Japan Soccer 50年

2012年10月30日火曜日

関東大学サッカーリーグ戦を観戦して




こんにちは! 蜻蛉です。 昨日(28日)は雨の中、東京都北区にある味の素フィールド「国立西が丘サッカー場」に行き、大学リーグ戦の、母校慶応義塾大学対日本体育大学の試合を観戦してきました。
きょうは、昨日の試合と大学サッカーという視点で、私の感じたコトを述べて見たいと思います。

この試合は、[第86回]関東大学サッカーリーグ戦1部リーグ(12校)後期第6節、日体大が首位の専修大と勝ち点2の差で2位、対する慶大は降格圏内の3校のうち2校と勝ち点2の差で9位、一方は優勝争い、もう一方は残留争い、という立場に置かれていましたので、両校にとって、負けられないというより、勝たねばならない心境で試合に挑んだコトと思われます。

そのせいか、午前11時半試合開始でありながら雨雲と雨で照明が照らされ、両校のプレーは気力が空回りしてか、暗い雰囲気で試合は展開されていました。

前半は、私の位置から良く見える、母校慶応のディフェンス(DF)ラインと日体大のアタッカーの動きに注目していました。慶応のDF、特に中のセンターバック2人がボールの動きにつられて、日体大のアタッカーをノーマークにしてしまう状況があって、ヒヤヒヤしながら観ていました。一方の日体大のアタッカーも、その瞬間スーと抜け出すチャンスがありながら、その虚を突く動きやパスがなかったため、慶応は助かった、と言えそうです。前半0−0.。

ハーフタイム、観覧席で観戦していた慶応の福井総監督に「バックラインが安定していない」コトを私は指摘しました。

慶応は1(GK)−4−2−3−1のシステムでしたから、特にDF陣の核になる、センターバック2人とミッドフィールダー(MF)ボランチ(ポルトガル語の舵取りという意味で、守備的ハーフのコト)2人が守備の要ですから、その核が、しっかり機能しないと、チームというカラダは絶えず不安定な状況に強いられ、もちろん、味方の攻撃にも悪い影響を与えます。守備の原則的なそのコトも伝えました。

後半に入り、その心配が的中しました。日体大の左サイドのMF(アタッカー)の10番(背が高く、キック力があり正確なパスを出せるので、要注意の選手として観ていた)は、左からゴール前に絶好なドリブン(ライナー性の)クロスを入れ、同僚のMF8番が慶応DFより一瞬早く飛び込み、ジャンピングヘッドでシュートを決め先制点を獲得しました。

しかし、「サッカーは意外性のあるスポーツとか芸術」と言われているように、この得点を機に、逆境に立った慶応の選手1人ひとりのプレーにアグレッシブさが出始めたのです。日体大にしてみれば、皮肉な得点になってしまったようです。

慶応はこの失点を機に、選手間のポジション変更をしたコトで、チームが結束し、プレーが効率よく連動するようになったのです。

特に、この試合左サイドバックでスタートしたキャプテン藤田息吹選手(欠場選手の穴を埋めるため?この位置でプレーしていたようです)を、彼本来のポジションであるボランチに据え出してから、彼の名前のように、チームが息を吹き返したように、選手間のコミュニケーションというか意志の疎通がスムースになり、何度も得点チャンスがあり、日体大DF陣を脅かしました。

ついに藤田選手が同点弾を決め、最後には、MF左サイドのアタッカー7番磨見選手?(名前を確認するのをわすれました)が強烈なシュートで勝ち越し点を決め、慶応大に勝利をもたらしたのでした。

監督2年目の須田芳正氏とは、ペルー在住の私に、浦和レッズから南米遠征合宿の招待があった際、(アルゼンチンで合流して、チームに同行したとき)、慶応義塾の後輩でレッズの選手でもあった彼と偶然知り合ったのです。

そのような縁があったというコトもあって、彼が塾の監督となってどういう手腕を見せるか(私自身もペルーでサッカーのコーチをしているので)、昨年の暮れから、大変興味をもって、彼の動向に関心を寄せていました。

昨年暮のインカレで3位という好成績をのこしましたが、今シーズンはコレッというような成績を残していませんでしたので、心配していました。

とは言うものの、今年になって実際に、慶応の試合を観戦したのは、早慶定期戦のナイターの試合だけでしたので心配していたところ、ちょうど塾ソッカー部発行の機関紙「KEIO SOCCER TIMES」が届き、その頭書に『正念場』ということばと、「1部に残留するコトを目標とし、1つでも上の順位に食い込めるよう努力して参ります」と記載されていたので、これはタダゴトではないという思いで、雨の中スタジアムに駆けつけたわけです。幸いにも、前半はともかく、後半は塾のサッカーらしさを見せてくれてホッとしました。現役諸君の力は、結集しさえすれば、どのチームと対戦しても勝てるコトを、確信しました。

特に、キャプテン藤田選手のコトを取り上げましたが、彼のプレーには他の選手も見習うコトがたくさんあるからです。私がこのブログで記載しているコトとも関係があり、彼のプレーだけでなく、他の選手の反応振りも同時に、いろいろな角度から(学ぶ意味で)覗いてほしいのです。

須田イズムの目標にある、昨年からの「自立」に加え、「I WILL 」をスローガンに掲げ、選手1人ひとり自主性を持ち、自分の力でチームを変えるのだ、という強い意志を持つコト(遅ればせながらも浸透してきているようで)、それが昨日の試合の後半にて現れていたように、私は感じました。

