Japan Soccer 50年

2012年10月16日火曜日

サッカーの内部感覚と気功について

こんにちは! 蜻蛉です。 サムライブルー日本代表が欧州の強豪フランス代表にアウェーの試合で、勝利(1−0)。という夢のような結果を実現してくれました。今夜(16日)のTV放送(対ブラジル代表戦)がより楽しみになりましたね。
 さて、今回も前回に引き続き、「サッカーの内部感覚」について、述べてみたいと思います。

 南米ペルーに住む私は、日本のサッカー界のために、『土俗的な忍者式サッカー」』と『サッカー文化と異文化の内外相合』という題の本2冊分の原稿をペルーで執筆しました。今回来日した目的は、この原稿を本にして出版するコトでした。

 しかし、最初に偵察がてら訪問した、秋葉原の「書泉」という大きなビルの本屋で、サッカーコーナーの本や雑誌のボリュームを見て驚き、知名度(日本では重視されている)のない私の本は、下手に交渉しても、出版社の段階で無視されるコトは必至である、と判断。友達にも相談しましたが、これという名案がなく、どうしようか?と悩んでいたところ、私の息子が、「インターネットを利用したら」というコトで、この『蜻蛉ちゃんのサッカー』で、外側(ペルー)と内側(日本)から覗いた日本サッカーのギャップというか差異を埋めながら、出版のチャンスを待っているというのが、私の現状です。

 このギャップというのは、言葉(スペイン語と日本語)や文字(ABCの横文字と漢字・平仮名・片仮名)の違いにあるのです。たとえば、最初に、“EL QIGONG”という言葉と意味を私の息子と中国人の青年から教わりましたが、日本語で何というのかは知りませんでした。たまたま、以前一時帰国したとき、息子のために買った『太極拳』の本に「気功」という言葉の文字が記載されていましたので、同じコトの意味だったのだ、と納得しだしてから、その本を貪るようにして読み、想像やイメージを働かせながら、サッカーと気功、サッカーと中国拳法の接点を探しているうち、ある日突然そのイメージがくっきりと脳裏に描きだされたのでした。

 それは、野武士のような土俗的忍者が変幻自在でしかも神出鬼没の動きでボールを支配する姿と、日本選手とが重なり合ってる姿でした。

 「内部感覚」という言葉の使い方も、今回の来日で初めて知りました。これも、息子が購入していた「気功」の本を読んでいるとき、この「内部感覚」という文字を目にして、強烈に記憶されたのです。

 と申しますのは、私が公園で立禅(立った姿勢でする気功禅)をしているときに、それこそカラダの内部の感覚で、腰椎を動かす(「コツッ」という音がして)コトができたのです。そうです、カラダの内部を自らの感覚で、筋肉を操作し、外からの操作なしに骨を動かすコトができたのです。ここでも日本語の特に漢字の力の素晴らしさを再発見したような気がしました。

 この言葉を知る以前、「気功」を知らない人に、どのような説明の仕方をしたらよいか、私はその言葉に行き詰まった感覚で悩んでいましたから、この言葉を知って詰まっていた気がスーッと通り抜ける感触を得ました。

 大学生諸君のサッカーゲームを観戦していて特に目立つのは、いかにもスピード感の溢れる瞬発力で相手を牛耳ろうという感覚でプレーしているように見えるコトです。おそらくそのために、一生懸命筋力を鍛えるパワートレーニングに励んでいるコトでしょう。これは大事なコトです。

 しかしここで誤解しないで欲しいのは、「スピードはパワーではない」というコトです。逆にパワーがスピードを奪ってしまう、というコトなのです。

 日本人に限らず、人間は理性で社会に適応して生きる動物であり、そのために子どものころから親や先生にしつけられます。そのしつけはカラダや精神を操られ、「緊張せと」というコトで、カラダのどこかで「力み」を強要するモノです。

 大切なのは全身の筋肉のつながりによるスピードなのに、「力む」コトによって、そのつながりがどこかで欠落して(虚ができて)しまう。途絶えてしまう。それが失速を生むのだ、というコトです。
ですから、そういう癖を抜き去り、全身の筋肉のダイナミックな連動をスムースにつなぐコト(その内部感覚をつかむコツ)を覚えるコトがサッカー選手には欠かせないのです。

 これまでサッカーのトレーニングで信じられていた規制概念(筋力=パワー)を捨て、自分の身体能力の可能性を追求する方法を見つけるコトを私は薦めます。

 私たちはカラダばかりで生きているように錯覚しやすいようですが、そこにいつも精神や心がからんでいるコトは言うまでもありません。その証拠に「集中力の度合い」は、いつもその結果を大きく左右します。

 高い集中力は、その選手の能力を最大限に発揮してくれるのです。逆に意識が分散して集中が途切れれば、自分でも驚くほどのミスをします。しかし私たちのような凡人にとって集中力は意識によって簡単にコントロールできるモノではなく、なかなか難しいモノのようです。

 その能力を養うには、やはり訓練が必要です。そのために、私が現在一番力を入れている方法が、気功と中国拳法の体術の技法をサッカートレーニングに導入して、自ら修練できるよう、その方法を考えているのです。

 ここで先日の日本対フランス戦にて、スペインの名門レアル・マドリードのストライカーとして活躍しているフランス人のベンゼマ選手の(「内部感覚」に関連する)プレーで気づいた前半の2つのシュートを例にして考えてみたいと思います。

 一つはペナルティエリア内左サイドで日本のDFを左に交わし左足でシュートしましたが、ボールはゴール右ポストの手前を逸れて得点にはなりませんでした。

このシーンを観て感じたコトは、シュートの瞬間、全身が力み脚の力だけでスウィングし、しかもボールをとらえる際の足首が動いてしまっていたコトです。

もし丹田(気のエネルギーの出発点)からの内部感覚でシュートしていれば、脚がシナルように振れ、ボールを蹴る瞬間には足首は固定し、振り切れていたはずなのですが、蹴るフォームの出発点に虚ができて、あのような結果になってしまったようです。

 もう一つは、ゴール前でのフリーキックで、右足で壁の右サイドを狙ったのですが、GK川嶋の左横飛びのセーブで弾かれ得点にはなりませんでした。

このシュートの際も、やはり丹田からでなく、右脚の振りでボールを上手くとらえてはいたのですが、蹴った後、そこで脚が止まってしまっていたのです。あそこで振り抜かなければ、ボールにその威力は乗り移りませんから、威力のない、しかもGKが取りやすい高さになってしまうのです。

 内部感覚を使ったシュートは、丹田から気のエネルギーを筋肉の動作の順に流せるように意念で操作すると、(内部感覚の)小さな力で、大きな力が経絡を通じて、気のエネルギーが神経を刺激し、効率よく(エネルギーに満たされた)筋肉を作動するコトができるのです。そこに内部感覚と気功の間に秘密が隠されているのです。

 その秘密を探るには、気功を実践しながらサッカーに活かせる(応用できる)よう内部感覚を養う以外方法はないのです。難しい課題ですが、それだけやりがいがあり、それを実現したら驚くようなプレーができるようになる可能性があるのです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ

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