丁寧で素晴らしいのですが、逆にそれらがスピードというかプレーのテンポを遅らせている原因にもなっているようです。

 攻撃に関しては佐藤のゴール前の動きの素晴らしさが目立ちました。しかし、両サイドからのクロスの不正確さが目立ち得点まで結びつきませんでした。それにMFの横への動きと縦への飛び出しの動きがなかったのには不満を感じました。

MFはボールがあるときの動きはよいのですが、ボールなしのときに止まっていたり歩いていたりで、相手がカウンター攻撃を仕掛けてきた場合に、帰陣が遅れて、致命的な結果にもなる恐れがあるコトを考慮してプレーするコトが望まれます。

 これら一連の課題を克服すれば、広島は来季のJリーグ連覇もACLのチャンピオンも期待できそうです。それだけの器がある素晴らしいチームでした。

 この広島サンフレッッチェで忘れてならないのは森安一監督の功績です。彼は、現役選手時代、当時のオフト日本代表監督の指揮のもと、無名のボランチとして、南米の強豪アルゼンチンを相手に堂々とデビューしていたのです。その試合後、当時世界的にも有名だった、MFのカニージャ選手に、ある記者が、「日本の選手で誰が印象に残ったですか?」と質問したとき、彼は、「16番(森安)が一番いやだった、コースに入ろうとするとその選手がいるのにはまいった」と応えたそうです。

その当時は、まだ「ボランチ」というポルトガル語の「舵取り」という言葉の意味もその機能も一般的には知られていなかったのですが、「森安」の名がクローズアップされてから、あっという間に、その言葉が広められたのです。

 監督就任1年目の彼は、広島をJリーグ初優勝させ、今回のクラブW杯で世界の強豪相手に堂々と戦いました。彼の手腕は、現役時代に養われた彼の先々を読む能力と経験が監督の仕事にも活かされているように感じました。

 それとJリーグのMVPをはじめ賞を独り占めした佐藤寿人こそ、広島の大看板、全試合出場、警告なし、得点王と、素晴らしい模範を示してくれた素晴らしい選手です。この大会でも、味方だけでなく相手の選手からも好かれている様子が、画面を通して見ることができました。ぜひ、これからも日本サッカー界を牽引して欲しい選手の一人です。

 昨夜のコリンチャンス対アルハアリの試合のコトについては次回に取り上げたいと考えています。よろしくお願いします。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年12月11日火曜日

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (2)


こんにちは! 蜻蛉です。 昨日(9日)クラブW杯の試合が行われました愛知県の豊田スタジアムは、雪が降っていましたね。

雪で想い出されるのは、今から約30年前、現在のクラブW杯のベースにもなっていますトヨタカップ“インターコンチネンタル杯”、欧州代表FCポルト(ポルトガル)対南米代表ぺニャロール(ウルグァイ)の試合です。

その日は大雪で、国立競技場のピッチは雪で覆われ、それこそ雪合戦の様相のゲームでした。またその試合前には黙祷がありました。
その年の12月8日、ペルーのプロサッカークラブで、最も古く、もっとも人気のある“ALIANZA LIMA”(アリアンサ・リマ)の選手団を乗せた軍用機が、ペルーの地方都市プカルパからの帰途、ペルーの首都リマ市の海上に墜落し、パイロット1人が救助された以外、乗務員、団長、監督・コーチ、選手、審判、応援団が全員死亡するという大事故がありました。その黙祷は、事故で亡くなられたサッカー関係者への、冥福の祈りだったのです。

当時のアリアンサは、将来ペルーサッカー界を背負うだろうと目されていた選手が揃っていましたから、それこそペルーの国民にとっても、もちろん私にとっても大ショックでした。

それまでペルーはW杯に2回連続出場していましたが、86年のメキシコ大会から2010年の南アフリカ大会まで出場できないのは、その事故のショックの後遺症が尾を引いているかのように思われます。
日本サッカー界にとってもこの事故は他人事ではありません。それも飛行機とは限りません。すべての面で危険防止の安全対策を怠らないコトが大切だと思います。

