Japan Soccer 50年

2013年1月29日火曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義

Job in hand: National team manager Alberto Zaccheroni wants Japan to qualify for the 2014 World Cup as early as possible.こんにちは! 蜻蛉です。大相撲初場所で横綱日馬富士が全勝優勝しました。場所前、横綱審議会が前場所の9勝6敗の成績に対し、強烈な批判をしていたようですが、今回の成績にどういう反応を示すでしょうかね?最後の4場所で3場所全勝優勝ですよ。素晴らしいとは思いませんか?

 さてきょうも前回に引き続き『サッカー批評』のザッケローニを超える日本代表、というテーマの一つ、「解けないままの宿題―南アから変わらぬ2つのテーマ」をタタキ台にして話し合いたいと思います。

 このテーマは、現状の日本代表で何が問題で、それをどう解決していけばいいのか。そして、未来に進むために何をなすべきなのか。連戦を現地取材した清水英斗氏(サッカーライターで現在フリーランスとして活動中)が肌で感じた問題を指摘しています。

 清水氏はつぎの6つの項目に分けて、氏自身の見方と考え方を述べています。

1.日本代表が抱える永遠の問題。 2.活躍する海外組は増えたがそのほとんどは2列目。

3.日本が誇るダブルボランチの限界。4.ハイレベルのボランチを育成するのに必要な土壌。

5.攻撃面はまずまずの出来、問題は危険スペースの察知。 6.本田1トップに感じる大いなる可能性。

 以上の項目に従って、著者の声に対して、私蜻蛉の見解を述べていくことにします。

1.世界のトップレベルの国々に対し高い位置からプレスをかけてボールポゼションでも互角に戦う攻撃的なサッカーを目指したとき、昨今の日本代表に必ず露呈する潜在的な弱点がある。ボールを持ちながら攻めきれず、相手のカウンターにやられてしまうのだ。おそらくこれは永遠の課題だろう。

 南アのW杯で、岡田監督はこの問題の根本的な解決を諦め、自陣に引いてコンパクトなブロックを作る守備的な戦術から勝ち点を拾う、言わば弱者のサッカーを選択。ボールポゼションを捨て失点のリスクを極力減らし、虎の子の1点を守りながら粘り勝っていく。その指揮官の決断はグループリーグ突破という結果を残した。あれから2年。今回のブラジル戦の大敗を見るにつけ、やはり岡田監督の見立ては正しかったと言わざるを得ない。ゴールに近づいて最後の打開力、そしてカウンターアタックへの脆弱さは、ザックジャパンになった今でも解決されていない。

(蜻蛉の見解)

 「なぜ攻めきれないのか?」と言うのではなく、「なぜブラジルが日本に自陣まで攻めることを許したのか?」と考えてみてください。日本側の立場だけでなく相手側の立場で考えてみれば、この2つの問題は容易に理解できるのでは、と私は感じています。

この問題の裏には、日本のサッカーの指導者は戦術の細かい知識をよく勉強しています。しかし、守備戦術と攻撃戦術の原則があるコトを知っているのでしょうか? 私が日本サッカー協会の海外国際委員をしていたとき、協会の機関紙と96年に「世界」と戦う日本代表をめざして「強化指導指針1996年版」を読んでいましたが、私がペルーで指導者として学んだ「戦術の原則」について、一度も記載されているのを見たコトはありません。

この原則については、このブログでも以前に記載しています。日本男子のサッカーは、もっと「なでしこジャパン」のサッカーを見習う必要があります。女子は男子のような体格もパワーもありませんが、技術にしても戦術にしても基礎がしっかりしています。と言いますのは、選手たちはアタマではなくカラダ(心身ともに)でサッカーの知識を吸収しているからです。

2.日本選手は欧州で活躍する選手が増えたが、日本のストロングポイントである中盤の2列目やサイ 

ドバックの選手ばかりで、FW,ボランチ、センターバックといったセンターラインに関してはまだまだこれからといった状況でポジションごとにバラつきがある。これは日本サッカーの育成にも関わる問題であり、代表監督が変わったからといって、わずか2年間で解決できるほど簡単な問題ではないだろう。 

著者は、「リアクションをベースとして対抗するサッカーには別れを告ぎたい」日本はもう一歩前へ進まなければならない。日本代表が世界の列強と肩を並べた戦い方で結果を残すためには、今後何が必要になるのか、いくつかの具体的なポイントを述べていきたい。

(蜻蛉の見解)

 日本サッカー界は海外サッカーの情報が入りだしてから敏感にリアクションしてきたはずです。それが進歩につながっているのですが、一方では早とちりというか誤解して今日まで引きずってきている問題もあるのです。いくら攻撃的サッカーといっても、鍋底に穴があるような守備では、いくら攻撃しても、その支えがなければ、中途半端な攻撃、裏を返せば中途半端な守備というコトになります。「ビルトアップ」という言葉を知っているのに、それが徹底されていないのではないでしょうか。

岡田監督の戦略はW杯のグループリーグでは当然。世界のトップクラスと言えども同様です。優勝を狙うチームがグループ戦に焦点を当てて、最初から全力を挙げて戦う、というケースは、過去のW杯でもマレです。逆に、グループ戦で、決勝トーナメントで強敵相手の攻撃に対抗できる、守備陣の組織を強固にするため、あえて防御ラインを下げて堅固な守備網を編んでいるのです。それができて、少し少し攻撃面へとビルトアップさせていくのが常道ではないでしょうか。 

W杯のグループ戦で派手にデビューしたチームは決勝トーナメントでは下降線を辿る運命になっていくコトはW杯の歴史を調べれば気がつくはずです。

ブラジルにしても、対日本戦ではリアクションサッカーをしていたのですよ。このコトに関しましては後日取り上げる予定です。

3.世界のトップレベルで活躍する攻撃的なチームには、必ず優れた守備的なMFが存在する。と著者は述べた後、ブラジルとスペイン代表のボランチの例を挙げ、特に、スペイン代表とFCバルセロナで活躍しているセルジ・ブスケッツについて述べています。

