Japan Soccer 50年

2013年3月29日金曜日

「もめる門には福きたる」 ヨルダンに敗戦したサムライブルー

こんにちは! 蜻蛉です。 残念でしたね。サムライブルーは敵地にてヨルダンに負けてしまいました。

選手や関係者にとって、この敗戦は大変悔しいことだったと察しますが、考え方によっては、「急がば廻れ!」で、結果的には、幸いだったのではないでしょうか? 

 さてきょうは、一昨日(26日)、中東ヨルダンの首都アンマン(キング・アブドラ国際スタジアム)にて行われた、FIFA・W杯サッカーブラジル2014、アジア地区最終予選B組、ヨルダン代表対日本代表戦の反省と課題について語り合いたいと思います。

 表題の「もめる門には福きたる」は、TV(フジテレビ)のドラマのタイトルを捩(もじ)ったものです。

試合の結果は1−2でサムライブルーはヨルダンに負け、W杯出場決定は、6月4日の対オーストラリア戦(ホーム)か同月11日(または10日)の対イラク戦(アウェー)までお預けになりました。「福きたる」と申しましたのは、もし今回アッサリと勝って出場権を得ていたら、この最後の2戦が消化試合になり、今回の試合でも露呈していた日本サッカーの弱点もそれほど意識しないまま、6月にブラジルで開催されるコンフェデレーションカップの大会まで(緊迫ムードなしに)時間だけ経過してしまうのではという懸念があったコト。結果的には負けたことによりその心配は、同じ6月に大事な試合(予選と大会)が重なることで、これらの課題を一挙に解消できる可能
性が出てきたんおではと考えたからです。

 少しややこしい説明になってしまいましたが、一番恐れているのは、出場権獲得という目的を果たした、という、安堵感と弛緩作用による楽観ムードが日本サッカー界に流れるコトです。それに、コンフェデ杯のための特別な準備もそれほど意識せず、地元での対オーストラリア戦に勝って、その余勢でもって大会に乗り込めるのではというコトです。これらは、「一石二鳥」でできるのだという意味がタイトルに含まれているのです。

 この試合は、少し皮肉っぽい表現になりますが「日本サッカーらしさ」が良い面でも悪い面でも露呈していました。

良い面では、長谷部からの縦パスを清武はカラダの向きとは反対(回転しながら)にワンタッチで、ゴール中央に位置していた香川に見事なパス、香川はマークしていた相手DFをスピードで振り切り、右足でクリーンシュートを決めたコト。悪コンディションのピッチでありながら、得意のパスを駆使してゲームを支配していたコト。アタッカーの前田、岡崎、香川、清武等が忠実に守備面でも使命を果たしていたコト。DF陣のサイドバック内田と酒井高徳、センターバックの今野も味方の攻撃に参加していたコト。等々。

悪い面では、セットプレーのコーナーキックで、しかも前半のタイムアップ寸前、相手にフリーでヘディングシュートの先制点を許したコト。ディフェンス面で、酒井のミスで相手にボールを奪われ、右サイドのタッチライン際にいた相手FWにボールが渡り、酒井の後方にいた吉田が横からタックルに入る瞬間、ドリブルで振り切られ、そのままゴール前まで持ち込まれ、GK川島が前に出る瞬間、左足でシュートを決められ追加点(2点目)を許してしまったコト。攻撃面では、何度もゴール前に持ち込みながら、味方にクロスしたり、プルバックを繰り返し「シュートという意識」が欠けていたコト。等々。

ザッケローニ監督は選手に、「得点する気がないのか!」と叱咤したそうですが、私自身も見ていて、この点でハガユイ気分にさせられていました。

個人的にはあまり言いたくないのですが、FWワントップの前田は前半22分長谷部の後方からのパスを振り向きながらヘッドシュート、ボールはバーに当たって外にでた不運もありましたが、下がって守ったり香川や岡崎にスペースを空けるプレーをしていたものの肝心のシュートに絡むプレーがほとんどなかったのはどうしてか? 

岡崎と清武も香川の脇役のような感じで、得点に絡むプレーがいつもの試合より少なかったのはどうしてか? 香川も事前のカナダ戦での反省も含めて、何とか得点に絡むプレーをしようという意欲は感じとれましたが、味方の援護が少なく、唯一得点に結びついたときのプレー(横にハーフナー、後に清武、長谷部が上手く絡んでいた)のみその成果が現われていたように思います。

左サイドバックの酒井も長友のように積極的に左サイドを抉(えぐ)るようなドリブルでゴールライン際まで持ち込んだり、右サイドから流れてきたパスを、(シュートできる位置にいながら)シュートせずゴール前に混戦状態で待機する味方にクロスしたりプルバックで、ダイレクトにゴールに向けてシュートしないのには苛立ちを感じました。あそこでシュートあるいはシュートのようなクロスをすれば、得点にならなくとも、ラトビア戦で見せた、内田のシュート気味のクロスを岡崎がボールを足先で掠って得点したように決めたり、相手DFがカラダに当ててオーンゴールしたり、GKが
弾いたコボレ球をプッシュして決めるコトができる可能性があるはず。シュートしなければその可能性はないということです。

ボランチの長谷部にしても遠藤にしても、もっと積極的にミドルシュートする気概がなければ、相手のDF陣はラインを下げて(日本の攻撃空間をさらにコンパクトに狭めて)、キレイにゴールするのは至難の技。

 日本サッカーはバルサのようなボールポゼッションに陶酔しすぎて、肝心な「ゴール」という快感を忘れたかのようなパスをゴール前まで続けているような様である。ザック監督が苛立つのも理解できる。

 ヨルダンの2得点は、ロンドン五輪の対メキシコ戦と対韓国戦の失点を彷彿したようであった。メキシコ戦で先取点をあげながら、CKでヘッドで決められ、GKミスパス(手でスロー)を拾われ、シュートを決められていた。その後、相手のFWに吉田がドリブルで交わされシュートを決められている。韓国戦でも吉田が相手のFWにドリブルで振り切られ得点された。この一連のゴールから、吉田のプレーに守備面での弱点が浮き彫りされている。吉田は前には強さがあって素晴らしい面があるが、彼自身の左側の脚と股関節が硬くて柔軟さが欠けており、そこを突かれると、意外な脆さ(タックルが上手くない)を露呈している。その原因は胴体の動きと重心移動(股関節のとらえ)に問題があるようです。

 試合における選手の顔色というか表情を見ていて、猛暑の中東で試合しているのに、まるで寒冷地での試合かのように、青褪(あおざ)めて震えているかのような様子には驚きました。遠藤のPKにしても、彼の特徴かもしれませんが、なにか冷めたような感じで、ここで決めるんだという迫力がまったく感じられませんでした。案の定、GKから見え見えのキックで弾かれ同点弾を決められませんでした。 後半13分長谷部と遠藤の足が止まった(私のノートにそう記録されている)。その後すぐ、後半15分相手のFWの長い単身ドリブルからのシュートで2点目を決められている。

 私がこのブログで何度も言ってきている「泥臭いシュート」は、日本代表のサッカーのように、長友、内田、あるいは酒井高徳、酒井宏樹、駒野といったサイドバックがクロスして頭や足でキレイにシュートして決めるだけでは、相手が必死に守ったらそう簡単に打開できない。相手のディフェンスを引き出すためにも、あらゆる距離あらゆる角度からでもシュートする気概と習慣がなければ、「泥臭いシュートやゴール」はありえない。

 現在のようにFWやMFのアタッカーが必死になって守備に力を入れる割合を割いても、攻撃面の力を増やせるようにしなければ、いつまでたっても同じ課題が継続されていくであろうと思います。それは私たちのカラダと同じで、右脇を締めたら同時に左脇を緩めないと、カラダは硬直して、しなやかさも柔らかさもパワーも発揮できないコトと同じです。その点を監督をはじめコーチ陣が戦術面で、特に気を配らねばならない大事なコトではないかと思います。それにはなお一層ディフェンス陣1人1人の技術的能力と個人戦術の能力向上させ強化するコトが不可欠です。それに、今回の試合前に問題があった選手の健康状態やケガに対するケアも同様に気を配らねばなりません。