学生サッカーという選手の立場は、本分の「学問」と「サッカー」を両立できるコトが理想です。サッカーはすべての文化と相通ずる要素が満ちています。私の県立浦和高校時代のサッカー部の監督で顧問でもおられた恩師故福原黎三先生の言葉に「サッカーで哲学せよ!」というのがありました。

この哲学こそ、現役諸君に相応しい考えの源泉になるのでは、と感じています。サッカー指導者ライセンスの講義にも、医学、心理学、経営学等々も含まれています。サッカーはそれだけ創造性を掻き猛る魅力あるスポーツです。

最後に一言、「監督からの使命を達成しても100点満点のうち60点が精一杯、残りの40点は自分自身の能力と努力による可能性を発揮してこそ、チームへの貢献度が達成できる」のだ、というコトを知って欲しい、と思います。

前回「サムライブルー日本対フランス戦とブラジル戦を観戦して(2)」の文章に誤りがありましたので、訂正させていただきます。

1.長友のクロスを香川(が)決勝シュートを許してしまうと(誤)

長友のクロスを香川(に)決勝シュートを許してしまうと(正)

2.サッカー(が)意外性のあるスポーツですから(誤)

  サッカー(は)意外性のあるスポーツですから(正)

3.ザッケロー(に) (誤)

ザッケロー(ニ) (正)

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月24日水曜日

サムライブルー日本対フランス戦とブラジル戦を観戦して (2)


こんにちは! 蜻蛉です。 プロ野球日本シリーズは巨人対日本ハムの決戦になりました。Jリーグの優勝争いも仙台と広島に絞られたようですね。現在日本のプロスポーツ界をリードする野球とサッカーファンにとっては、最後まで見逃せない、つばぜり合いの展開になることでしょう。


きょうは、前回、日本対フランス戦での、日本のカウンターアタックに対するフランスの守備の問題点を2つ、皆さんへの課題として取り上げましたので、その問題についての、私の考えを述べるコトと対ブラジル戦について感じたコトを述べようと思います。

誤解しないでいただきたいのは、私の考えが正しいと思って述べているのでない、というコトです。意見交換しながら、「アー、そういう見方や考え方があるのか」というコトを「知りたい」からなのです。

さて、前回取り上げた2つの問題から始めることにします。

問1 フランスは、なぜDFの今野にピッチ半分(約50メートル)の距離をフリーでドリブルするコトを許してしまったのか?

問2 フランスの3人のDF陣はズルズルゴールエリアまで、なぜ後退しなければならなかったのか?

 最初の問題は、対日本戦のフランス代表の立場は、たとえ親善試合であっても、W杯予選の対スペイン戦が数日後に迫っており、期待する国民に対しても、地元の試合ですから、内容と結果(チームとしても個人でも)を示さねばならない状況にあったのでは、と思われます。

 内容としては、前半圧倒的にゲームを支配し得点のチャンスもかなりあったのですが、結果を示す肝心の得点に結びつかず、最後は、「勝たねばならない」という焦りがあったようです。

最後のセットプレーでは結果を出そうと、キッカーを除いて6人がペナルティーエリア内に位置していました。守備にはGKを除いた3人の布陣でした。体形としては、別に異常はなさそうなのですが、問題は選手たちの心理に、日本の攻撃に対する、守備という意識と、カウンターアタックに対する備えが、まったくと言っていいほどなかったように思われます。

DF今野がボールを拾って抜け出たときの前の状況は3対3でしたから、今野に対するマークが1人もいず、無人の原野を疾走する馬のように、フリーのドリブルを許してしまったようです。

第2の問題は1のコトにも関連するようです。守備の原則には、防御するためのライン(あらかじめ選手同士で約束している線)のブロックを布く守備戦術の基本があります。しかし、このときのフランス守備陣の3人(本来のDFの選手ではなかったようです)は、中途半端にズルズルとゴール前まで後退し、日本の4選手にプレッシャーをかけるコトなく、フリーに攻撃するコトを許してしまったようです。

あのような状況の場合、オフサイドトラップを考慮し、どこで勝負をかけるか、センターにいる選手の位置と決断が重要なコトなのですが、その機会を失ったため、今野から長友へのパスと長友のクロスを香川が決勝シュートを許してしまうというエラーをおかしてしまったようです。この間、誰もマークやタックルに入れないという、欧州の一流国らしくない無残なプレーで敗戦に追いやってしまったようです。

このようなケースは、日本がアジアのチームとの試合でゲームを支配するときに、同じようなコトが起こりうると想われたからこそ、問題として取り上げてみました。

さて、日本の対ブラジル戦ですが、4−0で完封されました。最近ブラジルは、タイトルという面で、チームとしても個人でも、結果を出していなかったためか、過小評価されているきらいが日本ではあるようです。たとえば、FIFAランキングで、ブラジルは14位だそうですが、本当にそう思いますか? 

日本に一時帰国して以来、特に感じているコトは、マスコミの表現による仕方に、偏見があるのでは、という感じがしたからです。

たとえば、サムライジャパンの評価が膨らむのに従って、世界とトップクラスの国の評価が凋(しぼ)んでいくような感じを受けるのです。

ここで挙げたFIFAランキングは何を基準にして決めているのでしょうか。その数字で、格上とか格下という表現をされているようですが、ブラジルより上位にランクされている国々が、「格下のブラジル」という表現ができる国はあるのだろうか?