Hisato Sato (R) of  Sanfrecce Hiroshima challenges with Ahmed Fathi (L) and Wael Gomaa (R) of Al-Ahly SC during the FIFA Club World Cup Quarter Final match between Sanfrecce Hiroshima and Al-Ahly SC at Toyota Stadium on December 9, 2012 in Toyota, Japan.さてきょうは、昨日のクラブW杯準々決勝、Jリーグ代表広島サンフレッチェ対アフリカ代表アルハアリ(エジプト)の試合のコトについて語り合いましょう。

この試合、広島にとっては残念でしたが、サッカー関係者やファンにとっても、

「ゲームを支配しましたけれど、勝負で負けてしまいました」

という事実(サッカーのゲームはこういうコトが起こるのだ)を、ぜひ教訓として銘記しておいてもらいたいと願います。 

 この試合、立ち上がりから広島は、ボールを支配しながらゲームの主導権を握っていましたが、GK西川がゴール前の混戦で相手選手と激突して、顔面を負傷して退場するというアクシデントがあり、増田と交代。

 それが多少影響したのか、前半15分、広島の左サイドにミスがあり、相手選手に右サイドから簡単にドリブルでゴールライン際までフリーにボールを持ち込まれ、プルバック(斜め後方へのクロス)によるパスで、ゴール正面に位置していたMFハムディに、軽く左ポストの内側にプッシュされ、先制点を奪われました。

 この得点で、国際試合の経験が浅く、しかもGK交代による守備面の不安という焦りから、広島は自己崩壊するのではと心配されました。

第一戦の対オークランドとの戦評にて、

「DF陣が相手が攻めてこないのに前線に縦パスを入れたり、サイドからクロス

をゴール前に入れたりで、相手のDF網を破る破格的なプレーが見られない」

コトを、私は指摘しました。  

しかしその後の広島は、前の試合とはうってかわって、最終ラインの選手たちが、しっかりとボールをキープして、攻撃の起点になろうという姿勢がプレーの随所にて現れていました。これら一連の動きが、相手DFラインを前進させ、その裏にパスを入れて、両サイドの選手が再三フリーで抜け出し、ゴール前にクロスして、得点かなと思わせるシーンが何回かありました。

前半32分、左からのコーナーキック(CK)からMFミキッチがヘッドで右斜め前に落とし、エースストライカーの佐藤が右足(彼は左きき)で狙いすませたかのように同点弾を決めました。その後も、決定的と思われた勝ち越し点のチャンスもあったのですが結実せず、前半1−1の同点で折り返しました。

この日の2列目の攻撃陣、ミキッチ、森崎浩司、高萩、清水のラインの動きが前後、左右にボールを動かし、相手のDFをよく引き出していたプレーも、相手の裏のスペースに再三突破できた要因であったように思われます。

後半も同じペースで展開していましたが、不運にも、後半12分、相手の縦へのロビングによるパスが、広島ゴール前ペナルティライン上で、センターバックの千葉が相手のエースストライカーであるアブトレイカに競り負け、勝ち越し点を許してしまいました。

このときの千葉のポジションは相手の後ろに立たず、前に立っていたため、ボールをヘッドで捕らえられず後方に落としてしまい、相手にフリーで奪われシュートさせてしまった、という致命的なエラーをおかしてしまったのです。

この日の広島はJリーグのチャンピオンらしく最後まで諦めず、アフリカのチャンピオンを相手に堂々と互角以上に攻めまくっていました。後半35分、バックラインを抜け出した佐藤がフリーで、GKと1対1で向き合い、左足でシュートして、決まったかな?と思われましたが、ボールは惜しくも右ポストの外に逸れてしまい、絶好の同点チャンスを逃してしまいました。

前に述べましたように、広島は勝って当然と思われるゲーム展開をしながら、守備における、たった2つのエラーがそれぞれ得点に結びついてしまい、しかも得点できたと思われた場面で決めるコトができず、結果的には勝負で負けてしまったわけです。この教訓は日本サッカー界全体の問題であり、指導者の重大な課題です。