 残る6月までの2ヶ月間でどれだけ課題を解消できるか、強化委員会と監督を中心とするコーチングスタッフの手腕による戦略が期待されます。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月28日木曜日

対ヨルダン戦でW杯出場権をかけるサムライブルーの問題

こんにちは! 蜻蛉です。 今晩いよいよW杯出場権獲得の決戦が始まります。みなさんも日本代表の勝利を期待して観戦されることでしょう。今回の見所は日本のエース本田と長友が体調不良(膝の負傷)による欠場で、どういう戦いをするか? トップ下に誰が位置するか? また、事前にドーハで行われた対カナダ代表との消化不良の試合に出た、日本代表の課題をどう克服するか? 等々、さまざまな角度の視点から観戦する楽しみもあると思います。しかし、今回の試合は内容はともかく、「なんとしても勝って出場権獲得という結果を出して欲しい」と期待されておられることでしょう。

 私はペルーに36年も住んでいる関係で、ペルーのサッカーについても、日本サッカーと同様、心底から愛着を持っております。 南米のW杯予選は開催国ブラジルを除く9カ国で、総当り2回戦(ホーム&アウェー)で行われています。3月22日現在第11節の試合が終了し、アルゼンチンが勝ち点23で、出場権をほぼ確定しています。コロンビア(19)、エクアドル(17)、ウルグアイ(13)、ベネズエラ(12)、チリ(12)、ペルー(11)、ボリビア(8)、パラグアイ(8)の順位で、出場枠4+1PO(アジアとのプレーオフ)をめぐって大混戦。期待するペルーは、隣国のライバル、チリと対戦、試合終了間際(88分)にドイツのシャルケ04で内田と同僚のファルファンが決勝点を決め1−0で辛うじて勝利(負けていれば絶望だった)。この試合、主力4人が欠場(コリンチャンスのゲレーロも)で心配されていましたが、正直なところ勝ってホッとしました。

 さてきょうは、今日ヨルダンのアンマン行われるFIFA・W杯アジア最終予選日本代表対ヨルダン代表戦にて、出場権をかける大事な一戦に挑むサムライブルーのコトについて話し合いたいと思います。

 先日(22日)日本はカナダとカタールのドーハで親善試合を行い、2−1で勝利したものの、内容はカナダに苦戦して消化不良であったことが報じられています。この試合、日本の得点源であるエース本田と長友が不在のポジション(トップ下と左サイドバック)を誰が占めるか、また、センターバック今野の欠場(発熱)を誰が埋めるかが焦点でした。

 スタメン(交代選手)は、GK川島、DF内田(駒野)、吉田、伊野波(栗原)、酒井高徳(酒井宏樹)、MF長谷部、遠藤、岡崎(中村)、香川、乾(大津)、FW前田(ハーフナー)。

 トップ下は、前半香川、後半中村、センターバック今野のポジションには伊野波と栗原が出場しました。試合後の選手の反省というか感想は、次のように記載されていました。

 左サイドのアタッカー乾は「監督からポジションのことを言われる。そこを意識し過ぎた」、ピッチで試合の流れに対応できなかったことを反省しています。

 トップ下の中村「前半ベンチで試合を見守りながら、みんなのポジションが等間隔に感じた。自ら動いて選手間でつなぐことを意識した。自分はセカンドストライカーのタイプじゃない。自分の役割ができたらと思う」と述べています。

 トップ下とサイドアタッカーの香川は「形にこだわりすぎてしまった。監督の目指すサッカーを浸透させようと考える。それは日本人のいいところであり悪いところ。もっと試合の流れを読んでやっていかないといけない。攻撃陣1人1人の距離が遠く、連係を生み出すことができなかった。真ん中でプレーしたいのに左の乾は遠くにいた。近寄っていけばワントップの前田が孤立してしまった。チャンスボールを引き出して形をつくることが大事だが、チームとして難しかった」と述べている。

 キャプテン長谷部は「セカンドボールを拾われた。フィジカルで相手に負けていた。簡単なミスがあった」と反省している。

 これまでザッケローニ監督の采配に感じているコトは、戦術面のコンセプトが選手間でよく理解されていないのでは、と思われる節がある。と申しますのは、日本のリズムでプレーしているときには素晴らしい面が現れていますが、一旦逆境に立たされたときに、「不消化」のようなゲームになってしまう。それがカナダ戦で現実に表れていたのです。

 私が気になるのは、乾選手の言葉にある、戦術のシステムにおけるポジションの機能を強調するため、選手の意識がそこに集中(こだわり)しすぎるきらいがあるようです。

 雑誌『サッカー批評』に、ザック監督を評して「イタリア人だけあって、細かい守備はもちろん、攻撃でも決まりは多い。個人で勝手なプレー?はさせない。サイドアタッカーが早い段階で中に入ることをとかく嫌う」その理由は、ボールを相手に奪われたとき、外のスペースが空いてしまうことと、相手のサイドバックの攻撃参加を抑止させたい、という意味もあるようです。

 攻撃ゾーンにおけるトップ下の2列目の攻撃陣に求められる機能は、ボールをゴールに向けてシュートして得点を決めるコト。そのためには流動性と即興性よ意外性をもって、相手の守備を揺さぶる動きとプレーが必要なのですが、そのところを、決まりをつけて制限させてしまえば、選手の創造性もヒラメキも抑制されてしまう恐れがあります。

 ところが、選手の言葉とは裏腹に、監督は「自己判断」の必要性を説いているのです。そこに、監督と選手の間に意識のズレを感じているのです。 それがたとえ監督からの選手への使命であっても、その指示された「言葉」に囚われず、状況に応じた臨機応変なプレー(可能性の)を期待しているのです。しかし、問題は、日本人の感覚ですと「勝手なプレー」、というニュアンスでとらえてしまう傾向のあるコトを、前に、このブログで記載しているのですが、その辺の微妙な解釈というか表現の仕方が外国語と日本語の意味に違いがあるようです。

 たとえば、乾選手の場合、内側に切り込む効果を表すには、その前に縦に突破する布石のプレーが必要というように、そういう駆け引きがあれば、監督は、あえて制限をするわけはないはずです。相手サイドバックのカウンターアタックにしても、サイドバックの酒井高とボランチの遠藤、それにセンターバックとの連係が機能すれば問題はないはずです。

 ザック監督は不在の本田とトップ下候補の香川と中村について、「本田は代表にとって大切な選手、技術の高さ、パーソナリティー、何よりもパワーがある。トップ下に彼が入ると、チームにパワーが加わり、周囲がより攻撃参加できる。香川と中村は特徴が違うのでそこは求めていない」と本田の存在の大きさを口にしています。香川については「軽快なテンポで周囲の味方を使い、ゴール前で得点に絡むリズムのプレーをする」

中村については「長短のパスを操るクレバーなプレーをする」「両者とも本田のように1人で局面を打開できるパワーのあるプレーは望めない」というトップ下でのプレーヤーとしての特徴を語っています。

 本田はたしかに、両腕の使い方が上手く、背後からのマークに対してもカラダで抑えてボールをキープできる。簡単に転ばない、体幹がしっかりして軸がブレない、素晴らしいプレーヤーである。しかし、彼の膝と足首が完治しないまま無理してプレーすれば、選手寿命を縮める恐れがある。彼の歩行の動作にて左右の肩が上下運動していることは、安定した姿勢を保つための、股関節のとらえ、と胴体の骨盤と腰椎、それに背骨にまで影響するコトが考えられます。彼の立場と責任感で無理してでもプレーしようと考えているでしょうが、来年のW杯優勝を本人が目標にしているのであれば、今は辛抱強く寛治するコトが肝心、そのためにも休養をとるプレーが一番大事
だと思います。

 きょうの試合の敵はヨルダンではなく、日本選手の出場権獲得という意識が過剰になるコト、審判諸氏の判定、それにグラウンドコンディションにあるというコトです。

 日本代表にこれまで指摘したような問題がありますが、ぜひ勝ってW杯出場を決めてくれるコトを信じて、このページを閉じることにします。

 グラシアス!アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月20日水曜日

アルガルベ杯(ポルトガル)の大会で感じた”なでしこジャパン”