また最優秀選手選出にFIFAが絡んでいるのも、なんとなく茶番劇のように私自身感じています。サッカーはチームゲームだ、と言いながら、ポジションに関係なく選出するなど、サッカーの本質をFIFA自体が崩しているように感じます。このような姿勢ですから、審判の問題も、判定の機器に頼らず解決していこう、という毅然とした態度や姿勢が見られないようにも感じています。

ブラジル戦での、日本のスタメンはGK川島、DF(右から)内田、吉田、今野、長友、MF(ボランチ)長谷部、遠藤、(アタッカー右から)清武、中村、香川、そして、FW(ワントップ)本田の布陣でした。 

前半の10分までは、ブラジルのスロースタートに乗じて、リズムのある展開で、パスをつなぎ、得点のチャンスもありましたが、12分、ブラジルのMFパウリーニョにゴール正面からミドルシュートを決められ、その後DF今野のMFカカに対するチャージがPKにとられ(?)、ネイマルが決めてから、ブラジルペースの展開になり、ブラジルの一方的な試合で、後半にも2点追加され、日本は負けました。

ブラジルサッカーは見た目には、欧州のトップチームのようなスピード感はないようですが、実際に対戦する選手からすると、独特のプレーのスピード感に奥行きがあって、しかも、リズムに緩急があり、そのシッポを掴めないのです。

たとえば、ブラジルの最初の得点では、縦横な動きによるドリブルとパスで、DFとMFの間が寸断され、そのできた空間に、ボランチのMFが飛び込み、アッという間にシュートを決められてしまったわけです。

ブラジルの特色は個人個人の卓越した技術(特に内部感覚によるコントロール)とパスとドリブルを駆使した左右の波や上下の波のような揺さぶりをかけて、空間を切り開き、その瞬間、スパッとゴールを決める能力があるため、相手の能力を制限させたり、封じるコトができるのです。

日本のアタッカーのように、守備のために、(犠牲的な動きで)ハーフラインを超えて自陣まで相手の選手を追う、というコトはマレです。

もうひとつ、長友の2試合のプレーを比べてみればよく分かるのではないでしょうか。フランス戦での長友は左サイドを抉(えぐ)るようなプレーを発揮して、フランスのDF陣を再三脅かしました。しかし、ブラジル戦では、そのようなプレーは影を潜め、守りに徹していたかのように感じました。

ザッケローに監督は本田のワントップでスタートさせました。最初は良かったのですが、いつの間にか、そのポジションから本田が消えて、トップ不在になっていたようです。これは監督の指示だったのか、選手間で決めたのか、それとも本田自身の判断なのか、はなはだ疑問に感じました。

ドイツのクラブで出場できないキャプテン長谷部は、ブラジル戦では調子を上げていたのですが、お決まりかのように、細貝と交代させたのも、腑に落ちない印象を受けました。キャプテンという立場と選手としての信頼という意味と、彼自身のプレーヤーとしての自信回復の意味で、交代さすべきではなかった、と感じました。

取り留めのないコトを述べてきましたが、日本のサッカーは一挙に世界のトップに駆け上がるコト(目指すのは良いが)より、名実共にアジアで群を抜く実力を蓄えるコトを期待します。

サッカーが意外性のあるスポーツですから、どこの国にもチャンピオンになる可能性はあるのですが、現実は世界200カ国以上で、W杯優勝国の数はたったの8カ国だけなのです。日本が強くなったのは確かです。しかし日本よりランキングは下でも実力は上の国はいくらでもあるのです。

サッカーの発祥国イギリスはW杯に1回優勝しただけですが、衰退するどころか、国内リーグは名実共に世界のトップを維持している事実に注目してほしいのです。これは私のつぶやきです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月21日日曜日

サムライブルー日本対フランス戦とブラジル戦を観戦して (1)

こんにちは! 蜻蛉です。 時の経つのが早いですね。昨年の今頃、私は日光へ行って、紅葉と滝、それに、東照宮を見物して満喫したコトが、つい最近のように思い出されます。 皆さん元気にお過ごしでしょうか。
 さてきょうは、先日ヨーロッパにて日本代表がフランスとブラジルという欧州と南米の強豪を相手に2連戦しましたので、その試合の対フランス戦(TVにて観戦)で感じたコトを述べてみたいと思います。

 日本代表は対フランス戦を1−0で勝利する素晴らしい結果を出してくれました。フランスは欧州の中で最もラテン的なサッカーをする国で、チームが結束しているときは素晴らしい反面、その逆の場合には、自ら崩壊してしまうようなところが見られます。それに、地元ではめっぽう強いのも特色ですから、日本がそこで勝ったというコトは、賞賛に値する試合だった、と言えそうです。

 日本のスタメンは:GK川島、DF(右から)酒井宏樹、吉田、今野、長友、MF(ボランチ)長谷部、遠藤、(アタッカー)清武、中村、香川、FWハーフナー。

試合全体の流れはフランスが圧倒的にボールを支配していましたので、日本は防戦に追いやられましたが、GKの川島、DF吉田と今野、MFボランチ遠藤がDFラインの核が確りと堅持していたコトで、相手の攻撃に押されながらも、全体的なバランスが崩れず、失点を防ぐコトができたようです。