 ブスケッツは以前、インタビューで「攻撃をしている間もボールを奪われたときのことを考えてプレーしている」と語ったことがある。このような思考で相手のカウンターの第一歩を遮断する選手がいなければ、攻撃に人数をかけることは看過できないリスクを負うことになる。攻撃から守備に切り替わるときの相手のカウンターを防ぐブスケッツのポジショニング、寄せの鋭さには目を見張るものがある。

 そのような視点でザックジャパンを考えたとき、果たしてブスケッツのような働きができている選手が存在するだろうか。

 この2戦を通して明らかになったこと、それはディフェンス面における遠藤と長谷部のダブルボランチの限界ではないかと思う。スペースの広い場所ででの1対1で振り切られる場面が多く、マークを持たないケースでもボールウォッチャーになる癖があるので背後のスペースへの意識が薄い。やはり強豪と対戦すると、スペースが広く空いた状況でカウンターをうける際のボランチの守備力がアキレス腱となる。日本が世界基準へと脱皮するためには、今よりもエンジンを大きくし、スケールアップしなければならない。

細貝はその可能性を握る選手の1人だ。遠藤や長谷部を凌駕する寄せの鋭さ、球際の激しさ、ボール奪取力は世界基準とも言える。しかし2人の落ち着いたプレーぶりに比べると、やはり荒削りな部分が目立つ。

(蜻蛉の見解)

 清水氏が「カウンター攻撃の第一歩を遮断する選手がいなければ」と指摘しているようですが、その第一歩がボランチの選手のように述べておられますが、もしその通りであれば、私は「違うのでは」と思いますので、異論を述べさせてもらいます。

 攻撃戦術の場合にはブロックを形成するように、ボールを相手に奪われた瞬間に、そのブロックが守備戦術のブロックに変わるのです。ですからボールを奪われた選手と一番近くのサポートした選手が、第一歩を遮断する選手にならねばならないはずです。そのときの選手の使命は、速攻を防ぐために、前方へのパスをさせないよう遮断できる位置に詰め寄ってボールを奪うか、味方選手帰陣の時間稼ぎをするコトなのです。ブスケッツの語っているコトは当たり前のコト。その当たり前のコトが守られていないところに問題があるのです。

 現在、日本選手の弱点を挙げるとしたら、守備におけるマークの仕方にある、と私は見ています。その弱点とは、マークする際の姿勢です。私が現役の頃、ワンサイドカットといって、ボールをキープしている相手に対して、縦方向に向かわせるように斜め前からボールを見ながら少し前かがみの姿勢で構えながらプレーしていたのですが、現在でもあまり変わっていないようです。この雑誌には長谷部がフランスのボール保持者にマークしていて、後ろには相手選手、その斜め後方に今野が映っている写真が掲載されているのですが、2人の間合いと姿勢に清水氏が指摘している問題が浮き彫り示されています。ここでは、そのコトについては取り上げませんが、後日まとめて述べようと思います。

4. のボランチの育成と土壌、5.の攻撃面、6.の本田の1トップ等については、この後に記載されて   

いるコトとラップしていますので、そのときに取り上げてみようと考えています。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月26日土曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (2)


Makoto Hasebe and Yuto Nagatomo - Japan v Australia - 2010 FIFA World Cup Asian Qualifierこんにちは! 蜻蛉です。 新年早々アルジェリアに派遣されている日本人の内、10人の方がテロリストに虐殺された、という悲惨な事件がありました。私自身もペルーでテロに脅かされていた体験もあり、他人事ではない激しい怒りを感じています。亡くなられた故人の方々のご冥福をお祈りします。また、故人のご家族や友人の方々にもお悔やみ申し上げます。

 さて、きょうも前回と同様に、雑誌『サッカー批評』(双葉社発行No.59)の、憂国のジャーナリストが問う「世界の壁」は本当にあるのか?について、語り合いたいと思います。

 このコトを記載したのは、1998年からイタリアに移住して、サッカーを取材されている日本人のジャーナリスト宮崎隆司氏で、未だメディア二溢れる「世界の壁」「世界との差」という言葉を目にするたびに、日本人ならではの謙虚さを見る反面、同時に悔しい思いもこみ上げてくる。なぜそこまで卑屈になる必要があるのか?

 という問いに対して、宮崎氏は、「そんなものはない」と断言しています。なぜここまで断言できるのかと言えば、第一に欧州の現場で確実にその“壁”なるものが低くなっていく様を目の当たりにしてきたからに他ならない。その裏づけとして、欧州各国で日本選手は現地の選手に対等に渡り合い、時には彼らを凌駕するプレーを見せている「事実」がある。技術的な資質で大きく劣っていたわけではない。もしそこに「壁」の存在を認めるなら、それは「国際経験の差」と言える場合がほとんどだろう。

 日本の選手は周囲からリスペクトされ、信頼される存在、その最たる例が今で言えば長友、長谷部、“ピンチに怯まず、チャンスに驕らず”の姿勢と、それを支える精神、すなわち謙虚さに裏打ちされた高いプロ意識は、日本人選手の傾向として強く見られるストロングポイントであることは疑いようがない。彼らのような選手が今後もさらに増えていくとすれば、それは「日本サッカー界全体の底上げ」に直結するはずである。

 日本ほどマジメにサッカーを論じ、真摯に向き合っている国は他にどこがあるだろうか?指導書など初めとする刊行物の多さ、熱心にサッカーを教える指導者の豊富さと情熱、例外なく全力を尽くす選手たちの姿は間違いなく世界でも誇れるレベルである。

 欧州各国は長足の進歩を遂げた日本サッカー界に深い畏怖の念を抱いているからこそ、時間の経過と共に大きくなる日本の足音に怯え始まっている、とすれば、もはや気持ちの面では「欧州恐れるに足らず」そして、いつ世界トップに追いつくのではなく「追い越す」と我々は堂々と述べて良いはずなのだ。

 「本場」への敬意を払いながらも、しかし過度な欧州崇拝をやめ、独創性のなさや肉体的なハンディを嘆くのではなく、我々日本人ならではの献身性こそを最大の武器とするサッカーを貫き、地道な努力を今まで通り、ときには今まで以上に重ねていけば、20年後に日本はその緻密なサッカーで世界の4強に名を連ねることも決して不可能ではない。逆に本場にはない日本独自の資質にフォーカスすれば、導き出される答えは自ずとそうなる。したがってまずは、「世界の壁」なるものは、今や、完全かつ最終的に取り払われたと考えるべきなのだ。 宮崎隆司氏はそのように結論づけています。