こんにちは! 蜻蛉です。 3月に入り好天気続きですが、突風のような強風と砂嵐には驚かされました。

J1リーグは第3節が過ぎ好試合が展開。今月23日、カナダ代表との親善試合と26日のW杯出場権をかける対ヨルダン代表と対戦する、“サムライブルー”日本代表の招集メンバー発表。というように、今月はサッカーの話題で大いに賑わしてくれるコトでしょう。

 さてきょうは、今月6日から13日まで開催されましたポルトガルでの国際女子サッカー“アルガルベカップ”大会に出場した、“なでしこジャパン”日本代表の試合をTV観戦して感じたコトを述べてみようと思います。

 今回の大会に佐々木監督は、ロンドン五輪(銀メダル獲得)出場組のうち、GK福元、DF近賀、矢野(引退)、MF沢、宮間、阪口(ケガ)、FW安藤、丸山、大野、岩淵(ケガ)を召集せず、GK海堀、DF岩清水、熊谷、鮫島、MF川澄、田中明日菜、FW大儀見、高瀬の8人の他、U-20W杯で活躍したMF田中陽子とFW田中美南の新人に加えて、GK山根、久野、DF長船、有吉、加戸、川村優理、MF宇津木、中島、川村真理、山崎、FW大滝、永里、小川等の15人、合計23選手を代表に選びました。

 五輪組以外の15人のうち、宇津木以外新たなメンバーとして招集したというコトで、新たな期待を寄せながら私は観戦させてもらいました。 しかしその期待とは裏腹に、第1戦の対ノルウェー代表戦で、裏切られてしまった感がしました。と申しますのは、先発メンバーを見て、ロンドン五輪の対南アフリカ戦の試合での嫌な記憶を蘇えさせられたからです。

 ロンドン五輪での南アフリカ戦で、主力選手を温存し、それに加え引き分けを狙った試合に、私は大変不満を感じていたのです。今回の緒戦の対戦相手が過去の世界女子サッカー界でトップクラスだったノルウェー代表であり、佐々木監督自身も“なでしこジャパン”の新たな門出の大事な試合であったはずです。

 下記の先発メンバーを見て下さい。

GK久野、DF川村優、岩清水、長船、加戸、MF川澄、山崎、田中明、川村真、FW小川、
大滝。このメンバーで五輪組はDF岩清水、MF田中明、川澄の3人と現在欧州でプレーしている大滝だけが経験者。

この大会前に国内合宿をしていましたが、あのときはまだ代表メンバーは決まっていませんでした。ですから、大事な緒戦で、しかも強豪相手に、いきなり未経験な選手8人を応用したのには、正直いって驚きました。 

選手の立場にしてみれば、嬉しい反面経験の浅い選手同士で不安があるコト、監督やコーチの前でアピールしたい反面失敗を恐れるコトが考えられます。しかし、監督やコーチにしてみれば、早いうちに、未知の選手たちを試してみたいという思いがあったかもしれませんが、即席のようなチームで自分の能力を発揮するコトの難しい面があるコトを、コーチングスタッフが、選手の心理状態を考慮していなかったように感じました。

 その心配が試合開始早々から表れました。前半15分ノルウェーの選手が左タッチライン際をドリブルで日本の右サイドバック川村優理を軽くかわし、ゴールラインに沿って持ち込み、角度のない位置からシュートを決めあっさりと先制点。このとき川村は追跡したが間に合わなかったけれど、カバーに入るべきセンターバックの岩清水が、プルバックを警戒してタックルに入らず、逆にダイレクトシュートのスペースを相手に与えゴールを決められてしまったのです。

 このゴールは川村のミスと報道されていますが、カバーに入れる詰めの時間が十分あったベテラン岩清水のミスでもあったのです。その後も川村が軽くかわされ、ゴール前へのクロスを相手に飛び込まれきれいに右足でシュートを決められ、追加点を許してしまったのです。残念ながらその後の試合、川村理選手は出場機会が与えられませんでした。

 後半、川村は有吉と交代、左の加戸が右サイドバックに、有吉は左サイドバックに入った。その後も高瀬、鮫島、田中陽、大儀見、永里が入って挽回を狙ったが、動きがチグハグで、終始ゲームはノルウェーペースで展開。試合の結果は0−2で敗戦。

 第2戦の対ドイツ戦では、先発に、

GK海堀、DF有吉、岩清水、熊谷、鮫島、MF高瀬、田中明、宇津木、川澄、FW田中美、大儀見。

この試合は後に引けない大事な試合で、主力メンバーを揃えました。特に注目を浴びたのは、佐々木監督が合宿で特に印象づけられたU-20のFW田中美南を抜擢したたコトです。(私もこの選手をU-20で注目していた)

 田中は期待に応えて日本に初得点をもたらしたのでした。彼女のプレーの特色は、スピードがあって、積極果敢にアタック、パスを受けるのにもカラダを張ってトラップするなど、同点ゴールを決めたシュートなど、堂々とした構えから正確にキチッと決めたあたり、新人とは思えない立派な得点でした。

 高瀬と川澄も絶好の得点チャンスのシュートをゴールの枠内に決められず、同点のチャンスを逃がしたのはおしまれますが、これこそ日本サッカーの大事な課題なのです。

 最初の日本の失点は相手のシュート前にハンドがあったのですが、主審が見逃し得点を許してしまったのは残念。ドイツの2点目はGK海堀の判断ミスで相手に得点を与えただけに、惜しい結果になってしまいました。しかし、結果の1−2の敗戦はともかくとして、五輪組選手の経験値の高さを感じさせられた試合内容でした。

 第3戦のデンマークとの試合の先発は、

GK山根、DF加戸、岩清水、熊谷、鮫島、MF中島、田中明、宇津木、川澄、FW大儀見、
永里。

この試合もデンマークに押されながらも、少ないチャンスをものにして、2−0で勝利。最初の得点は、川澄の左サイドからのクロス気味のシュートが、GKの頭を越えファーポストの内側に吸い込まれるという幸運もあり、2点目は中盤で宇津木が相手のミスで拾ったボールを、前線で構えていた大儀見に絶好のパスを送り、大儀見は冷静にトラップしてGKをかわし、無人のゴールにシュートを決めたのでした。

 この試合で注目を浴びたのは190センチ以上の長身ゴールキーパー山根でした。まだGKとして身のこなしが未熟なところがありますが、パントキックでは男並み、日本では珍しい、待望久しき長身GKの成長を期待したいと思います。交代で、高瀬、田中美、山崎、小川が入った。

 5位決定戦の対中国戦の先発は、

GK山根、DF加戸、熊谷、長船、有吉、MF中島、山崎、宇津木、川村真、FW大儀見、大滝。

この試合は東アジア選手権の前哨戦ともいえる試合で、どう戦うか注目しました。結果は後半22分中島の右サイドからの好キックをファーポストの外に構えていた大儀見が冷静に決めて、1−0で勝利。しかし、この試合、相手選手と激突したDFの長船が鼻の骨折で退場したのは残念でした。一日も早く全快し復帰してほしいですね。この試合の交代は、MF田中美、田中陽、FW高瀬、小川が入った。

 この大会の“なでしこジャパン”の試合を振り返ってみると、このブログで記載しました藤田一郎さんが、男子日本代表のユースの問題で指摘したコトがそのまま当てはまっていると、私はそう感じました。相手の選手に後からプレッシャーをかけられると、あっさりバックパスしたり、あわてて横にパスして、相手にカットされ、カウンター攻撃をくわされたりで、まだまだ、五輪組のレベルに達するのには時間がかかるであろうコトと、感じました。それに欧州で活躍している選手たちのフィジカル面がよくなかったコトです。

最後に、コーチ陣に注文したいのは、初経験の選手に対し、「失敗を恐れず相手と頻繁に接触プレーを楽しめ!」というぐらい、挑戦的な気分でプレーできる雰囲気をつくって欲しいというコトです。と申しますのは、アシスタントコーチが戦術盤を使って選手に細かい動きを説明している姿を見たからです。これらの選手に必要なのは、戦術面より、欧州選手の強い当たりを直接体感するコトが、どれだけ今後の財産になるのか、そういう体験があってこそサッカー選手として貴重な内部感覚を養うコトができるのですが、あっさりバックパスを繰り返してたら、折角欧州まで出かけて、貴重な体験ができるチャンスを自ら放棄してしまうコトになるのです。