この試合の前に、アジアのチャンピオンのウルサン・ヒュンダイ(韓国)と北中米カリブチャンピオンのモンテレイ(メキシコ)との対戦がありました。

試合の結果はモンテレイが3−1でヒュンダイに勝利、準決勝で欧州チャンピオンのチェルシー(イングランド)と対戦します。

おそらく日本のサッカーファンの方々は、優勝戦はチェルシーと南米チャンピオンのコリンチャンス(ブラジル)との対戦を期待しておられるでしょうが、サッカーの指導者や選手には、メキシコのサッカーを特に注意して観戦して欲しいのです。と申しますのは、近年のメキシコサッカーは、南米諸国対抗のコパ・アメリカ、クラブ対抗のコパ・リベルタドーレス、コパ・スーダアメリカーナの大会に特別招待され、南米サッカーで揉まれながら強化されてきております。しかも日本のように欧州の進んだサッカーも導入し、その上、下部組織の育成も積極的に推進し、世界トップレベルを
目指し、真摯な態度で取り組んできております。

ロンドン五輪でブラジルに勝ち金メダルを獲得したのもフロックではありません。長期にわたって着実に努力を積み重ねてきた結果なのです。

「なぜメキシコサッカーに関心をよせてもらいたいのか?」

それは日本サッカー界が目指している目標とサッカースタイルがよく似ているからです。それに体格的にもよく似ています。

チェルシーという「名」より、モンテレイという「実」の方に注目してもらえれば、日本サッカーの課題にあるストライカーの問題ついても、参考になる「ヒント」が見つかるかもしれません。

最後は余談になりますが、モンテレイの得点を決めた選手の名前がコロナ選手とデルガド選手と日刊スポーツに記載されていましたが、スペイン語ではアクセント記号がなければ、語尾の母音の手前の母音にアクセント(記号なし)があり、「コローナ」と「デルガード」とそれぞれ発音するのが正しいようです。 

たとえばトヨタ自動車に「カローラ」という車がありますように、「カロラ」ではありません。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年12月7日金曜日

クラブFIFA・W杯サッカー観戦記 (1)


こんにちは! 蜻蛉です。前節に広島サンフレッチェが初優勝を決めた2012年のJ1リーグも、最終節は(残留か降格か)ドラマチックな結果で幕を閉じました。

 自力で残留できる順位にあった、一方のC大阪は川崎Fと負けていた試合を同点(2−2)に持ち込み辛うじて残留を決めましたが、もう一方の神戸は優勝した広島に0−1で敗れ降格が決定。

勝てば残留のチャンスがあったG大阪は磐田に1−2で敗れて降格決定。一番可能性が薄かった新潟は降格が決定している札幌に4−1で勝ち、神戸とG大阪が負けたため、逆転で残留を決めました。

アジアチャンピオンリーグ(ACL)出場権枠の3位争いも、浦和が名古屋に2−0で勝って権利を獲得しました。

さて、きょうは昨日(6日)開幕しました、クラブFIFA・W杯サッカー(日本開催)の第一戦Jリーグチャンピオン広島サンフレッチャ対オセアニア代表のオークランド・シティ(ニュージーランド)の試合がありましたので、そのコトについて話し合いたいと思います。

この試合はJリーグ優勝の広島がどのような試合をするか楽しみにしていました。しかし、残念ながら試合内容は、W杯らしからぬ守り一辺倒のオークランドに対して攻めあぐむ広島に、寒気を感じさせました。

開始早々の広島は、落ち着いてDF陣がリズムのあるパスを回しながら、相手のDFの間に、時折、強い縦パスを入れ、ワントップのエースストライカー佐藤寿人の変幻自在の動きからのシュートを狙っていたようすが見えました。

しかし、相手も佐藤の動きを警戒し、ゴール前の防御体制をコンパクトにして、隙を与えないよう応戦し、しかも上背の低い佐藤に対して、高さで有利な相手は、サイドからロビングタドリブンのクロスを入れてもクリアされ、なかなか得点に絡むようなチャンスはおとずれませんでした。