 

これまで宮崎氏が論じているコトを記載しましたので、これからは私蜻蛉の見解を述べてみようと思います。断っておきますが、宮崎氏の考えを私が否定的に述べたとしても、それが間違っているのだ、というふうに解釈しないでいただきたい。あくまでも、「このような別の見方や考え方もありますよ」というふうに受け止めていただければ幸いです。

 「世界の壁」という言葉について、結論的に言わせてもらえれば、世界との「差」はあっても「壁」なるモノはない、と思っています。もし「壁」なるモノを論ずるとすれば、世界ではなく「日本社会」と「日本人同士」の「壁」ではないかと思っています。日本サッカー界も例外ではありません。

 「世界の壁」というのは、日本サッカーが、日米開戦以来、世界のサッカーから孤立化し、戦後復活したものの、野球界がいち早く、職業野球、社会人野球、学生野球、高等学校、中等学校、草野球というように、国民スポーツとして先鞭をつけたため、サッカーを含めた他のスポーツは遅れをとってしまい、限られた枠の中で普及と振興をはかるしかなかったのでした。もちろんサッカーの技術というモノも、指導者不在で、「How to play soccer」なる洋書を購入して、独学せざるを得ない状況でした。

 戦後のサッカー界の大きな出来事といえば、ドイツ人のデッドマール・クラマー氏の来日で、日本のサッカーが世界から孤立しているコトを思い知らされたのでした。そのとき以来見えない外国サッカーや来日した外国チームとの差が歴然としているコトを知らされ、世界との「差」とか「壁」という表現が定着したまま今日まで引き継がれてきているようです。

 問題は日本という国と人による構造主義の差別社会(上層や下層、学歴等)に枠組みされてきた「壁」という現実から、自然と己のモノと他のモノとを比較する慣習になり、世界サッカーと日本サッカーを幻想的に眺めて、「差」を「壁」と表現したモノではないか、というふうに私は解釈しております。

 宮崎氏の「“壁”なるものが低くなっていく様」という表現は、彼がイタリアや欧州のサッカーを身近に見てきて、その見慣れてきたサッカーのレベルの視線がそうさせているのであって、日本のサッカーが、何人かの選手が欧州のトップクラスのクラブで活躍しだして、彼の目線とラップして、それなりに高くなってきているかのように幻想させているようです。しかし現実の日本選手は、長友、本田、香川、川島が目立つだけで、他の選手はスポット的に活躍していますが、出場していない選手が大半なのです。

 日本ほどマジメにサッカーを論じ、真摯に向き合っている国は他にどこがあるだろうか?と述べていますが、これこそ日本人の気質というか負けず嫌いの性格がそのまま現れているようです。日本の世界地図のような自己中心的な見方のように感じます。

日本のサッカーに関する出版物にも触れていますが、日本人は学校でサッカーを教えられて学び、生涯勉強するように躾けられています。ですから熱心に勉強し討論もするわけです。しかしサッカーの先進国の人は、「教えられるより、まずカラダで覚える」それが大事なコトだと考えながら自主的にプレーしているのです。教科書を読んで、先生に手取り足取りサッカーを学んでいるのではない、というコトです。ですから刊行物にしても、社会学的な出版物は多くあっても、技術や戦術などの本が出版されても、買って読む人はマレなのです。

サッカーゲームの本質は押し合いへし合いの「闘争」です。スペイン語で闘争を「コンペテンシア」と言います。私が35年以上南米ペルーでプレーし、観戦し、指導してきて、日本サッカーと根本的な違いは、若年層からトップだけでなく50歳代にても「競り合いにおける激しさ」の度合いにあります。

ですから、宮崎氏のいわれるリスペクト、謙虚さ、忠実さを前面に押し出すのではなく、対戦相手に競り勝つだけでなく仲間のライバルに対しても同様、指導者に認められるために「エゴイズム」と「プライド」でアピールしなければならないのです。その上で高いレベルに応じて「リスペクト」や「謙虚さ」を身につけていくのです。

日本では高校生でもかなり高度な戦術練習で鍛えられていますが、ペルー(他の南米でも)では、16歳になるまで、細かい戦術の指導はしません。それより、個人の技術と体力のレベルアップに力を注いでいるのです。

日本のサッカー関係者が、「ユース段階で日本の選手は外国の選手に比べ技術が優れているのに、トップのレベルになるといつの間にか抜かれてしまう」と嘆いておられますが、この戦術指導を技術が完成していない段階でやるのか、完成度を高めてから指導するのか、という違いに両者間で逆転現象があらわれるようです。

南米の指導者は、選手を教育的に育てようとするのではなく、選手たちの立場に立って、話し合いながら、必要なコトを気づかせるように指導しているのです。

裏を返せば、日本人の指導者の完璧主義的な指導というか、教えて育てようという点に、サッカーのコンペテンシアに欠かせない「動物的な競争心を理性で封じ込めさせてしまっているのでは」と私は、これまでの日本サッカーを見てきて、そのように感じています。

日本サッカーの問題は、「世界の壁ではなく、日本社会と日本人同士の壁」に、その答えがあるのでは、と私はそのように解釈しております。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月23日水曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (1)

こんにちは! 蜻蛉です。先週の土曜日(19日)に順延されていた全国高校サッカー決勝戦が、東京国立競技場で行われ、宮崎県代表の鵬翔高校が、京都代表の京都橘高校に勝って、初優勝しました。

 私が期待していた通り、両チームの選手たちは資力を尽くして、最後まで素晴らしいゲームを展開してくれました。不毛の地と思われていた宮崎県のチームが優勝したコトは喜ばしい出来事です。 

試合の結果は2−2(延長戦0−0)の同点で、PK戦に入り、橘のキャプテンでチームのエース仙頭選手が最初に蹴ったボールが右ポストに当たってゴールならず、その失点が致命傷となり5−3で橘は不運にも負けていまいました。不運といえば、橘は2−1で勝っていたのですが、終了間際に、相手にPKを与えて、同点にされたコトは、悔やまれたコトでしょう。