今回の4試合で日本がゲームを支配した試合は一度もなかったという現実を謙虚に反省して、コーチ陣も選手強化に励んでもらいたいと思います。

“なでしこジャパン”は、現在「世界選手権保持者」であるコトを、佐々木監督はじめコーチ陣に再認識してもらい、目標に向かって真摯に取り組んでもらうコトを期待し、蜻蛉の感想を閉じたいと思います。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月12日火曜日

現状の日本サッカーと1992年の藤田一郎氏の報告書 2/2

こんにちは! 蜻蛉です。 今日3月11日は東日本大震災から2年経過しました。あの日私は、南米ペルーのリマ市にある自宅にて、TVの映像に現れる悲惨な情景を驚愕の目で食い入るように見つめていました。その日のTV番組も、繰り返し繰り返し報道していました。リマの商店街でも、TVの前に大勢の人たちが集まり、あまりにも恐ろしい光景に、呆然として見つめている姿が大変印象的でした。

 ペルーにおいても大きな自然災害の主な要因は地震です。ペルーで発生した過去最大の災害は、1970年5月31日の地震によるユンガイ町の壊滅とチンボテ、ワラス市の大被害で、死者・行方不明者は約6万7千人に達していました。特に、人口約2万人のユンガイ町は、ペルーのアンデス山脈の最高峰ワスカラン山(標高6768m)からの大土石流に一瞬のうちに埋められ、消滅してしまったのです。(土石流とは、山腹や川底の岩石や土砂が、長雨や集中豪雨などの大量の水といっしょになって、津波のように襲ってくるものをいいます)

 地震発生の時間帯、ユンガイの人たちのほとんどが、サッカーW杯メキシコ大会に出場していたペルー代表とブルガリア代表の試合をTVで観戦していたので、土石流の接近に気づかず、そのため避難が遅れ、被害が大きくなってしまったそうです。

 私も現地のユンガイの丘にある墓地に立って、ワスカラン山とユンガイの町全体を、覗いて感じたコトは、山と町の距離から考えて、まさか土石流がここまで襲うなどとは想像もできませんでした。しかし、そのまさかが現実に起ったコトなのです。(後に、リマにある地震研究所にて、コンピューターで再現した映像を見せてもらい、説明を聞いて、納得しましたけれど)

 現在、東北地方の被害地の復興が進められておられるようですが、このような悲劇を二度と繰り返さないように、政府を中心に防災対策に取り組んでもらいたいと願います。サッカー関係者も積極的に支援活動をされているようですが、被災地のみなさまが一日でも早く立ち直れるよう祈っております。

 このブログ『蜻蛉ちゃんのサッカー』を2011年の12月に記載し始めてから、今回で100回目になりました。記載の目的は、私の日本とペルーにおけるサッカー人生で学んだ、サッカーの見方、感じ方、考え方、いわゆるサッカー哲学をゴミ箱に捨てるコトです。そのゴミのなかに、皆さんが役に立つコトがあれば、ぜひ拾って活かしてもらいたいという期待と願いを込めて記載しておりますので、今後ともよろしくお願いします。

 さてきょうは、前回に引き続き、藤田一郎氏の報告書の戦術面の課題について話し合いたいと思います。

 藤田氏は、技術面で、「日本選手のプレーに、強さという要素において不十分さが認められた」と指摘されていましたが、戦術面でも、つぎの3つのコトを指摘してい
ます。

(1) プレーを難しくする傾向がある。単純にプレーできない。単純なプレーを前向きに押し出していく自  

信を欠いている。動きにおいても同様であり、サポート、フォロー、オーバーラップ、スペースへの飛び出しの動きを、単純にはっきりと、分かりやすく遂行できないのは自信の欠如(体力的要素も含めて)にあると考えられる。

(2) ゲーム運びがつたない。特に追い上げる試合運びよりも、リードを保ち、追加点を狙う流れをつかみ 

きれない。余裕がなく、余力を失い、緊張し、心理的プレッシャーに弱く消耗しきってしまう。

(3) 相手の力が格下だと自分たちのプレーを遺憾なく発揮するが、同等以上の相手との試合の流れで劣勢 

となると受身になってしまい、消極的になり、強気のプレーへ転換し、持てる力を発揮するバネとエネルギーを失するきらいがある。悪条件に対する耐性に弱さが感じられる。

 以上3つの戦術面の課題を挙げていますが、チーム戦術において、個人戦術を発揮する土台としての、精神面への指摘とも読み取れます。たとえば、同格またはそれ以下チームでは自分たちのプレーを発揮できるが、同等以上になるとマイナス要素(劣勢、受身、消極的等々)が表れてしまう。

 「精度」という言葉がよく使用されていますが、高いレベルになればなるほど、精度の度合いが違ってくる。その見極めを指導者ができなければ、選手はいつまでたっても認識できないまま、これらの問題点をかかえるコトになるのではと思われます。

 これらの課題はアルガルベカップ(ポルトガル)に参加しているなでしこジャパンの選手たちにもあるコトを、私は前回にて指摘しております。たとえば、ボールの奪い合いで当たり負けしたり、少し後方からプレッシャーをかけられるとあっさりとバックパスしたり、単身ドリブルでシュートの体勢に入ると、追走する相手を気にしてか、胴体が硬直し、あわてて脚の力だけで蹴ってボールがゴールの枠から逸れてしまうなど、藤田氏が指摘しているような力強さ、ダイナミックさが欠けていると思っています。

サッカーだけではありません。WBC(ワールドベースボールクラッシック)に出場している侍ジャパンの選手たちのプレーを観ていても、少し骨のあるピッチャーに対すると、バットスウィングに力強さが欠け、ボールを腕と手首だけで当てる感じで、まったくダイナミックスさが欠けています。

昨日のオランダ戦では、その前に苦戦してきた様子とはがらりと変わり、ホームランが6本、毎回得点で16点を叩き出したのも、藤田氏が述べている、「格下に対しては、自分たちのプレーを遺憾なく発揮する」コトを証明しています。

 私の体験から得たこれらの課題に対する考え方は、目に見える技術は普遍化しやすいですから、誰にでも遅かれ早かれできるようになる、ですからその前に、さまざまな状況に対応できる身体(柔らかくて強く、安定感があるのに軽やか)がなければ、細かいテクニックをいくら磨いてもしょうがないというコトです。  

藤田氏の指摘する課題を克服するには、身体の能力を高めながら技術を磨かねばならないというコトです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年3月9日土曜日

現状の日本サッカーと1992年の藤田一郎氏の報告書 1/2

こんにちは! 蜻蛉です。 ここ数日気温が上昇し春の到来を感じさせています。日本サッカー界も3月に入り、創立二十周年のJ1リーグが開幕、ACL(アジアチャンピオンリーグ)、FIFA・W杯ブラジル大会への出場権をかけるサムライブルー対ヨルダン戦、なでしこジャパンのアルガルベ杯(ポルトガル)の出場というように、春の到来を感じさせています。

 このような明るい話題の反面、私の気持ちのなかに、日本のサッカーに一抹の不安というか不満を感じさせているコトがあります。きょうはそのコトについて話してみたいと思います。

 表題の藤田一郎氏は、Jリーグの始まる以前のJSL(日本サッカーリーグ)時代、日本代表のユースの監督、アジアのサッカー後進国への巡回指導など、日本サッカー界の指導者レベルがそれほど高くない時代に、世界の優れた指導法を導入し優れた選手を育成されておられた。(藤田氏は若い選手を育てる第一人者であった)

 先日、私のファイルを見直しているとき、日本サッカー協会の機関紙に藤田氏が記載した、1992年当時の日本サッカーの現状報告書(問題点)を抜粋した一枚の用紙があったので、それを読み直してみました。

