
こんにちは! 蜻蛉です。昨日(8日)は40数年ぶり、神奈川県横浜市港北区日吉にある、懐かしい母校慶応義塾大学ソッカー部下田グラウンドを訪問しました。
この訪問のきっかけは、連休の祭日を利用して、ソッカー部の蹴球祭が開催されたからです。この祭日は東京五輪(1964年)を記念し制定されたモノで、私はその年に塾を卒業。その年以来の訪問ですから、その期間の隔たりは、その場所以外、すべての面で変わっていました。もちろん良い方にですよ。
さて、前回2回に分けて、「ストライカーの内部感覚」について、述べてきましたが、今回はもう少し角度を変えて、「内部感覚」について述べてみたいと思います。
昨日久しぶりのグラウンドに踏み込んだ途端、現役諸君の活き活きとした熱気が伝わってきて、タイムスリップしたかのように、私の学生時代を彷彿させてくれました。そのせいか、肝心の試合を観るのが疎かになり、日本サッカーのある一面を垣間見るチャンスを逃がしてしまいました。
しかし、可愛い女性マネージャー(我々の時代は女性は無縁でした)がこの年寄りの蜻蛉の話し相手になってくれてサッカー談義をしているとき、目の前にて現役諸君と若手OB?が人工芝のピッチ1/4を使いミニゲームが始まりましたので、話をしながらプレーを観るコトができました。
そのゲームのプレーで感じたコトは、ボールの操作の際、下半身の足はよく動くのですが、股関節から上の胴体と腕の動きのモノ足りなさでした。
もちろん、半ば遊びのような雰囲気でしたので、そうだと決めつけるような評価はできないのですが、前に、沢穂希選手他なでしこジャパンの選手たちが所属するINAC神戸のチームと男子元日本代表選手等のチームがミニサッカー試合(TV番組用)をやっていましたが、彼女等のプレーは真剣そのモノ、足先のプレーなどはほとんどなかったので、私は、そのコトをこのブログで、特に褒めたのでした。
私が日本とペルーで体験したサッカーの違い(代表クラスを除いて)は、接触プレーにおける、胴体と腕の使い方にあります。というのは、ペルーに限らず南米のサッカーは肉弾戦的なゲームに対し、日本サッカーはいわゆるパスとドリブルを主体にした上品なサッカーのゲーム運びをするため、接触プレーが限定されてしまい、南米選手のような当たりの激しいプレーに合うと、そのプレッシャーに戸惑って、あっさりとバックパスしてしまうわけです。日本選手ができないのではなく、国内の試合の場合、そういう状況が少なく、その必要性がないからできないのです。
私自身のプレーも、ペルーで最初に指摘されたのは、接触プレーでの身のこなし方で特に、「ヘッドでもタックルに対しても両腕でガードせよ」というコトでした。それに加え相手に肘打ちする悪いコトも教わりました(やったコトはないですが)。
ゲームでは、子どもでも50歳代でも、遠慮の無い激しいプレーの応酬です。そのようなゲームの性格ですから、柔術のように自然と防衛反応が芽生えてくるのです。それと同様に攻撃面でも、アグレッシブな面とエレガントな面という矛盾するような面を持ち合わせているのが南米産プレーヤーの特性なのです。
特に見落としてはならないのは、5〜12歳の子どもが、ストリートサッカーやミニサッカーゲームなど狭いスペースで、ルールや年齢制限を少なくし、できるだけハンデというプレッシャーを背負いながら、自分たちの意志で鍛えているのです。
そこに日本の子どもがやるゲームとの相違があるのです。それらが理解できれば、そのような条件を自由に設定できるゲームをやり続ければ、日本の子どもは優れた吸収力があるから、南米の子どもに負けないタレントが出てくる可能性がある、と言えそうです。この年代にこそ、自然とサッカーのゲームに対応する、内部感覚が養われ、それらがサッカー選手としての各々の個性になっていくのです。
では、そういう経験のない大学生の現役諸君の場合には、どうすればよいのか?少し長くなりそうなので、次回にそのコトを述べてみたいと思います。
最後に、前回に誤りがありましたので、ここで訂正させていただきます。
オランダの「アインドーベン」(誤り)と記載しましたが、
オランダの「PSVアイントホーフェン」(正しい)に訂正します。
グラシアス(ありがとう)! アスタ・ラ・プロクシマ(このつぎまで)
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