技術的な角度からそのPKの反則をおかした選手の状況を再現して覗きますと、反則になるようなタックルをする必要はなかった、と感じました。相手選手は、ドリブルから、まだシュート体勢に入っていないのに、ボールに向かってタックルしようとしていたのですが、その前に相手の体に触れて倒してしまい、主審がPKと判定したわけです。このようなケースはプロの試合でもあります。あの場面では、ボールに直接向かうのではなく、相手がシュート、またはクロスしようとするコースを妨げる(相手とゴールの間に立ちはだかる)だけで、そこでボールを奪う必要はないのです。

さて、前回に私はサッカーの雑誌を買って読んだコトを述べましたが、きょうはそのコトを取り上げて、現在のサッカー関係者がどのような見方、感じ方で、考えているのかを探ってみようと思います。

この雑誌は2012年11月8日(株)双葉社発行『サッカー批評』59号で、内容は、サムライブルーの日本代表が、欧州において、世界の強豪フランス代表とブラジル代表との2連戦したコトに関しての特集でした。表紙には、「ザッケローニを超える日本代表へ」、2014年、ブラジルとの『僅差』を埋めるために必要なこと、「世界の壁」は本当に存在するのか?と記載されています。

この雑誌の目録には:

1. 特集、ザッケローニを超える日本代表へ

2. 「世界の壁」は本当にあるのか?(憂国のジャーナリストが問う)

3. 解けないままの宿題(南アから変わらぬ2つのテーマ)

4. 日本代表の守備はなぜ崩壊したのか?(ディフェンスマスター松田浩監督が分析)

5. 「無謀な挑戦」の光明(愚かな戦いを挑んで見えた攻撃の完成度)

6. ブラジルまでの次なる航路(日本代表の証言から紐解く指標)

7. ザッケローニの手腕とマネジメント(本田ワントップ、ポゼッション傾倒への弊害−徹底討論)

以上の他、フランス人ジャーナリストとブラジルのオリヴェイラ(元鹿島の監督)も記載しています。

 これらのコトをすべて取り上げるには、ここでは無理ですので、主なポイントだけを何回かに分けて話し合いたいと考えています。

 きょうは、1について、感じたコトを述べてみようと思います。これはあくまでも、私個人の考えですので、「ああそういう見方もあるのか?」ぐらいに取り扱ってくだされば幸いです。

1.には、「日本代表が更なる進化を遂げるために必要なことは何か?」

それはいい意味でザッケローニの発想、規律を選手たちが超えていくコトではないか。(略)アジアの戦いでは個々の力で相手の対策を上回れても、W杯ではより状況判断や戦況に応じた戦い方が必要になってくる。そのためにはチームとしてのハイレベルな実戦経験が欠かせない。

今回、フランス、ブラジルと戦った親善試合は素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった。やはりこういう経験をどれだけ継続して作っていけるか、そこに我々の本気度が問われている。

本田圭祐はW杯優勝という目標を口にする。長友佑都もしかり。何人かの選手は本気になっている。(略)しかし、多くの親善試合を国内で行い、ごくたまに強豪国と試合をするというのでは、その目標はどうしても限界がある。

(略)しかし、選手だけでなく、日本のサッカー界がこの先本気でW杯優勝を狙うなら、多少の無理をしてでも定期的な強豪国とのマッチメイクを組む覚悟が求められる。

今回の欧州遠征で分かったコトは、現状でつけられている多くの差は「慣れ」の問題が大きいということだ。決して能力部分で大きく劣っていたわけではない。充分互角以上の勝負に持ち込めるはずだ。  

もちろん個々の能力と組織として成熟度を磨くコトも必須である。ブラジル大会での優勝は現実的ではないが、前大会以上の成績を目指すためにはまだまだやれるコトがたくさんある。本大会出場が見えてきた今だからこそ、日本代表の総チェックを行いたい。

以上のコトが記載されていました。

日本代表の試合を観戦してきて、選手たちが監督の使命に忠実し過ぎ、それ以上の働きをしているようには感じませんでした。ですから、監督の筋書き通りのゲーム展開したときには、目の覚めるようなプレーでゴールを決めているのに、そうでないときには、平凡なサッカーで、ただ単なる球回しゲームで、結果的にはゴールに結びつかない、という感じがしております。

対戦相手のアジア諸国も、予想していたより、ファイティングスピリットが欠けていて、日本が良かったのではなく、対戦相手国のレベルの低さに原因があるように感じています。どちらにせよ、監督の使命の他に、選手個人の能力による可能性があって、チームへの貢献度を高めるコトがどうしても必要ですから、監督の発想、規律を超えていくコトが欠かせないのです。

 この2連戦を素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった。と褒めていますが、本当にそう思いますか?このコトについては、この後にも記載されていますので、そのときに取り上げてみたいと思います。

 選手たちがW杯優勝を口にしていますが、参加するのであれば、選手たちは優勝を目標にするのは当然だと思います。しかし、その前に行われる、コンフェデレーション杯(6月にブラジルで開催)にて、

強豪国相手に試合ができるのですから、それまでに日本の選手が準備できるのは、所属しているクラブで出場して、どれだけレベルアップできるかが問題のはずです。

 強豪国を相手にしなければ、レベルアップできないと考えるところに、日本人自身の問題があるように思われます。極端な言い方になりますが、「外からの刺激がないと反応しない」気質があるようです。

 今回のマッチメイクにしても、フランス戦に勝利という結果をだしたからこそ、ブラジル戦の大敗に対しても、「素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった」という寛容な表現で評価しているのでは、と感じています。これも実に日本人的な表現の仕方だ、と感じました。

 「本気でW杯で優勝を狙うなら」の本気とはどういう意味があるのでしょうか?いわゆるホンネとタテマエというコトでしょうか? この表現も日本人らしさのようですね。

 今回の遠征でわかったことは、現状でつけられている多くの差は「慣れ」の問題が大きいというコトだそうですが、では慣れたから「互角以上の勝負に持ち込めるはず」と言えるでしょうか?この表現に対しても首を傾げたくなりました。

 最後に「個々の能力と組織としての成熟度を磨く」とありますが、これはサッカーに取り組む指導者や選手たちの永遠の課題であると思います。

きょうはこれまでで、次回もこの雑誌の内容をたたき台にして、語り合いたいと思います。

 