もちろん相手のシュートミスという幸運もありましたが、DFが相手の攻撃に対し、プレスをかけた守りでプレーを制限したからこそ、ミスを誘ったとも言えます。

この試合エースの本田がケガで欠場したため、香川がトップ下に位置するかと思われたのですが、中村がそのポジションに入り、彼本来の機能が制限されたようです。しかし、中村が流動的にポジションを変えていたので、香川自身も本田がいるときよりも、ノビノビとプレーしているように感じました。香川が動くコトで、長友がそのスペースを利用して、再三相手DFの裏にドリブルで切り込むプレーで、相手DFを脅かしていました。

前半日本は、右サイドからの絶好のクロスをハーフナーがヘディングミスして、得点チャンスを逃がしました。

ハーフナーはヘッドの際首を動かし額でボールを合わせてゴールの隅を狙ったつもりですが、ボールの向きも威力も思惑通りにはゆかなかったようです。

ゴール前でのヘッドはプロでも基礎的な技術というか知識を知らないでプレーしている選手が見られます。ヘッドの場合、ボールを額に当てるコトは正しいのですが、額でボールを合わせようと意識するから、当てる前に、首が前折れたり、左右に曲がったりしてしまうのです。そうなると胴体のしなやかな力がボールに伝わらず、(首の力だけで打とうとするから)威力もなく、(首が横に動くから)ゴールから逸れてしまうのです。

ヘッドはボールを顔で受ける感覚でボールを迎え、四肢でバランスをとりながら、丹田(ヘソの下に位置する気のエネルギーの収納庫)を中心に胴体(胸と背骨)を反らし、首を固定(胴体と一体にして)して、カラダ全体の力でボールを叩くと、威力のある正確なシュートになる確率が高いのです。

顔でボールを迎える姿勢をとると、首筋と背筋がよく伸びて(視界がよくなる)、骨盤までそのエネルギーが伝わって仙骨(骨盤の平たい部分)が締まり、ボールを叩く瞬間には、ちょうど額にボールが当たるので、さらに威力が増すのです。

日本の得点は相手のCKかFKだったのかよく覚えていなかったのすが、こぼれ球をDF今野が拾い、約50メートル、ドリブルで前進、そのときのフランスのDF陣はGKのほか3人、日本は右に長友、前に香川、左に乾?が疾走していました。今野はタイミングよく右サイドでフリーの長友にパス、それをワンタッチ(ダイレクト)でゴール前に流し(クロス)そこに飛び込んできた香川がカラダを左側に倒れながら右足で見事なシュートを決め、試合を決定付けました。

このシーンで大事なコトは、日本のカウンターの速攻に焦点を当てるだけでなく、フランスの守備についても、日本の問題として、反省してもらいたいのです。

フランスは、なぜDFの今野にピッチの約半分の距離をフリーでドリブルするコトを許してしまったのか?、また、フランスの3人のDF陣はズルズルとゴールエリアまでなぜ後退しなければならなかったのか?

この問題について、私の考えもありますが、皆さんにも自分たちの課題として検討してもらえませんか。できましたらコメントしてください。

次回はこの問題に対する私の考えと対ブラジル戦のコトについて述べてみたいと思いますので、よろしくお願いします。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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2012年10月16日火曜日

サッカーの内部感覚と気功について

こんにちは! 蜻蛉です。 サムライブルー日本代表が欧州の強豪フランス代表にアウェーの試合で、勝利(1−0)。という夢のような結果を実現してくれました。今夜(16日)のTV放送(対ブラジル代表戦)がより楽しみになりましたね。
 さて、今回も前回に引き続き、「サッカーの内部感覚」について、述べてみたいと思います。

 南米ペルーに住む私は、日本のサッカー界のために、『土俗的な忍者式サッカー」』と『サッカー文化と異文化の内外相合』という題の本2冊分の原稿をペルーで執筆しました。今回来日した目的は、この原稿を本にして出版するコトでした。

 しかし、最初に偵察がてら訪問した、秋葉原の「書泉」という大きなビルの本屋で、サッカーコーナーの本や雑誌のボリュームを見て驚き、知名度(日本では重視されている)のない私の本は、下手に交渉しても、出版社の段階で無視されるコトは必至である、と判断。友達にも相談しましたが、これという名案がなく、どうしようか?と悩んでいたところ、私の息子が、「インターネットを利用したら」というコトで、この『蜻蛉ちゃんのサッカー』で、外側(ペルー)と内側(日本)から覗いた日本サッカーのギャップというか差異を埋めながら、出版のチャンスを待っているというのが、私の現状です。

 このギャップというのは、言葉(スペイン語と日本語)や文字(ABCの横文字と漢字・平仮名・片仮名)の違いにあるのです。たとえば、最初に、“EL QIGONG”という言葉と意味を私の息子と中国人の青年から教わりましたが、日本語で何というのかは知りませんでした。たまたま、以前一時帰国したとき、息子のために買った『太極拳』の本に「気功」という言葉の文字が記載されていましたので、同じコトの意味だったのだ、と納得しだしてから、その本を貪るようにして読み、想像やイメージを働かせながら、サッカーと気功、サッカーと中国拳法の接点を探しているうち、ある日突然そのイメージがくっきりと脳裏に描きだされたのでした。