 私が一昨年ペルーから一時帰国して以来日本サッカーの試合を観戦してきて感じているコトは、体力と技術レベルが、むかしと比べて、一段と高くなっているコトでした。しかし、それは日本人同士の試合であって、同等以上の対戦相手のときには、日本のサッカーの技術は根本的な要素(問題点)が1992年当時に指摘されている問題とそれほど変わっていないのだと、この報告書を読みながら感じました。

 その報告書には次のコトが記載されていました。(文書が少し長いので、2回に分けて記載します)

(1) プレーの原点・基本に未熟さがある。激しいつば競り合い、ボール(球)際での競り合いにひるみ、 

負い目が出がちである。

(2) ボールコントロールが良くなっていると言われる。しかし、力強さ、ダイナミックさに欠け、プレッ  

シャー、スピードのなかで正確に、前向きにプレーを発揮するには至っていない。

(3) 身体を使って持ちこたえるプレーができない、すぐに倒れる、スタンディングでの軽く小さなかわし 

のプレーは通用しない、動きながらのプレー、持ちこたえる身体を使ったプレーの開発が望まれる。

 そうしたゲームの展開から、藤田氏は技術の角度から、「日本選手のプレーに強さという要素において不十分さが認められた」と指摘し、以下の5つを具体例として挙げている。

(1) 激しく詰め寄られ、プレッシャーをかけられると、攻める方向、前を向いてのプレーが不十分になっ 

ていまう。

(2) プレッシャーのあるスピードのなかでは、正確なコントロール、パス、シュートなど技術を発揮する

精度のレベルが落ちてしまう。

(3) 身体を使い相手をブロックしてのボールの受け、持ちこたえるキープ力に欠ける。

(4) 相手の深いタックル、スライディングに対して、ひるむ傾向が強く、先手を取って出端を取る強気の  

プレーができない。

(5) 相手ボールに対する詰めと間合い、アプローチが甘くなる。1対1で破られることを恐れ、安全第一の 

プレーに走る。

 3月6日と昨夜(8日)TVで観戦したアルガルベ杯(ポルトガル)にての、なでしこジャパンの第1戦のノルウェー、第2戦のドイツとの試合にても、藤田氏の指摘している問題の要素がズバリそのまま現れていました。また、ACLの第1戦に敗退した浦和と広島も、試合を観ていませんが、上記の問題があったのではと予測されます。

 次回は戦術面で藤田氏が指摘しているコトを記載したいと思います。きょう行われるJ1リーグの試合も、このような視点から観戦してみると、これまでとはチョッと違ったコトが感じられるかもしれません。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月25日月曜日

ゼロックススーパー杯広島対柏戦を観戦して

Back in action: Saturday's Xerox Super Cup gives Sanfrecce Hiroshima manager Hajime Moriyasu (far left) and his Kashiwa Reysol counterpart Nelsinho (far right) a chance to see their teams in action before the 2013 J. League  season officially begins.こんにちは! 蜻蛉です。 Jリーグが1993年に誕生し今年で20歳。その間、FIFA・W杯開催とW杯出場4回、そして5回目も目前。欧州のビッグクラブで活躍する選手も現れました。日本サッカー界はこの20年間素晴らしい実績を挙げてきております。おめでとうございます。

Jリーグ百年構想の1/5、日本サッカー界はまだまだやらねばならないことが沢山あるはずです。例えば、日本サッカーのレベルを上げるには、選手の能力アップと同様、サッカー界の一人ひとり(サポーターやファンの方々)の支援と能力向上も不可欠です。

来年は新たに、J3リーグが誕生しそうですね。Jリーグが益々繁栄しますよう祈っております。

さてきょうは、一昨日(23日)国立にて、広島サンフレッチェ(J1リーグ優勝)対柏レイソル(天皇杯優勝)による、ゼロックススーパー杯の試合が行われましたので、その試合のコトと特に優勝した広島の森安一監督のコトについて話し合いたいと思います。

試合の結果は1−0で広島が柏に勝って優勝しました。両チームのスタメンはつぎの通り。

広島:GK西川、DF塩谷、千葉、水本、MF青山、森崎和、石川、森崎浩、高萩、清水、FW佐藤。

柏 :GK菅野、DF鈴木、近藤、増島、MF大谷、茨田、キム、L・ドミンゲス、ワグネル、FWクレオ、工藤。

広島交代:佐藤(石原)山岸(石川)。 柏交代:栗沢(茨田)、田中(クレオ)、山中(ワグネル)。

 両チームは今シーズン、リーグ戦と、アジアチャンピオンリーグ(ACL)に備え、強化合宿で、特にフィジカル面に重点を置いたせいか、初の公式戦でしかも昨年度のチャンピオン同士のタイトルマッチということもあって、前半の25分は中盤での硬さの取れない攻防戦で、得点に絡みそうな動きもチャンスもなかった。

 前半28分、ボランチ青山が左サイドからゴール前へクロス、相手の足を掠め、サイドバックの水本がジャンプヘッドで後方に流し、ゴール正面に位置していたエースの佐藤が左足のジャンプボレーキックで強烈なシュート、ボールはゴール右上の隅に吸い込まれ、広島が先制点を決めました。その後も、調子に乗った広島は再三再四柏ゴールにシュートしたが決まらず前半終了。

 前半の広島は、DF陣を固める柏に対して、無理して攻撃に出ず、3バックの塩谷、千葉、森崎和(水本は左サイドのMF)が落ち着いてボールをキープ。その間、MFと交えてパスを繋ぎながら、時折柏DF陣を誘き出すくさびのパスを入れ、ゲームの主導権を握っていた。

 一方の柏は、ツートップのクレオ(新加入)と工藤には、広島の3バックがしっかりとコントロールして、チャンスを与えず、また、ゲームメーカー、レアンドロとワグネルに対しても、MFが絶えずプレッシャーをかけて、好機をあたえなかった。

 後半に入っても、広島は9分と11分と佐藤が立て続けでシュート、ゴールかと思われたが、柏GKの手を掠め得点にはならなかった。このとき佐藤はGK菅野と接触して脚を痛め、14分に石原と交代。エースの抜けた広島に対して、柏がようやく攻撃リズムが出始め、後半17分ゴール正面でFKの得点チャンスがあり、レアンドロがゴール左隅にシュート。広島GK西川がゴールポストにぶつかりながらかろうじて右手でボール弾き出した。20分には、レアンドロの右サイドからのFKを増島がジャンピングヘッド、ボールはクロスバーに当たり外へ。その後も、柏は攻め込みましたが、広島はゴール前を固め(双方に得点チャンスはあったが)そのまま逃げ切り、タイトルを獲得しました。

 この試合の柏は、先日のJ2の千葉との「千葉杯」にて、3−0で完封された試合と比較して、多少調子は上がっていましたが、新加入の選手との連携がまだ取れていないためか、柏の良さが出ないで負けてしまったようです。フォーメーションも昨年の4バックから3バックになり、新加入の鈴木が右で、昨年右だった増島が左にポジションを変更、近藤も鈴木も主審に抗議(調子が良くない証拠)するなどで、まだ互いに呼吸が合ってないように感じました。

 広島は昨年末のクラブW杯でのDF陣のミスとMFの動きが足りないことを、私は指摘しましたが、この試合でのDF陣のミスは後半ゴール前で反則し相手にFKを与えただけで、致命的なミスはなかったように思う。問題のMF高萩、森崎浩、青山は攻守に良く動いてチームに貢献していた。あの得点したときの選手のポジションを見れば、選手がいかに流動的なポジションチェンジをしていたかが分かる。右サイドのボランチ青山が左サイドからクロス。左サイドバック水本がペナルティーエリアのラインに位置。佐藤が水本と同じラインでゴール正面に位置。というように、相手に意表を突くポジションチェンジで得点を決めたわけです。

 広島の選手一人一人が萎縮せず伸び伸びとリラックスして、しかも考えてプレーしているのには、感心しました。これだけ選手の個性を引き出せるには、やはり監督の手腕があってできるコト。就任1年目でJ1優勝、そして今回のスーパー杯優勝に導いた広島の森安一(もりやす・はじめ)監督の功績は大である。

 前にこのブログで彼の現役選手時代のことを記載しましたがここでもう1度取り上げてみようと思います。

 