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月18日金曜日

サッカー選手のタレント性を見極めるポイント


こんにちは! 蜻蛉です。 先日(15日)、私の母校県立浦和高校サッカー部の同期会が浦和駅の近くにある某所で行われました。我々同期の年齢は現在71歳ですが、一緒にボールを蹴りあって苦楽をともにした頃の年齢はちょうど数字を逆にした17歳ですから、半世紀以上になります。

 もうそんな時が経過しているのか?と不思議な感じがしました。と申しますのは、我々の仲間たちは、現在も何らかの形でサッカーと関係しているせいか、表面的には変わっていても、サッカー談義している姿は、昔と変わらない情熱というかある種のエネルギーを感じました。

 高校といえば、昨日は全日本高校女子選手権の決勝戦が、静岡県の磐田市にある磐田スポーツ交流の里“ゆめりあ”で行われ、常盤木学園高校(宮城)が2−0で神村学園高校に勝って、2連覇を達成しました。大変素晴らしい試合で、未来のなでしこに光明を与えてくれました。

明日は、大雪のため1週間順延になっていました全国高校選手権の決勝が国立にて、京都橘高校(京都)対鵬翔高校(宮崎)が行われます。女子の試合に負けないよう両校の健闘を期待しましょう。

さてきょうは、私自身がサッカーの指導者としてペルーで学んできた経験で得た、サッカーの選手のタレント性を見極める8つのポイントを述べてみたいと思います。

その中から、現在の日本サッカーの問題点を抽出して、将来に向けての課題を取り上げてみようと考えました。これらのポイントは私がチームの監督としての立場から覗いたモノです。

サッカー選手を能力を見極める重要なポイント:

テクニック:パス(キック・ヘディング)、ドリブルやトラップといった基礎プレーの技術。

スキル:の技術を実戦で活用する器用さがある。

根気:粘り強く、最後までボール、または、勝負を諦めない。

気質が強い:勝ちたいという気持ちの有無(度合い)。

インテリジェント:監督やコーチの指示やゲーム展開をキチンと理解できる。

心身のバランス:健康で情緒が安定している。

本能的:予想外の展開に感覚的に対応できる。

特殊な才能:何かひとつの技術で人並み外れた才能がある。

 以上8つのポイントに絞って、日本のサッカーを覗いてみて(一昨年の8月にペルーから一時帰国して以来今日まで観戦してきた試合)感じた点を忌憚なく述べてみますと、つぎのようになります。

 日本サッカーのトップから若年層まで、1と2のテクニックとスキルに関しましては、格段に進歩しているし、世界的にも十分通用すると感じています。ただし、南米の選手と比較して、プレッシャーに対しての球際での強さという要素において不十分さがみられます。

 3と4に関しては、高校サッカーにも現れていますように、日本人の勤勉さが反映した長所であると感じております。

 5と6については、日本人は心身のバランスがとれていてインテリジェンスで申し分ないのですが、真面目で忠実な性格で多少遊びの精神に欠けるという点で、サッカーのゲームで必要な駆け引きの面から見たインテリジェントが不足しているように感じています。

 7と8に関してこそ、日本サッカーが抱え続けてきた重要な問題点なのですが、優れた才能を引き出す指導者と環境というか土壌がないように感じています。

 私が日本に帰国して以来、一度も戦術の本を読んでいませんでしたが、本屋さんには戦術の本がたくさんあるのには驚きました。日本にいた頃は、サッカーの指導者間では、戦術に対する関心が強かったような記憶がありますが、そのコトに関する書籍は少なかったようにも覚えております。

 ある日私は、喫茶店でコーヒーを飲みながら、私が構想しているサッカーについて記載しているノートをチェックするつもりでいたのですが満席で、空席を待つため、たまたま近くの本屋に飛び込んで手に取ったのが、『サッカー批評』という双葉社発行の雑誌でした。

日本代表がフランスとブラジルと対戦した批評が記載されていたので、どういう見方や考え方をしているのか、参考のためにと思い、その雑誌を購入して、喫茶店で読んでみました。

 この書に記載されているコトで、ここで特に取り上げてみたいのは、対ブラジル戦での批評に、

「日本の攻撃はディフェンスラインの手前までは運べていたのだから、日本は最後の一線を突破できれば完璧だったのだが、その回数は少なかった。ここが確認できた課題である」

 この課題こそ7と8のポイントで、ストライカー不在という問題とも関連しているのです。昨日の高校女子のサッカーでも同様、確かにゴールの手前まで完璧?にパスをつなげるコトはできるようになっているのです。しかし、サッカーで最も肝腎な「ゴール」という目的につながらない点に、日本サッカーの重大な問題の要因と要素があるのです。そこに日本と世界のトップクラスとの差があるのです。

 蜻蛉の目から見て、それは容易に解決できる課題ではないと思っています。そのコトについても後日に取り上げてみたいと考えています。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月11日金曜日

サッカーの試合に科学的な判定機器導入は必要だろうか?

こんにちは! 蜻蛉です。このところ東京は快晴つづきで、スッキリした青空の下、心地よい気持ちにさせてくれています。しかしその反面、今朝、私は、インターネットで、日刊スポーツの記事を見て、少し不快な気分にさせられました。

 きょうはその不快なコトについて、新年早々ですが述べてみようと思います。

 『ずる許さない! Jリーグが14年度シーズンから審判無線システム導入?』

というタイトルのこの記事によりますと、

Jリーグでは、欧州主要リーグで使用されている、イヤホーンとマイクとを使用した審判無線機のシステムを、2014年のシーズンから採用する予定で検討中とのコト。

 このシステムはアジア地区の韓国や中東諸国の他オーストラリアでも既に実施しているようです。しかし、日本では無線で発する電波を使用する場合、法律(電波法)で国の認可をとる必要があり、現在その手続きをしていて、国会の委員会も前向きに検討しているとのコト。

 昨年の12月に行われましたクラブFIFA・W杯にて、ゴールの判定機を設置しました。そのために、使用したボールにもチップを埋め込んだとのコトでした。その結果どうでしたか? 