 それは、野武士のような土俗的忍者が変幻自在でしかも神出鬼没の動きでボールを支配する姿と、日本選手とが重なり合ってる姿でした。

 「内部感覚」という言葉の使い方も、今回の来日で初めて知りました。これも、息子が購入していた「気功」の本を読んでいるとき、この「内部感覚」という文字を目にして、強烈に記憶されたのです。

 と申しますのは、私が公園で立禅(立った姿勢でする気功禅)をしているときに、それこそカラダの内部の感覚で、腰椎を動かす(「コツッ」という音がして)コトができたのです。そうです、カラダの内部を自らの感覚で、筋肉を操作し、外からの操作なしに骨を動かすコトができたのです。ここでも日本語の特に漢字の力の素晴らしさを再発見したような気がしました。

 この言葉を知る以前、「気功」を知らない人に、どのような説明の仕方をしたらよいか、私はその言葉に行き詰まった感覚で悩んでいましたから、この言葉を知って詰まっていた気がスーッと通り抜ける感触を得ました。

 大学生諸君のサッカーゲームを観戦していて特に目立つのは、いかにもスピード感の溢れる瞬発力で相手を牛耳ろうという感覚でプレーしているように見えるコトです。おそらくそのために、一生懸命筋力を鍛えるパワートレーニングに励んでいるコトでしょう。これは大事なコトです。

 しかしここで誤解しないで欲しいのは、「スピードはパワーではない」というコトです。逆にパワーがスピードを奪ってしまう、というコトなのです。

 日本人に限らず、人間は理性で社会に適応して生きる動物であり、そのために子どものころから親や先生にしつけられます。そのしつけはカラダや精神を操られ、「緊張せと」というコトで、カラダのどこかで「力み」を強要するモノです。

 大切なのは全身の筋肉のつながりによるスピードなのに、「力む」コトによって、そのつながりがどこかで欠落して(虚ができて)しまう。途絶えてしまう。それが失速を生むのだ、というコトです。
ですから、そういう癖を抜き去り、全身の筋肉のダイナミックな連動をスムースにつなぐコト(その内部感覚をつかむコツ)を覚えるコトがサッカー選手には欠かせないのです。

 これまでサッカーのトレーニングで信じられていた規制概念(筋力=パワー)を捨て、自分の身体能力の可能性を追求する方法を見つけるコトを私は薦めます。

 私たちはカラダばかりで生きているように錯覚しやすいようですが、そこにいつも精神や心がからんでいるコトは言うまでもありません。その証拠に「集中力の度合い」は、いつもその結果を大きく左右します。

 高い集中力は、その選手の能力を最大限に発揮してくれるのです。逆に意識が分散して集中が途切れれば、自分でも驚くほどのミスをします。しかし私たちのような凡人にとって集中力は意識によって簡単にコントロールできるモノではなく、なかなか難しいモノのようです。

 その能力を養うには、やはり訓練が必要です。そのために、私が現在一番力を入れている方法が、気功と中国拳法の体術の技法をサッカートレーニングに導入して、自ら修練できるよう、その方法を考えているのです。

 ここで先日の日本対フランス戦にて、スペインの名門レアル・マドリードのストライカーとして活躍しているフランス人のベンゼマ選手の(「内部感覚」に関連する)プレーで気づいた前半の2つのシュートを例にして考えてみたいと思います。

 一つはペナルティエリア内左サイドで日本のDFを左に交わし左足でシュートしましたが、ボールはゴール右ポストの手前を逸れて得点にはなりませんでした。

このシーンを観て感じたコトは、シュートの瞬間、全身が力み脚の力だけでスウィングし、しかもボールをとらえる際の足首が動いてしまっていたコトです。

もし丹田(気のエネルギーの出発点)からの内部感覚でシュートしていれば、脚がシナルように振れ、ボールを蹴る瞬間には足首は固定し、振り切れていたはずなのですが、蹴るフォームの出発点に虚ができて、あのような結果になってしまったようです。

 もう一つは、ゴール前でのフリーキックで、右足で壁の右サイドを狙ったのですが、GK川嶋の左横飛びのセーブで弾かれ得点にはなりませんでした。

このシュートの際も、やはり丹田からでなく、右脚の振りでボールを上手くとらえてはいたのですが、蹴った後、そこで脚が止まってしまっていたのです。あそこで振り抜かなければ、ボールにその威力は乗り移りませんから、威力のない、しかもGKが取りやすい高さになってしまうのです。

 内部感覚を使ったシュートは、丹田から気のエネルギーを筋肉の動作の順に流せるように意念で操作すると、(内部感覚の)小さな力で、大きな力が経絡を通じて、気のエネルギーが神経を刺激し、効率よく(エネルギーに満たされた)筋肉を作動するコトができるのです。そこに内部感覚と気功の間に秘密が隠されているのです。

 その秘密を探るには、気功を実践しながらサッカーに活かせる(応用できる)よう内部感覚を養う以外方法はないのです。難しい課題ですが、それだけやりがいがあり、それを実現したら驚くようなプレーができるようになる可能性があるのです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月13日土曜日

サッカーの内部感覚について (2)