『森安日本一監督は未来の日本代表監督になる才能あり』

 森安一選手は長崎県生まれで、高校時代は国見や島原商のような有名校出身ではなく、東洋工業の子会社に入社。幸運にも、オフト(オランダ)がコーチで、彼の才能を発見。オフトが日本代表の監督に就任して、当時まったく無名の森安を代表候補の合宿に召集。アルゼンチン代表との親善試合に先発でMFボランチ(守備型MFで、ポルトガル語の舵取りの意)として初出場。試合後のインタビューで、当時のスター、カニージャの「日本の選手で一番やり難かったのは16番(森安)だった。自分が入りたいと思って動くと彼が立っていたんだ」という言葉に記者団は驚き、アッという間に森安の名とボランチという用語が世間に広まったのです。  

テレビカメラで森安のプレーを捕らえようとしても、相手からボールを奪ったら、直ぐに味方にパスしてしまうため、「森安とボールを同時にキャッチした像が画面に現れない」とテレビ関係者を悩ませていたのです。

 その森安が広島の監督就任1年目で、過去1度もリーグ戦えタイトルを獲得したことのない広島をチャンピオンに導いたのは、彼の選手時代に日本代表初招集の1回のチャンスで結果を出した強運を見逃すわけにはいかない。

近い将来、森安は日本代表の監督になれるだけの才能があると、蜻蛉の目はそう見ています。そのわけは、森安監督がベンチやコーチングボックスに立っている姿勢、彼の眼の輝き、そしてオーラを感じさせているコト。それに、彼の広い視野、深い洞察力、旺盛な行動力、即興性がそのまま選手のプレーになって現れているコト。そのうえ感情の起伏が少なく、リラックスした冷静さは監督としての資質は十分備えている。もちろんサッカーの戦術、技術、体力等の知識もあり、センスも感じられる。監督のゆとりが選手に反映して、選手のプレーも遊びがあって、見ていても安心してみていられる。クラブW杯では「リラックス」さが、「気抜け」になったプレーが見ら
れましたが、この試合では、あの悪い癖は修正されていました。

 その意味からも、今後、森安監督の采配と動向に注目する価値があると、蜻蛉は期待しています。
 
 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月22日金曜日

日本柔道界の暴力問題について


こんにちは! 蜻蛉です。 イングランドの名門マンチェスターUで活躍している香川真司選手が、日本サッカー史上初めて、世界サッカー界の最高峰とも言える大舞台(欧州CL決勝トーナメント1回戦スペインの名門Rマドリード対マンU戦―ベルナべウスタジアム)、にて、出場しましたね。素晴らしい出来事ですし、日本サッカー界にとっても大変喜ばしい出来事です。我々サッカーマンにはユメの夢ですからね。現役サッカー選手たちにも、夢でなく、可能性が現れてきたようですね。

一方では、日本代表対ラトビア戦の批評をこのブログにて、本田圭佑(OSKAモスクワ)の膝のことを記載しましたが、以前右膝の手術をしたバルセロナの医師に検診してもらうため、スペインに滞在、というニュースがありました。膝は脚腰を駆使するサッカー選手にとって重要で、しかも大変デリケートな部位です。大事に至らなければと、祈っております。

さてきょうは、サッカーの話題でなく、スポーツ界の暴力問題について話し合いたいと思います。このブログで、昨年の4/7と5/2に『歴史的な観点から覗く日本人の緊張感』に掲載しましたが、今回の問題の根源もこれらと関連しているのではないだろうか、というコトで再度取り上げました。

2月5日、下村博文文部科学相は柔道女子日本代表での指導者による暴力問題を「日本のスポーツ史上最大の危機」として、暴力の根絶を呼びかける異例のメッセージを発表しました。

競技団体ごとの通報窓口設置やトラブルの相談を受け付ける第三者機関の新設も求めた。このメッセージは「スポーツ指導から暴力を一掃するという基本原則に立ち戻り、スポーツ界を挙げて取り組む必要がある」と強調。指導者養成の在り方を改善する必要があるとした。柔道以外についても暴力行為がなかったか実態調査を進めるよう要請した。改革とは、外部有識者による第三者委員会の設置、女子支援体制の強化、女性理事登用、女性監督起用等々。

今回の暴力問題を歴史的に、明治維新後に遡って、考えてみましょう。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せ
よ」

明治維新後、山縣有朋(やまがたありとも)の主唱によって、明治6年に国民皆兵を標榜する徴兵制が導入されました。このとき山縣の念頭にあった近代兵制のキーワードは「統制」でした。これは2つのコトを意味しています。1つは明治政府の指揮に従おうとしない各藩の士族兵を「統御する」コト、第2には、これまで武装したことのない農民や商人ら平民の身体を軍事的に「標準化する」コトです。つまり農民の身体を「標準化する」ことをもって、中央権力に服さない士族兵の身体を「統御する」という2つの水準での「身体の統制」を山縣有朋は企てていたのです。

この軍事的身体加工の「成功」(西南戦争の勝利)をふまえて近代日本は「体操」の導入に進みます。明治19年、文部大臣森有礼(ありのり)は軍隊で行われていた「兵式体操」を学校教育現場に導入します。生徒たちの身体の統制が「道徳の向上」と「近代的な国家体制の完成」に不可欠のものであることを森はただしく看取していたのです。国家主導による体操の普及のねらいはもちろん単なる国民の健康増進や体力の向上ではありません。そうではなくて、それはなによりも「操作可能な身体」、「従順な身体」を造型することでした。

身体を標的する政治技術がめざしているのは、単に身体だけを支配下に置くことではありません。身体の支配を通じて、精神を支配するコトこそこの政治技術の最終目的です。この技術の要諦は、強制による支配ではありません。そうではなくて、統御されているものが「統御されている」というコトを感知しないで、自ら進んで、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲望に駆り立てられて、従順なる「臣民」として権力の網目の中に自己登録するように仕向けることにあります。

(スポーツはこのような傾向があるようです)

政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、権力は必ず「身体」を標的にします。いかなる政治権力も人間の「精神」にいきなり触れて、意識過程をいじくりまわすことはできません。

「将を射んとすればまず馬を射よ」「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せよ」です。

(内田樹著『寝ながら学べる構造主義』文春新書より)

柔道女子日本代表候補選手15名による告発は、「耐えがたき監督、コーチの暴力行為と暴言」とのコトですが、実際に暴力があったのでしょうか。暴行を受けた女性が身体にある障害があったのでしょうか。もし障害があったとしたら、障害事件にまで発展するはずです。まして、15名の告発者の名が公表されず、匿名のままで監督、コーチに、あっさりと辞任させるというのも、何か曖昧さを感じさせます。  

確かに女性たちは苦痛をうけたのでしょうが、スポーツの世界では、大なり小なり万人が経験するものですが、あらゆる社会あらゆる時代において同じ強度で、同じ仕方で、同じ痛みとして経験されるわけではありません。「現に、苦痛が耐えきれなくなる閾値(いきち)には個人差があるだけでなく、その個人がどのような文化的なバックグラウンドを有しているかによっても異なることも知られている」

身体的苦痛のような物理的・生理的経験でさえ、歴史的あるいは文化的な条件付けによってまったく別のモノとなります。何を苦痛と感じ、何を苦痛と感じないか、という「苦痛の閾値」はその人がどういう文化的なネットワークの中に位置しているかによって変化します。

それを逆から言えば、明治維新後のように、身体を文化的な統制、あるいは政治的な技術によって造型し直し、変容し、馴致(じゅんち)することだってできるわけです。

大阪の高校教師による暴力的な行為によってバスケットボール部の主将が自殺したように、似たようなケースが起こっていながら、発覚するまで何の手を打たなかった文部科学省にも問題がありそうです。 

昨夜TVで見た全日本高校女子チアガールリーダース(集団組み体操)にしても、優勝するために危険な難度の技を強いる指導者、落下して首の頚椎を痛めて見学している者、何度も高いところから落下して下の者に支えられている者、それらを離れて全体が見える位置に立って強要している指導者の姿があった。見ていて、チョッとの不注意で重症または死に至る大技を、アシスタントコーチなしでできるのであろうか、もし犠牲者が出れば、誰が責任をとるのか? 誰かを制裁するコトですむだろうか? 