 この機器の採用に関して、FIFAブラッター会長は「審判の人数を増やすのは費用がかかりすぎるから、その機器を欧州の主要大会で使用したらどうか」とUEFAプラティ二会長に打診したところ「その機器を全会場に取り付けるとなると幾らかかるのか、チョッと考えただけでも膨大な費用がかかり、採用するコトはできない」とその提案を拒否しているのです。(クラブW杯で使用した判定機器の費用は、いくらかかったかご存知ですか? 約100万?ドルだそうですよ。FIFAはまるで殿様商売?ですね)

 この日の記事によると、ゴール判定機や無線機を採用すれば、ゴール判定が明確になり、ピッチ上で審判の死角がなくなれば、無用な選手からの抗議も減り、競技力向上にもつながる。観客動員の減少に悩むJリーグは、ジャッジ改革とともに活路を見出す。(見方があまいですね)

 大変ご尤(もっと)もな理由で、実際誤審が少なくなる、というコトはあえて否定しません。しかし、サッカーはロボット的な機械がやっているのではなく、人間同士(選手)が同じピッチ上でゴールとボールをめぐって攻防しているのです。その押し合いへし合いの限界である規則(ルール)に従って、人間である審判諸氏が試合を統御(コントロール)しているのです。

 前回に柔道の選手たちの礼儀について、私は苦言を呈しましたように、愛するサッカーが科学兵器で毒され、(スポーツ根底に本来あるべき、「スポーツマンシップ」と「フェアープレー」精神によって、ルールが支えられなければならないのに)審判諸氏がロボットに支えられている様がイメージされます。審判諸氏はそれで納得できるでしょうか?

 欧米や日本の教育の基盤は、合理主義であり、主知主義でした。理性が尊ばれ、感情とか、本能とか経験などはきびしく批判され、経験より理性による認識という方向に進められました。

 科学は進歩し、機械文明は飛躍的に発展し、生活水準は異常に昂(たか)まりましたが、人間の精神生活は枯渇(こかつ)し、憔悴(しょうすい)に明け暮れています。

 限りなく前進する科学文明に反比例して、幸福は喪失(そうしつ)し、不安感が増大するというのは、科学の基盤となる客観的な認識の置き土産ということにもなりそうです。

 愛は、客観的にみることによって生まれはしません。愛という客観的な認識が理解されても、愛するコトはできません。

 愛は必ず犠牲を伴う。愛の本質が犠牲ではないですけれども、愛するときには必ず犠牲を伴う。合理的には最少の犠牲を望みますが、愛は犠牲が多いほど深まってくる、と言えます。

 サッカーは、愛する者同士が、限られた空間と時間と規則に従ってプレーしているのです。たとえ主審や副審の判定(ジャッジ)が、別の視点から見て間違っているかのように見えても、選手たちは勝手にプレーを放棄できないルールになっているのです。

 逆に考えれば、そのような状況に立たされたとき、誤審を許せる、「寛容(トレランス)」とよばれるモノが芽生え育ってきてもいいはずです。

 そのような逆境に、選手(人間)が立たされた場合に、どのような態度に出るか、いわば試練の立場にあるわけです。それを一方的な立場にて、誤りだから判定を覆せとか、やれ非合理的だから便利な科学的な機器を使うべきだ、と主張すれば、競技者にとって、強靭かつ柔軟な精神力が育つチャンスを失うコトにもなるのです。

 そのような機器を使用しないで何年になりますか? サッカーはプロだけの所有物ではありません。現在その機器を使用しているというコトですが、いつルール化されたのですか?ルールを受け持つインターボードは認可したのですか? FIFAの一存で決めるコトはできないはずです。

 近代サッカーがイギリスのパブリックスクールで発祥したのは、根底に教育的な配慮がなされているのです。というコトは、そのような面での人格(パーソナリティ)の形成にも関わっている、というコトを忘れてはならないのです。

 そのコトは審判諸氏にとっても同様です。W杯でも欧州のチャンピオンリーグ等でもこの無線機を使用していますが、誤審がなくなりましたか?私は良くなったとは思えません。逆に悪用しているのでは、と思えるほどの判定が、しばしばあるのはどういうコトでしょう。そのような機器を使って審判諸氏の技能は高めるコトができますか? 甚だ疑問に感じています。この無線機を使用してオフサイドの判定が正確になりますか?

 ただ問題がなくなるから良いのだ、という考えで、人間的な成長が期待できますでしょうか? 逆に、問題があるからこそ、そこで互いに葛藤してこそ、成長が期待できるのではないでしょうか?

これが蜻蛉の年頭のつぶやきです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月8日火曜日

長友祐都選手(インテル・ミラノ)のパフォーマンスに注目

こんにちは! 蜻蛉です。時が経つのが早いですね。2013年も1週間が過ぎてしまいました。

皆さんお正月はいかがお過ごしでしたか? 

私は日曜日(6日)に母校埼玉県立浦和高校の新年初蹴りの行事に行ってきました。午後12時半からFCれいわ対現役A,、ベテランOB対浦和第一女子高、若手OB対現役Bの試合がありました。私はボールは蹴らずに、試合見学と新年懇親会に参加しました。れいわとは浦中・浦高OB会の麗和クラブです。

久々に会うOB会の先輩、同輩、後輩と行き交うごとに「おめでとうございます」と深々と挨拶を交わしたり、現役諸君とは「こんにちは!」という言葉を交わしたりで、いつもの挨拶とは一味違う重みを感じました。

 この挨拶でイタリアサッカー界で注目されているのが、日本代表不動のDFで欧州で大活躍している長友祐都選手のゴールの後に示す日本式の礼儀です。彼がインテル・ミラノの試合でゴールを決めると、同僚のサネッティ(アルゼンチン)、シュナイデル(オランダ)という世界的に有名な選手たちと向かい合って姿勢を正し深々と頭を下げて挨拶する様は、見方によれば滑稽かもしれませんが、長く日本を離れていた私にとっては、なんとも言えない清々しい気持ちにさせてくれています。

長友選手のパフォーマンスはイタリア人の間にも流行しているようで、劇場に集まったインテルのファンの前の舞台に長友が呼ばれ、正面に立った瞬間、全員が起立をして深々と日本式の礼儀作法で挨拶していたのをTVで観ていて感動しました。

サッカーの選手は特徴のあるパフォーマンスで喜びを分かち合っていますが、長友選手の場合、実にシンプルでしかも重厚さがあって、最も日本人らしさ(アイデンティティ)を表している、と感心しながら毎度観ています。なぜ彼のパフォーマンスに注目するのか?