こんにちは! 蜻蛉です。 真夜中のサッカー試合の観戦は、ロンドン五輪開催中は、慣れっこになっていました。しかし、明朝(13日)4時(フランスのサンドニ)、サムライジャパン日本代表対フランス代表戦が行われますが、今回は観戦できるか(その時間に起きられるか)多少不安です。皆さんも観戦を楽しみにされておられるでしょうが、無理して、体調を崩さないよう気をつけましょう。

 さて、前回「内部感覚」について述べましたが、今回も引き続き同じテーマのコトについて述べてみたいと思います。

 今回は特に、大学生諸君を対象とした、サッカーの「内部感覚」について、私の考え(主観的かもしれませんが)を述べてみたいと思います。

 日本の学校教育や学校スポーツは、指導者が指導要領?に従って知識等を、生徒や学生に与えて学ばす傾向にあり、頭または体に記憶させながら訓練しているように思われます。

 ですから、子どもたちのように、激しいゲームをしながら、トラップ、ドリブル、キック・ヘッドでのパスやシュート、マーク、タックルなど、技能や技術の内部感覚を自然に身につけるコトはむずかしい(この年齢では感覚器官はほぼ形成されている)ようです。

 しかし、学生諸君は知的な考える能力がありますから、この「内部感覚」に対しても、意識の「志向性」を変えれば、一般常識とはチョッと違った「感覚」のコト・モノに観察され、他の選手ともチョッと違ったコトが感じ合えるかもしれません。

 一般的に「体操」というと、器械体操、集団体操、学校の体操(ラジオ体操)が思い浮かばれます。

この体操という言葉の文字の意味を単純に考えてみますと、2つの意味があるようです。その1つは、「体を自ら操るコト(モノ)」と、もう1つは、「体を他人から操られるコト(モノ)」というふうに同じ体操でも意味がまったく変わってしまいます。前者は器械体操であり、後者は集団体操と学校体操に該当するようです。

サッカーも集団競技ですから、指導者は、規律を厳しくして、練習を通じて、選手の身体を統制しながら支配し、同時に精神をも支配するコトで、技術や戦術を習得させる、という傾向があります。

それは強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されている選手が「統御されている」というコトを感知しないで、自ら進んで、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲望を駆り立てられて、従順な選手として、チームという組織の網の目のなかに組み込まれてきているのです。(ここで述べているコトは、一般論ですので、日本のサッカーのすべてがそうだ、という意味ではありません)

ここで学生諸君に、「内部感覚」について述べる前に、まず、

「カラダというモノはどのようなモノか?」というコトを、常識的な概念に捉われず、日常のなかから、カラダ本来の機能を自分自身で思い出してみてください。

 私たちのカラダには祖先の経験と、それを凌いできた知恵の数々が満ちているはずです。単なる「モノ」から「生きたモノ」へ、さらに「ヒト」へ長い道のりの過程で、カラダを環境に適応し順応してきた知恵を、あらためて発掘してみましょう。 

「カラダは意外な事実を教えてくれるかもしれません」

あなたのカラダに関しては、あなたのカラダが一番よく知っているはずです。

 今回は学生向けのサッカーの「内部感覚」について述べる予定でしたが、残念ながら前置きが長すぎて、核心にふれるコトができませんでしたので、次回にはそのコトを具体的に述べようと思います。よろしくお願いします。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月10日水曜日

サッカーの内部感覚について




こんにちは! 蜻蛉です。昨日(8日)は40数年ぶり、神奈川県横浜市港北区日吉にある、懐かしい母校慶応義塾大学ソッカー部下田グラウンドを訪問しました。
この訪問のきっかけは、連休の祭日を利用して、ソッカー部の蹴球祭が開催されたからです。この祭日は東京五輪(1964年)を記念し制定されたモノで、私はその年に塾を卒業。その年以来の訪問ですから、その期間の隔たりは、その場所以外、すべての面で変わっていました。もちろん良い方にですよ。

さて、前回2回に分けて、「ストライカーの内部感覚」について、述べてきましたが、今回はもう少し角度を変えて、「内部感覚」について述べてみたいと思います。

昨日久しぶりのグラウンドに踏み込んだ途端、現役諸君の活き活きとした熱気が伝わってきて、タイムスリップしたかのように、私の学生時代を彷彿させてくれました。そのせいか、肝心の試合を観るのが疎かになり、日本サッカーのある一面を垣間見るチャンスを逃がしてしまいました。

しかし、可愛い女性マネージャー(我々の時代は女性は無縁でした)がこの年寄りの蜻蛉の話し相手になってくれてサッカー談義をしているとき、目の前にて現役諸君と若手OB?が人工芝のピッチ1/4を使いミニゲームが始まりましたので、話をしながらプレーを観るコトができました。

そのゲームのプレーで感じたコトは、ボールの操作の際、下半身の足はよく動くのですが、股関節から上の胴体と腕の動きのモノ足りなさでした。

もちろん、半ば遊びのような雰囲気でしたので、そうだと決めつけるような評価はできないのですが、前に、沢穂希選手他なでしこジャパンの選手たちが所属するINAC神戸のチームと男子元日本代表選手等のチームがミニサッカー試合(TV番組用)をやっていましたが、彼女等のプレーは真剣そのモノ、足先のプレーなどはほとんどなかったので、私は、そのコトをこのブログで、特に褒めたのでした。