右サイドのMFミキッチがライン際をドリブルで相手DFを交わしクロス入れたり、再三CK(コーナーキック)などでゴールを狙っていたのですが、佐藤には相手が仕事のスペースを与えず、抜け出してもオフサイドにとられ、どうしても相手の鉄壁な厚い防御を破れず前半0−0で終了。

後半はトップ下のMF森崎浩司と高萩が佐藤の前に飛び出したり、ミドルシュートしたり、また、右と左サイドのミキッチと清水が縦へのドリブルからクロスするだけでなく、中に切り込むドリブルからシュートするプレーを期待したのですが、相変わらずパス回しで、相手の守備網を破るような破格的な動きがなく、一方の佐藤もポジションを変えてスペースを作る動きをしていたのですが、二列目の動きがそれに対応せず、得点には結びつかなかったようです。

このような状況に、突然救世主MFボランチ青山敏弘がゴール前30メートルの位置にボールをキープして現れ、少し右側にドリブルしながら無回転の強烈なクリーンシュートでゴールの左上の隅に決まり、ようやく0−0の均衡を破り、その得点が広島に勝利をもたらしました。

結果的には広島は勝ちましたが、佐藤の得点に頼る攻撃陣に、一抹の不安が感じられた試合内容でした。次の試合は、もっとMFが縦横に動かなければ勝機はありません。
もっと内容のある試合をしてもらいたいと思います。

 これは蜻蛉のつぶやきです。

グラシアス!アスタ・ラ・プロクシマ

2012年12月2日日曜日

英語(外国語)教育とサッカー 2/2


こんにちは! 蜻蛉です。 2012年の11月も今日だけ? ペルーから一時帰国して1年4ヶ月? 「もうそんなになる??」 実感が湧きませんね〜。

 この『蜻蛉ちゃんのサッカー』シリーズも昨年12月22日にスタートして以来80回目になりますが、今後ともよろしくお付き合いさせて下さい。

 さてきょうも前回の「英語(外国語)教育とサッカー」というテーマについて、引き続き述べてみたいと思います。

 「英語教育の不備」

 教育は漸次頭脳を作り上げていくという長所があります。しかし、これが逆に短所になるコトもあるのです。私たちが話す日常会話は、学校で習ってからではなく、幼児の頃から、親や兄・姉など、周囲の人との触れ合いから自然と身につけてきたはずです。

 「なぜ日本人には英語の発音がむずかしいのか?」

 「なぜ英語らしい英語を話したり、書いたりするコトがむずかしいのか?」

 私は語学の専門家でもないし、教える立場でもありません。無責任ではありますが、私のサッカー哲学からの見解でこの問題を結論的に言うコトを許されるならば、日本のサッカーと同様に、初歩の段階において、誤った指導の仕方をしているのではないでしょうか。

 子どもたちは歌が好きです。歌にも多様なリズムがあって、耳から聴き取って歌うコトができます。歌だけではなく、動作やジェスチャーと表情までマネするコトもできるはずです。

 サッカー少年たちも、プロやアマチュアの試合を観戦しながら、印象的なプレーヤーのボール扱いや体の動かし方などをイメージし、近所の友達と遊びながら、自然と、サッカー選手らしくなっていくのです。その遊びの場がイメージしたプレーを表現する舞台なのです。その技能の習得は子どもが歌えるようになる過程とそれほど違いはないと言えそうです。

 

約30年前、ペルーに住む私に日本サッカー協会と縁結びのキッカケをつくっていただいた、当時協会事務局長でおられた、中野登美雄さんの言葉は今でも鮮明に覚えています。

 「海外によく出かけるけれど、ときには、1週間で欧州と南米各国を回ってくる 

コトもあるんだよ。なかには、英語が通じない国もあるが、そのときには、空港や機中で、その国の言葉のテープを聴きながら、言葉のリズムを掴むよう心がけている。
すると、相手が何を言おうとしているのが分かるんだよ」

中野さんは、外国のサッカー関係者の中で、“トミー・ナカノ”で知られていて、当時からW杯開催を夢見て、世界的には知名度が低い、日本サッカーのPRを兼ねて、重要な交渉に当たっていたのです。