元旦に天皇杯全日本サッカー選手権で柏レイソルが1−0でガンバ大阪に勝ち優勝しましたね。この試合後、両チームの監督、選手が主賓席に上り、カップやメダル等表彰を授与されました。しかし残念な光景を目撃(TVにて)してしまったのです。2位のG大阪の選手がメダルを授与された後、整列していた役員一人一人に握手や礼儀をしていたのですが、2人の外人選手は最後方に立っていた日本サッカー協会会長の手前まで挨拶して、会長を無視した態度で過ぎ去ったのには驚かされました。同時に、いやな感じを残しました。裏を返せば、この2人の外人だけを攻めるわけにはいきません、G大阪の首脳陣やコーチングスタッフにも責任があると感じました。

それに天皇杯は協会主催なのに会長を隅っこに立たせ、Jリーグのチェアマンがメダルを渡しているのにも、担当者の無神経さには呆れました。主催者である会長自身が渡すべきはず、と私は思いますがいかがでしょうか?

浦高の現役諸君の挨拶の仕方もマチマチ、元気に顔を見て挨拶する者、ただ頭を下げる者、挨拶はするけれど顔をそらす者もいて当然ですが、同じスポーツマンとして、元気に顔を見て挨拶して欲しいと感じました。私が日立にいた頃、当時日本を代表する強力な女子バレーボールチームだった選手たちとサッカーのグラウンドで会ったとき、「オッス!」と言われて驚いたコトが思い出されます。女子といっても背丈も我々より高く、威勢のいい声での挨拶に、「だからこそ世界と争えるのだ!」とヘンに感心していました。

もう一つ気になったのは、日本のお家芸である柔道がロンドン五輪で惨敗しましたね。メダルが獲れなかったコトを悔やんでいるのではなく、柔道で最も大切にしなくてはならない「礼で始まり礼で終わる」柔道家の根本的精神の礼節が守られていないのには、正直なところガックリしました。

お家元の講道館や日本柔道界はその大事な技術以前の心得を徹底させないで、(普及させるためか?)安易に黒帯と段を与えているところに問題あるのでは、と私は感じています。

なぜ正座させて、服装を正し、キチッと挨拶させないのか?また、試合にしても、襟のつかみ合い、帯は緩み、衣は乱れ、しかも、腰を引いて逃げながら時間稼ぎ、投げ技がほとんどない、レスリングの選手に柔道着を着せただけのような戦いでは、柔らのない道のない本質の欠けた名前だけの柔道では、魅力がなくなるのは当然です。

おそらくこれからの子どもたちは将来柔道家を目指そうという子どもはだんだん少なくなるのでは、と心配されます。

カラーの柔道着にしても柔道の本質からはずれているはず。外国勢に押され、流されている日本柔道界では、誰が指導されても五輪で金メダルは取れないでしょう。

 挨拶は礼儀作法は違っても、出会いの最初に交わすコミュニケーションでありサッカーのパスであるはずです。ですから挨拶もできない選手が、ピッチのなかでチームの利益になるようなプレーはあまり期待できません。

ペルーで私がチームの指導をする場合、一番重要視したのは、お互いに挨拶し合うコトでした。そのときの反応で、選手の調子をある程度計るコトを学びました。日本人は礼儀正しいと言われていますが、見えないところでは、ペルー人より劣るように感じています。

それとマナーにしても、携帯が普及し、いつでも、どこででも利用できる便利さがありますが、歩行中、自転車に乗りながら、自動車を運転しながら、というように、法律も公衆道徳もマヒさせて行動している日本人には呆れています。特に自転車に子どもを乗せながら片手で運転しているのに驚きました。

東京都が2020年の五輪を誘致していますが、この長友選手のパフォーマンスが世界サッカーのパワーにて、世界の隅々まで浸透していけるよう、長友親善大使に注目し、普及させてもらいたい。

新年早々というコトで、日本の文化、礼儀、礼節、礼法について、感じているコトを述べてみました。

 グラシアス! ありがとう! アスタ・ラ・プロクシマ! では、この次まで!

2013年1月5日土曜日

蜻蛉ちゃんの自己紹介 (4) 日立製作所本社サッカー部時代


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 2013年の日本サッー界は、元日の全日本サッカー選手権決勝(国立)、柏レイソル対ガンバ大阪戦でスタートしました。柏がG大阪に1−0で勝ち、37年ぶりに天皇杯を獲得しました。

 37年ぶり、と言いましても現在のJリーグ(発足して20年)はまだ存在していませんでしたから、それ以前のJSL(日本サッカーリーグ)時代というコトになりますね。そうです、当時のクラブの名は日立製作所本社サッカークラブ(アマチュア)でした。

 

こんにちは! 蜻蛉です。 正月早々、日本サッカーのビッグイベントにて、柏レイソルがプロとして初めて天皇杯を獲得しました。おめでとうございます。蜻蛉もこのクラブの母体である日立製作所本社のサッカー部に所属していましたから、この優勝は格別です。

きょうは蜻蛉の自己紹介として、この日立サッカー時代のコトを記載したいと思います。このブログにて、2011年12月22日、2012年1月9日、同年3月14日の3回に分け、小学校時代から大学時代まで紹介しておりますが、最初にこれまでの略歴を紹介しその後日立時代のコトを紹介するコトにします。

《自己紹介》

蜻蛉(トンボ)の本名は:竹嶋住夫(たけしま・すみお)ローマ字でSumioTakeshimaと綴ります。昭和16年(1941年)日米開戦(真珠湾攻撃)の年の8月5日埼玉県浦和市(現在さいたま市)で生まれました。学歴は、浦和市立別所小学校、浦和市立白幡中学、埼玉県立浦和高校、慶応義塾大学を東京オリンピックの年、昭和39年(1964年)に卒業し、同年、日立化成(株)に入社、その年から本社(東京)の営業部で勤務。