私が日本とペルーで体験したサッカーの違い(代表クラスを除いて)は、接触プレーにおける、胴体と腕の使い方にあります。というのは、ペルーに限らず南米のサッカーは肉弾戦的なゲームに対し、日本サッカーはいわゆるパスとドリブルを主体にした上品なサッカーのゲーム運びをするため、接触プレーが限定されてしまい、南米選手のような当たりの激しいプレーに合うと、そのプレッシャーに戸惑って、あっさりとバックパスしてしまうわけです。日本選手ができないのではなく、国内の試合の場合、そういう状況が少なく、その必要性がないからできないのです。

私自身のプレーも、ペルーで最初に指摘されたのは、接触プレーでの身のこなし方で特に、「ヘッドでもタックルに対しても両腕でガードせよ」というコトでした。それに加え相手に肘打ちする悪いコトも教わりました(やったコトはないですが)。

ゲームでは、子どもでも50歳代でも、遠慮の無い激しいプレーの応酬です。そのようなゲームの性格ですから、柔術のように自然と防衛反応が芽生えてくるのです。それと同様に攻撃面でも、アグレッシブな面とエレガントな面という矛盾するような面を持ち合わせているのが南米産プレーヤーの特性なのです。

特に見落としてはならないのは、5〜12歳の子どもが、ストリートサッカーやミニサッカーゲームなど狭いスペースで、ルールや年齢制限を少なくし、できるだけハンデというプレッシャーを背負いながら、自分たちの意志で鍛えているのです。 

そこに日本の子どもがやるゲームとの相違があるのです。それらが理解できれば、そのような条件を自由に設定できるゲームをやり続ければ、日本の子どもは優れた吸収力があるから、南米の子どもに負けないタレントが出てくる可能性がある、と言えそうです。この年代にこそ、自然とサッカーのゲームに対応する、内部感覚が養われ、それらがサッカー選手としての各々の個性になっていくのです。

では、そういう経験のない大学生の現役諸君の場合には、どうすればよいのか?少し長くなりそうなので、次回にそのコトを述べてみたいと思います。

最後に、前回に誤りがありましたので、ここで訂正させていただきます。

オランダの「アインドーベン」(誤り)と記載しましたが、

オランダの「PSVアイントホーフェン」(正しい)に訂正します。

グラシアス(ありがとう)! アスタ・ラ・プロクシマ(このつぎまで)

2012年10月6日土曜日

ストライカーの内部感覚について (2)




こんにちは! 蜻蛉です。今月はサムライジャパン日本代表がヨーロッパにて、欧州と南米の強豪、フランス戦(12日)とブラジル戦(16日)の親善試合が予定されています。昨日(4日)、日本代表のメンバー23人が発表されました。幸いにも、前回にストライカーの一人の例として取り上げた、乾貴士(フランクフルト)選手が召集されました。ぜひザックジャパンの戦力になって活躍してもらいたいですね。
 さて、きょうも前回のテーマ(ストライカーの内部感覚)の続きを述べてみようと思います。

 日本代表の得点不足の原因は、外国の一流チームと比較して、これといったストライカーがいない、と見る向きもあるようですが、果たしてそうなのでしょうか?

 日本のFWやMFを体力、技術、戦術の角度から覗いてみますと、体力や技術の能力に関しましては、一流国の選手と比較して、それほど遜色はない、と思います。しかし、戦術に関しては、一様外観の形は整っているのですが、まだ、内部の機能が未完成のように思われます。

 その内部の機能というのは、たとえば、トップのFW前田や右サイドのアタッカーFW岡崎は、十分得点に絡めるだけの動きのあるプレーをしているのですが、あまりにも、守備にも忠実に動き過ぎて、肝心のゴールに絡む駆け引き(余裕)が不足しているように思われます。

 ペルーのジェファーソン・ファルファンという選手が、ドイツのシャルケ04で日本のDF内田と組んで、岡崎と同じポジションでプレーしていますが、オランダのアインドーベンでプレーしていたころは、かなり得点を決めていたのですが、現在のチームに移籍されてからは、攻守に活躍しているのですが、ストライカーとして最も期待される、直接ゴールに絡むプレーが少なくなっているのです。

 バルセロナのリオネル・メッシ(アルゼンチン)も同じポジションでプレーしていながら、ゴールを大量生産しているのです。どこに違いがあるのでしょうか?

 メッシは左利きですから、岡崎やファルファンのように縦へのドリブルは少ないのですが、内側へ向かってドリブルしながら、味方の選手を上手く利用(このときに身体の内部感覚を操作)し、ゴール前で見え隠れしながら、サッとゴールを決めてしまう能力があるわけです。

メッシはその内部感覚で、他の選手が2メートル必要な仕事を、1メートル内にてできる技術能力あるからできるのかもしれません。しかし、たとえメッシがそれだけの能力があっても1人では限度があります。見落としてはならないのは、メッシがドリブルしだしたときの、他の味方選手の動きです。最近良く使われている言葉でいう、「連動」があってこそ、メッシが活き、他の選手も活きてくるのです。

香川がオフサイドぎりぎりにスルスルと入り込み、瞬間、マークする相手から離れた方にボールと一緒に反転し、何の力みもなく左足で流し込むようなシュートで決めました。このプレーで注目されるのは、一つはポジションのとり方であり、もう一つは、狭い範囲内で、流れるようなプレー(トラップからシュートへ)で得点したコトです。この一連のプレーは「リラックス」した身体の「内部感覚」で操作していたからこそ、相手GKは香川の動作を読めず、タイミングが合わなかったのだろう、と私はそのように感じました。