名門校にはこの傾向があるようです。それらの演技を観戦する側からすれば、「素晴らしい」と賛美しますが、もし誰かが犠牲になったとたん指導者は目の敵にされるのではと、そう考えるだけでも、今回の問題に対応した文部科学相の「柔道の指導者の行為を一方的に暴力と決め付けた」姿勢に、私ははなはだ疑問を感じています。また、挨拶やマナーも指導できない全日本柔道連盟に対しても同様です。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月16日土曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (5) 最終回


こんにちは! 蜻蛉です。 レスリングが五輪種目から外されそうだ、というニュースには驚かされました。また、グアム島での通り魔無差別殺傷事件にも驚かされました。いつ何が起こるかわからないのが現代社会、恐ろしい世の中になりましたね。

 さて、不吉な話題はこれまでにして、きょうは、雑誌『サッカー批評』を読んで感じた、私の感想を述べてみようと思います。

 この雑誌に記載されていた欧州遠征でフランス、ブラジルという強豪と対戦した日本代表の批評に関して、これまで4回このブログで取り上げてきました。この他に、フリーランスの西部謙司氏のよる、「無謀な挑戦」の光明、愚かな戦いを挑んで見えた攻撃の完成度。元川(実川?)悦子氏による「ブラジルまでの次なる航路」日本代表選手の証言から紐解く指標、羽中田昌氏(サッカー指導者、解説者)、三浦俊也(サッカー指導者)、里内猛氏(フィジカルコーチ)、飯尾篤史氏(サッカーライター)の4氏による誌上討論、[検証]ザッケローニの手腕とマネージメント、欧州遠征、本田ワントップ、ポゼッション傾倒への弊害等々も記載されていますが、それらのいくつかをピックアップしながら、蜻蛉の見解を述べることにします。

 この雑誌の批評にもありますように、皆さんはそれぞれの立場から、日本代表の欧州遠征での2戦についてはよく分析されているのには感心しましたし、また、日本代表の長所も短所も皆さんはよく把握されているようです。

この表題にあります「日本人の完璧主義」という意味は、日本人がということではなくて、日本人のスケールでの、というコトです。本来の「完璧」でいう、完全で欠点がないことや完全無欠という意味ではありません。別の言い方でいいますと、「日本人流の完璧主義」です。

 西部氏は「日本代表は非常に意義のある経験を積めたと思う。特にブラジル戦は、考えられないほど勇敢に、別の言い方をすれば無謀な挑戦をしていたのには驚かされた」「手応えを得られたのは攻撃だ」「あえて無謀な守備に挑戦したのは、ボールをつなぎ相手を押し込むゲームをやろうとしたからだ。日本のパスはつながり、チャンスも作れた」「日本があそこまで無謀なプランで臨まなければ、もっと僅差の試合になっていただろう。日本は最高のブラジルを引き出す戦い方を選択した。これほど野心的な、蛮勇の日本は初めてではないだろうか。皮肉ではなく、感心した」と述べています。

 それに筆者は、「ブラジル戦の“実験”は必要なデータをとれたという意味では有意義だった。ざっとあげても、かなりチェックポイント(略)が明確になった。ブラジル相手に、ああいう仕掛け方をしなければ、わからなかったこともあったと思う。一方、フランス戦のほうは不完全燃焼の試合だった」とも述べています。

 「ブラジルのセンターバックがまずスペースを消すことを優先し、中盤に引く本田や香川に食らいつかなかったのに対し、今野や吉田はネイマールやカカにぴったり食らいついていった。ブラジルに対して、決してあのように守ってはいけない」と筆者はつけ加えています。

 このような見方ををしているジャーナリストに敬意を表します。日本代表に対して、好意的な批評をされていますし、よく観察されています。

 私は、指導者としての立場から、あえて別の見方について述べてみたいと思います。

 正直なところ私は、ペルーから一時帰国して以来、日本代表の試合を観戦してきまして、イタリアから招聘したザッケローニ監督のコンセプトや采配に一貫性がないのには不満(このブログでは時々褒めてはいますが)を感じています。アジア選手権やW杯アジア予選では結果を出して実績をあげていますが、監督の力なのか、選手たちの力なのか、明確に現れていないからです。

 前監督の岡田武史監督やイビチャ・オシム監督のコンセプトと現在のチームと一致する面があるのですが、ザック監督のコンセプトが何なのか、まだよく伝わってこないからです。

 ブラジル戦に対して、勝つために「無謀な挑戦」なのか、己のレベルを知るための実験的「無謀な挑戦」をしたのか?何の目的で、あえて無謀な挑戦をしなければならなかったのか? 西部氏の言うような今後の課題を抽出するためだったのでしょうか。また、一流の指導者が結果(勝利)を無視した「無謀な作戦」を立てるでしょうか? 

 西部氏が指摘した日本とブラジルの両センターバックの守備の位置とマークの仕方を見れば、両国の差がはっきりと表れています。ブラジルのサッカーは相手に食らえつくようなマークはしません。ブラジルの両バックがラインを下げたのは、日本の攻撃戦術と個人戦術を距離を置いて(視野を広げるため)観察することと、DFラインを予め他の選手たちに示す意味もあるのです。日本のアタッカーが攻め込んでくるのは計算済みでやっているのです。ところが日本側から覗くと、パスはつながり、チャンスが作れたと見ているわけです。その間に日本の攻撃陣は裸にされているのに気がつかないで、押し込もうとしていたわけで、ブラジルの思うツボにかかって、カウンターで仕留められていたのです。

 「戦術」とは、要約すれば「駆け引き」です。読んで字のごとく、攻め込むだけでなく、引くことも戦術なのに、日本は攻め込みぱなしで、引くことをしなかった。

 ブラジルとは反対に日本のセンターバックは技術もスピードもある選手に食らえついてしまいカウンターを許してしまった。

 最初の15分で、ブラジルは日本の攻めを完全に把握したのに対し、日本はブラジルの攻めを確認できずに振り回されてしまったわけです。無謀どころか愚かとしかいえません。

 日米開戦での神風特攻隊と艦隊を彷彿させるような戦いをさせる戦略家をわざわざ外国から招聘したのでしょうか? それを褒めているジャーナリストの評価には、??? ブラジル戦で、「決してあのように守ってはいけない」と言いながら、一方では褒めたのは、フランス戦で不完全燃焼でも勝ったから、その褒美もあるようです。

 日本が世界と伍して戦うための最も重要な課題は守備面をもっと強化して、強固なDF陣を構築することであるはず、その裏づけなしに、本田と香川に期待しても、W杯のグループリーグ戦で敗退するのが落ち。長谷部と遠藤のボランチもセンターバックのバックアップがなければ機能しないし、ボランチが機能しなければ攻撃にも守備にも中途半端で、ゴールには結びつかない。絶えず不安定。

 その点から考えると、対フランス戦をもっと真剣に見直さなければならないはずです。勝って不燃焼で済ましてはダメ、逆に、あのようにフランスに攻め込まれても、なぜ日本が勝てたのか?、それに、無得点で抑えることができたのか? ただ単に相手のミスシュートに助けられたからで片付けてしまっては、何のために戦ったのかが意味をなくなすことになる。実にもったいない。なでしこジャパンもロンドン五輪にてフランスに猛攻を受けても勝ったではないですか。あのような試合こそ日本の長所を見つけるべきだったのではないでしょうか。そういうひとつひとつの(見えない部分)の良さを、理詰めにしていけば、日本代表はもっと向上していくと思います。

 スペイン代表やバルサのサッカーの華やかな攻撃の部分を見つめるだけでなく、それを支えている守備陣の動向に焦点を当てることが、日本サッカーにとってもっとも大事なコトだと思います。

 最後に、日本代表の完璧主義は、ある大会に挑む前、入念な計画を立て、しかも細部にわたって緻密に検討し実行します。ですから、その照準を最初の試合に当てることで、幸先のよい結果を出すことに集中することになります、そこで失敗すると崩れてしまうか、運良く決勝トーナメントに進出しても、それまでしか準備していないため、その威力が落ちてしまう、という筋書きになってしまうのです。

