Japan Soccer 50年

2013年1月11日金曜日

サッカーの試合に科学的な判定機器導入は必要だろうか?

こんにちは! 蜻蛉です。このところ東京は快晴つづきで、スッキリした青空の下、心地よい気持ちにさせてくれています。しかしその反面、今朝、私は、インターネットで、日刊スポーツの記事を見て、少し不快な気分にさせられました。

 きょうはその不快なコトについて、新年早々ですが述べてみようと思います。

 『ずる許さない! Jリーグが14年度シーズンから審判無線システム導入?』

というタイトルのこの記事によりますと、

Jリーグでは、欧州主要リーグで使用されている、イヤホーンとマイクとを使用した審判無線機のシステムを、2014年のシーズンから採用する予定で検討中とのコト。

 このシステムはアジア地区の韓国や中東諸国の他オーストラリアでも既に実施しているようです。しかし、日本では無線で発する電波を使用する場合、法律(電波法)で国の認可をとる必要があり、現在その手続きをしていて、国会の委員会も前向きに検討しているとのコト。

 昨年の12月に行われましたクラブFIFA・W杯にて、ゴールの判定機を設置しました。そのために、使用したボールにもチップを埋め込んだとのコトでした。その結果どうでしたか? 

 この機器の採用に関して、FIFAブラッター会長は「審判の人数を増やすのは費用がかかりすぎるから、その機器を欧州の主要大会で使用したらどうか」とUEFAプラティ二会長に打診したところ「その機器を全会場に取り付けるとなると幾らかかるのか、チョッと考えただけでも膨大な費用がかかり、採用するコトはできない」とその提案を拒否しているのです。(クラブW杯で使用した判定機器の費用は、いくらかかったかご存知ですか? 約100万?ドルだそうですよ。FIFAはまるで殿様商売?ですね)

 この日の記事によると、ゴール判定機や無線機を採用すれば、ゴール判定が明確になり、ピッチ上で審判の死角がなくなれば、無用な選手からの抗議も減り、競技力向上にもつながる。観客動員の減少に悩むJリーグは、ジャッジ改革とともに活路を見出す。(見方があまいですね)

 大変ご尤(もっと)もな理由で、実際誤審が少なくなる、というコトはあえて否定しません。しかし、サッカーはロボット的な機械がやっているのではなく、人間同士(選手)が同じピッチ上でゴールとボールをめぐって攻防しているのです。その押し合いへし合いの限界である規則(ルール)に従って、人間である審判諸氏が試合を統御(コントロール)しているのです。

 前回に柔道の選手たちの礼儀について、私は苦言を呈しましたように、愛するサッカーが科学兵器で毒され、(スポーツ根底に本来あるべき、「スポーツマンシップ」と「フェアープレー」精神によって、ルールが支えられなければならないのに)審判諸氏がロボットに支えられている様がイメージされます。審判諸氏はそれで納得できるでしょうか?

 欧米や日本の教育の基盤は、合理主義であり、主知主義でした。理性が尊ばれ、感情とか、本能とか経験などはきびしく批判され、経験より理性による認識という方向に進められました。

 科学は進歩し、機械文明は飛躍的に発展し、生活水準は異常に昂(たか)まりましたが、人間の精神生活は枯渇(こかつ)し、憔悴(しょうすい)に明け暮れています。

 限りなく前進する科学文明に反比例して、幸福は喪失(そうしつ)し、不安感が増大するというのは、科学の基盤となる客観的な認識の置き土産ということにもなりそうです。

 愛は、客観的にみることによって生まれはしません。愛という客観的な認識が理解されても、愛するコトはできません。

 愛は必ず犠牲を伴う。愛の本質が犠牲ではないですけれども、愛するときには必ず犠牲を伴う。合理的には最少の犠牲を望みますが、愛は犠牲が多いほど深まってくる、と言えます。

 サッカーは、愛する者同士が、限られた空間と時間と規則に従ってプレーしているのです。たとえ主審や副審の判定(ジャッジ)が、別の視点から見て間違っているかのように見えても、選手たちは勝手にプレーを放棄できないルールになっているのです。

 逆に考えれば、そのような状況に立たされたとき、誤審を許せる、「寛容(トレランス)」とよばれるモノが芽生え育ってきてもいいはずです。

 そのような逆境に、選手(人間)が立たされた場合に、どのような態度に出るか、いわば試練の立場にあるわけです。それを一方的な立場にて、誤りだから判定を覆せとか、やれ非合理的だから便利な科学的な機器を使うべきだ、と主張すれば、競技者にとって、強靭かつ柔軟な精神力が育つチャンスを失うコトにもなるのです。

 そのような機器を使用しないで何年になりますか? サッカーはプロだけの所有物ではありません。現在その機器を使用しているというコトですが、いつルール化されたのですか?ルールを受け持つインターボードは認可したのですか? FIFAの一存で決めるコトはできないはずです。

 近代サッカーがイギリスのパブリックスクールで発祥したのは、根底に教育的な配慮がなされているのです。というコトは、そのような面での人格(パーソナリティ)の形成にも関わっている、というコトを忘れてはならないのです。

 そのコトは審判諸氏にとっても同様です。W杯でも欧州のチャンピオンリーグ等でもこの無線機を使用していますが、誤審がなくなりましたか?私は良くなったとは思えません。逆に悪用しているのでは、と思えるほどの判定が、しばしばあるのはどういうコトでしょう。そのような機器を使って審判諸氏の技能は高めるコトができますか? 甚だ疑問に感じています。この無線機を使用してオフサイドの判定が正確になりますか?

 ただ問題がなくなるから良いのだ、という考えで、人間的な成長が期待できますでしょうか? 逆に、問題があるからこそ、そこで互いに葛藤してこそ、成長が期待できるのではないでしょうか?

これが蜻蛉の年頭のつぶやきです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

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