乾の単身ドリブルを身体的な面から覗きますと、直線的に相手GKに向かっていたため、上体(胴体)が緊張感で硬直した状態でシュート態勢に入り、股関節と骨盤、骨盤と肋骨とが分離せず、股間と脚の可動範囲が限定され、GKにシュートのコースを読まれてしまった、と私はそう感じました。

ストライカーに求められる資質にヘディングによるシュートがあります。特にジャンプヘッドの場合、相手GKやDFは背が高くヘッドが得意な選手が多いので、相手に競り勝つのは容易ではありません。しかし、ストライカーにもハーフナーのように上背に恵まれている選手もいますが、背が低くとも二段ロケットを思わすプレーをする選手もいるのです。

技術的には、脚の力によって跳ぶように思われますが、実際にはムダな緊張のない胴体の力と骨盤の仙骨の締めと股関節のとらえの組み合わせでジャンプすると、身体全体はフワリと浮き上がり、よりスピーディーに動くし視界が広くなるので、ジャンピング・ヘッドがしやすくなるのです。そのためにも気功で丹田にエネルギーを蓄え、意念で気を体内に流し、柔らかくて強く安定感のあるのに軽やかな動きができるよう筋肉を操作するコトがストライカーに求められる身体的内部感覚なのです。

日本の選手のようにスピードのあるプレーをすると、どうしても体の一部または全体に、緊張で力んでしまいがちになります、そのために筋肉の連動に虚ができて、スピードが失速したり、シュートが思うようにきまらない原因にもなるのです。

日本代表の場合DFをもっと強化するコトとアタッカーの守備の負担を軽減するコトでゴールにより執着できるのでは、と考えられます。その結果、いつかこの問題も解消できるようになるのでは、と私は考えています。

「チョッと」という片仮名の無声音の小文字の感覚が、内部感覚であり、「チョッと」意識に変化をいれて、カラダを操作するだけで、大きな力にもなるのです。

この内部感覚の「見えない動き」をマスターするには、まず見える動きを掘り下げるコトからはじめれば、それほど難しくはないのです。と申しますのは、身体の根幹となる「胴体」の動きは3つしかないのです。その3つとは、[丸める/反る][伸ばす/縮める][捻り]です。あらゆる動きはこの3つのバリエーションにすぎないのです。ですから、これを徹底的に磨けば、動きの質は間違いなく向上し、このコトをチョッと意識するだけでも、動きが変わるのです。そうなればあらゆる状況においても、適切な判断で対応できるプレーが可能になる、というコトです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

2012年10月2日火曜日

ストライカーの内部感覚について (1)


こんにちは! 蜻蛉です。今年もアッという間に10月、心配された台風も過ぎ去り、スッキリとした秋晴れの青空になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、きょうの話題は、ストライカー不足に悩むサムライブルー日本代表のコトについて、私自身の見方や考え方(主観的な偏見かもしれませんが)を2回に分けて述べてみたいと思います。

昨夜のTVスポーツニュースで、マンUの香川選手のゴールとフランクフルトの乾選手のゴール失敗のシーンを観ました。この2人に見られるように、日本の選手たちが欧州で活躍している姿を見るのは喜ばしいコトです。

ここで特に2つの得点に絡むシーンを取り上げましたのは、得点を決めるために重要な内部感覚(センス)が、対照的に現れていたからです。

香川のシュートは、相手ペナルティエリア内、ゴールを背にしたポジション(オフサイドぎりぎりの位置)で味方のパスを受け、内側にマークしていた相手DFとは反対の方向に素早くボールと一緒にターンして、タイミングよく左足でシュート、GKは左側にセーブしたがボールに届かず、ゴール右隅に揺ったりと弾みながら吸い込まれた見事な得点でした。(彼のマンUの公式戦初得点も同じようなケースから振り向きながら決めていましたね)

一方の乾選手は現在絶好調、この試合前までの3試合に連続得点して、期待されていました。この試合でも、味方のカウンター攻撃で、ハーフライン近くから抜け出し、単身ドリブルで相手ゴールに向かい、相手GKと1対1になったところで、右足でシュートしましたが、前に出てきたGKに手ではじかれ、得点チャンスを逃がしてしまいました。 

ザッケローニ日本代表監督が観戦していたそうですが、おそらく本人は多少意識しながらプレーしていたのかもしれませんね。もしあそこで決めていれば、現在のクラブでも日本代表にても、彼の存在価値がグ―ンと上がったかと思われるほどの惜しまれるシュートシーンでした。

内部感覚という言葉が、この場合について適切なのかどうかは、私自身も定かではないのですが、「体を操作する上での意識(見えない部分)のとらえ」というふうな意味にとらえてもらえれば、と思います。

この「内部感覚」というのは、サッカー選手のストライカーの身体とプレーを例にしますと、柔らかくて強く、安定感があるのに軽やか、という矛盾する状態を併せ持つ理想的な身体で、プレーの状況に対して、それらを意識(内部感覚)的に臨機応変、身体操作ができるコトを言います。

そのような身体というのはカラダのどの部分でどのように動かすコトをいうのか? 
それに関連して、ストライカーに求められるプレーとは何なのか?

これらのコトについては、次回に述べてみたいと思います。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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