この年から私は、日本サッカー界でも古豪の日立製作所本社サッカー部に入部しました。偶然にも、中学時代優勝したときのメンバーが4人も揃ったのです。また日立には、慶応の先輩が4人(全員天皇杯優勝経験者、私の長兄と同期1人)また、大学サッカー界で活躍していた中央大、立教大出身者他、高校サッカー界でも活躍していた面々が揃い、強力なチームでした。

当時の日立は、大会期間中以外は、通常の勤務で仕事をした後、夜、近くの皇居前広場で体操したり走ったりで、時々四谷の上智大学で夜間照明の下でボールを使った練習する程度で、体力を維持するのが精一杯でした。日曜日は練習か試合というサイクルで、大学時代までと比べて練習量が少ないのが悩みでした。合宿は井の頭公園の横にある日産厚生園(芝生のグラウンド)でやった覚えがあります。

大会といえば、実業団選手権、都市対抗、全日本選手権予選と本大会と言う程度で、まだJSLはなかったのです。

1964年の実業団大会は静岡県の藤枝市で行われました。藤枝には高校時代2回、名門藤枝東と練習試合した経験があります。名物サッカー最中を売るほど、サッカーを心から愛好している年寄りの男女が観戦してくれている様子を見て感激したコトが思い出されます。

この大会、選手兼監督の愛称トクさんこと鈴木徳衛さんは大胆にもレギュラーチームとサブチームに分けて、対戦相手の力量を計ってどちらかのチームを出場させるか決めたのです。私はサブチームでしたが、どことやっても負ける気がしませんでした。トクさんも同じチームで危なげなく勝ち進みました。決勝戦は日本代表選手が揃う古河電工とレギュラーチームが対戦しましたが、惜しくも敗れました。

負けましたが、この大会は毎日が楽しく、朝の散歩では熟したみかんをもぎ取って食べたり、行きかう人たちと笑顔で挨拶をかわしたり、旅館での会話は、東北弁、広島弁、九州弁が行き来してまるで漫才でもしているかのようで、聞いていて本当に面白いし楽しかった。試合でも緊張するどころかリラックスしてプレーができて楽しかったコトが思い出されます。

都市対抗は後楽園の競輪場でのナイターでした。照明は少し薄暗かったけれど、1年前の早慶ナイター定期戦で、奇跡の決勝ゴールを私が決めたところなので勝てる気がしていました。決勝は確か古河だったと思いますが、敗れて準優勝でした。

この年天皇杯の全日本選手権本大会(神戸)に、私は生まれて初めて出場しました。あまり記憶に残っていませんですが、対明治大学との試合で左ウイングで出場し、センターリングがうまく風に乗りゴールした記憶だけ残っています。この大会は準決勝かその前かどうか忘れましたが古河電工?に敗れたような記憶があります。

この年にオリンピックのために招聘した日本の近代サッカーの父ともいえるデットマール・クラマー(当時西ドイツ)さんが提唱していた日本で初めてのホーム&アウェー形式のリーグ戦が、翌年の65年から開幕するコトが決まったのです。

昭和39年(1965年)、記念すべき第1回日本サッカーリーグ(JSL)が古河電工、三菱重工、日立製作所、東洋工業、八幡製鉄(新日本製鉄)、ヤンマー・ジーゼル、名古屋相互銀行、豊田織機、の企業8社の間で開幕されました。結果は東洋工業(現在の広島サンフレッチェ)が優勝。得点王は私の同僚野村六彦選手で、彼を評して、ある協会理事が「忍者まがいの動きを持っている」と述べていました。

私の出場機会は少なかったのですが、国立での対豊田織機戦に出場して得点しました。チームはこの試合7得点でリーグ最多得点の新記録をつくったのです。

私は68年まで現役でしたが、日立は監督にベテランのロクさんこと高橋英辰さんが就任され、本格的にチームを強化するため、私は戦力外というコトで引退。その後は時々日立サッカースクールで子どもたちの指導員として手伝ったり、日立化成で日産グループの大会にキャプテンで出場し3位を獲得。

群馬県の館林での長崎国体予選に東京選抜で出場。当時の藤和不動産(後のフジタ工業、平塚ベルマーレ、今年J1に返り咲いた湘南ベルマーレの前身)は優秀選手を補強し優勝候補筆頭でしたが、寄せ集めの我々のチームは好調で1−0で勝って準決勝に進出。次の対戦相手は埼玉の浦和クラブで、私の出身地、前半想わぬコトが起こったのです。私はあるプレーの後、浦和の選手の尻をポンと軽く叩いたら、主審が振り向いて、いきなりレッドカードを私に突きつけたのです。叩かれた本人も私の友達なので何のコトかと驚いて見ていたのです。私は浦和のベンチ前を通ったとき、「どうしたんだ?」という声をかけられたのですが、私にも理由が分かりませんでした。ひとつだけ思いだしたのは、前の藤和不動産の試合で、我々のゴールキーパー(警視庁の人)が指を怪我して倒れていたので、「もう少し寝てて良いよ!」と私が吐いた言葉を主審が聴いていて不快な顔をしていたコトぐらいだったのです。偶然にもこの試合もその主審だったのです。東京の役員が提訴すると言ったのですが、私は断ったのです。

私のサッカー人生で退場を命じられたのは選手として初めてで最後、監督としてペルーで1回あっただけです。

日立は各大学から日本代表クラスの選手を補強し、ユニフォームもレイソルと同じ黄色で、走る日立で旋風を巻き起こし、JSLと天皇杯にて優勝。37年という時間はこの時以来を意味するのです。

残念ながらロクさんとトクさんは日本でのW杯サッカーを観ずに他界されてしまわれた。合掌。

1973年私は日立の製品を売る会社に転職、その大阪支店に勤務中、東京で知り合ったペルー日系二世の女性と結婚、長男が誕生して1年後の1975年、家内の家族が住むペルーの首都リマに親子で訪問しました。このとき以来私のサッカー人生はガラリと変わりました。このコトについては別の機会に述べようと思います。

以上、日立製作所サッカー部の選手時代について記載しました。詳しい資料はペルーにおいてきましたので、ボケぎみの頭で記憶をたどって出てきたコトだけなので誤りがあるかもしれませんその場合はご勘弁ください。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