日本サッカー界に有形・無形の財産を遺し協会を去られましたが、約20年後に開催を実現した裏には、トミーさんの優れた語学力、サッカー選手の経験、インターナショナルの性格と豊かな人間性、サッカー愛と情熱等々が、海外サッカー界の関係者の眼を日本に向けさせていたのです。なぜなら、トミーさんは、

「もちろんW杯を日本で開催するコト、自分が協会にいる間にできなくとも、その基盤だけでも作りたい」

と、眼鏡の奥の瞳を輝かせて語っていたからです。

 「耳学問」というと多少バカにされそうですが、言葉を覚えるには最も優れた方法だと思います。赤ん坊が母親の言葉を教わり覚えていく順序を踏むようにするコトです。

 外国人と話す時に、まず日本語の文章で考え、それから頭の中で英語を組み立ててから、ボツボツと話す。たとえ発音が立派であっても、二重の頭脳労働になり、とても実際には、役立ちません。それでは「ハイ品切れです!」と、15分ももたないでしょう。これは私自身が実際に体験してきたコトですから、自信?を持って断言できます。

 サッカー流にやるとしたら、他人のしゃべる言葉をそのまま覚えて、それを忘れないよう、同じような場所や機会にて、おしゃべりを連発するコトです。恥ずかしいと意識する前にこれをやるのが理想でしょう。

 恥の上に立ってやるコトです。恥ずかしさこそ、語学の進歩を妨げる敵なのです。ボールリフティングやドリブルなど、人前でやるのが恥ずかしいからと、コソコソと隠れてやっていると、肝腎なときに恥をかくコトになるのです。いわゆる「接触プレーに慣れる」コトです。

 日本の英語教育は、文部科学省の指定する教育基本法、学校教育法および同法施行規則や教育委員会規則、ならびに中学校学習指導要領の示すところに従って教育課程を編成するコトが義務づけられており、英語も選択科目ではなく必須教科になっています。(現在は多少変更しているかもしれませんが)

 このような法律や規則にしばられ、指導カリキュラムと、教科書を編成しているところに問題があるようです。その上高校や大学の入学試験にしても、企業の入社にしても、英語の筆記試験、という大きな壁が立ちはだかっているのです。

 これらの壁があるというコトは、学校で、英会話を自然に習うコトは困難を要します。なぜなら、英語の授業が、日本語と英語で聴いたり、話したり、読んだり、書いたり(英文和訳・和文英訳)などで、英語だけで授業が進められないからです。それ以外にも、外国人と同じように正しい発音で指導できる英語教師にも限度がある、という事情もあります。

 サッカーは、いまや世界的なスポーツになり、国際交流が頻繁に行われています。また、海外で活躍している選手たちも大勢います。中には、流暢に現地の言葉でインタビューしている選手もおります。たとえば、現在柏レイソルで活躍している沢昌克選手がペルーのプロチームでプレーしていたとき、ペルーのTVスポーツ番組にゲストとして招かれ、流暢なスペイン語で、堂々と対話していたのを見ております。

 考えてみてください。私たちは学校で英語を何年学習してきたのでしょうか? 10年は経過していると思いますが、読めても、聴き取れない、話せない、書けないのが現状です。それなのに、専門家やお役人さんたちは、

「その現実を直視するのを避けているかのように思えてなりません」

以前にも同じようなTV番組がありまして、私のような意見を述べても、専門家?の人の応えは「否定的」で、何の進展もなかったのです。

サッカーの指導で注意しなければならないのは、「オーバーコーチング」です。日本の選手が伸び悩むのは、ジュニアの世代から、指導者が戦術的なコトやむずかしいテクニックを教え過ぎ、早咲きさせて、外国の同世代の選手と比較してテクニックが優れているように感じさせられているのです。このような言い方をしたら、おそらく、反発されるでしょうが、それが現実です。

日本サッカー界は欧州で多数の選手が活躍しています。彼らの体験をサッカーだけに限らず、言葉も含めた生活と交流等々を、教育にも活かせるように積み重ねていけば、自然と良い方向に展開できるのではと期待できそうです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