大雑把な計画で、試合ごとに編み上げていく、という発想ができないところに、日本サッカーはもう一歩というところで前進できないように思われます。これはサッカーだけではありません。

 以上で雑誌の批評について閉じることにします。

 

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月10日日曜日

サムライブルーVS ラトビア戦を観戦して

こんにちは! 蜻蛉です。 柔道女子日本代表での暴力問題を「日本のスポーツ史上最大の危機」として、下村文部科学相が、暴力の根絶を呼び掛けるメッセージを発表しました。何か突然降って湧いたような問題ですが、このブログで『歴史的な観点から覗く日本人の緊張感』(昨年4月27日と5月2日)という題で私が記載したコトと、今回の問題と関係がありそうなので、後日この問題について取り上げてみようかなと思っています。

 さてきょうは、サッカーの雑誌については一時中断して、今月6日に行われましたキリンチャレンジカップ、日本代表対ラトビア代表戦(ホームススタジアム神戸)について話し合いたいと思います。

 結果は3−0で日本が楽勝?しました。正直なところ対戦相手のラトビアのレベルが低過ぎて日本の勝利を素直には喜べませんでした。しかし、過去のチャレンジカップと比較して、ザッケローニ監督の采配に(プラスの意味で)変化が表れたように感じました。

 日本のスタメンは、GK川島DF(右から)内田、吉田、今野、長友、MF(ボランチ)長谷部、細貝、(アタッカー右から)清武、本田、香川、FW(ワントップ)岡崎。

 このスタメンに、ボランチに細貝、トップに岡崎を据えたコトで、変化が表れています。それに、トップ下の本田のポジションのとり方にも変化が表れていました。

 細貝は途中から交代してプレーするのとスタートからプレーするのとは違和感があったはずです。これは実際に体験しなければ分からない部分があるのです。というコトは、やらない間は意識がその部分に向けられないという問題があるのです。

 スタートの場合は、本人の使命と味方との連携、それに対戦相手を知らない、という未知の部分があるわけです。それに味方の攻守と相手の攻守も同時に考慮して本人自身の個人戦術も調整し、それを短時間のうちに状況をキャッチして対応できるようにしなければならないのです。特にボランチの機能と資質は「察知能力」が要求されます。つまり相手が何をしたいのかを感じる能力があれば、場面に応じて適切な対応ができるというコトです。このコトは前回のブログにても記載しています。

途中交代で入る場合は、これらが既に見えている状況で、しかも本人の使命もあらかじめ分かった状態でプレーできるので機能しやすいのです。交代選手の難しさは、コンディショニングの調整とリズムですが、あるときには試合の結果を出さねばならない重要な使命もあるわけです。

予想通り細貝は戸惑いがあったようで、それが前半1−0という結果(苦戦)にも多少表れていたようです。だからといって、細貝はダメなのか? ダメどころか細貝個人にとっても日本代表にとっても必ず利益になる、と蜻蛉の目はそう観測しています。

岡崎のワントップも、前に私がこのブログで述べています。彼自身に「泥臭さ」を要求していたのですが、先日の彼の談話にてこの言葉がありました。というコトは、彼自身が「きれいにシュートして得点する」イメージから、「ポジショニングのとり方と瞬間のタイミングで得点する」イメージに切り替えたと思われます。

ゴール前で「こぼれ球でも押し込んでやるぞ!」という泥臭さのあるプレーを意識した結果が、内田からのシュートのようなパスを、相手DFの後方に立っていながら、一瞬先に出て、足先でボールを掠めて決めた前半最初の得点です。後半、前田が清武に代わってトップに入り、岡崎は清武のポジションに替わったけれど、最初の得点のゆとりとワントップの体験が、香川からのゴール正面へのパスを岡崎はサイドから相手DFラインの裏をつき、そのボールを受けて、GKを余裕を持って交わして決めたのが、日本の3点目でした。ザック監督になって初めての試みが結果を出したわけです。

 日本は前半、本田がトップ下でありながら、トップの岡崎と離れてボランチの長谷部に近い位置でプレーしていたようです。その空いたスペースに香川が積極的に左サイドからドリブルで持ち込み清武や岡崎が相手DFの裏を突こうと試みていたようで、ブラジル戦で左サイド寄りでパス攻撃を仕掛けていたのをゴールに近い中央ですれば、直接シュートするチャンスと相手にプレッシャーをかけるコトになる。

 この体制でいけば、香川もトップ下の機能が発揮でき、岡崎や清武も裏に飛び込め、しかもキープ力とシュート力のある本田が広い視野で、しかもノーマークでプレーできると計算していたように感じました。それが前半の23分の本田のミドルシュートや岡崎と清武が相手DFの裏をつく動き(オフサイドになったが)が再三見られました。

ザック監督はサイドハーフが早い段階で中に入るコト(香川のようなプレー)を嫌っていたようです。その理由は、ボールを奪われたときに外のスペースが空いてしまうコトと、相手のサイドバックの攻撃参加を許してしまうコトのようです。この試合の場合は、本田が香川の後方に構え、長谷部と細貝が攻撃のサポートしていたので、ボールを中央で奪われても直ぐにカバーできる体制ができており、ブラジル戦のように攻撃のために守備体制が崩れる心配は少なくて済むはずです。

 後半、ボランチの細貝に代え遠藤が入り、中央の攻撃スペースが広がり、14分香川は左サイドから縦にドリブルで持ち込み、ゴール正面に飛び込んできた本田にパス、本田は間髪入れず左足でシュートして、日本の2点目を決めたのも、前半の布石が功を制したと思われます。この日の本田は体力的に精彩を欠いてミスプレーが多かった。彼の歩き方を見ていると、正常ではないように感じました。歩くごとに肩が上下に傾いていたので、以前膝の手術をした部位に、異常があるのではないかと心配されます。大事にならなければよいのですが。

 試合の結果は3−0でしたが、日本代表が早急に解決しなければならない守備の課題が、この試合にて試すことができなかったのは残念。そのかわりに、攻撃面では、メンバーと攻撃方法をチョッと変えただけで、良い面で変化が表れたようです。

 個人的には、清武の1点目に絡んだ粘りのあるプレー(無理な体勢でもボールを奪われず長谷部にパス)。前出の岡崎のプレー。岡崎と交代して初登場した大津の3人を相手にコーナーキックまで持ち込んだ粘りのあるプレー。乾の軽快な動きと6本もシュートしたプレー。内田と交代した酒井高徳の積極果敢なプレー。ロンドンオリンピック代表の若手が動き出したコトは、サムライブルーにとって、この試合は利益をあげたと言えそうです。

ザックジャパンの組織力を向上させるには、個々の力をさらに向上させていかねばなりません。しかし、代表の合宿練習や試合だけでは個々の向上は限度があります。個々の力を上げるには、個々の選手が所属するクラブで実績をあげていくコトが最も望まれます。その力を代表のために貢献すれば解決できるのではないでしょうか。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年2月4日月曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (4)

こんにちは! 蜻蛉です。アッという間に2月、早いですね。残念なことに、日本のお家芸であるはずの柔道界の指導者の暴力行為が、クローズアップされています。

私はこのブログで、柔道の礼儀と礼節が守られていないコトと、柔道の本来の「らしさ」が失われているコトを指摘しました。その原因は講道館と日本柔道界の姿勢にあるコトも述べました。

柔道や武道の稽古は、対人関係を円滑にし、危険回避をはじめとする状況判断の能力を向上させる、という2つの面を持っているのです。そのためには、常に自分をニュートラルな状態に置いて、相手を感じ、それにもっとも適した身体反応ができるように訓練するです。対人関係においても、まず相手が何をしたいのかを感じる能力があれば、状況に応じて適切な対処ができる。つまり「人の動き(心身共に)が読める」ようになるのです。

そして自分にとって危険な状況、不利な状況を察知できる能力が向上し、的確な判断ができるようになり、追い込まれた状況から逆転する能力も身についてくる。同時にさまざまな状況を予測できるようになる。身体が敏感なアンテナとして機能すれば、動物的な“カン”も働くようになるのです。

この大事なコトを知らない?で指導している指導者、それに指導者の資格を、五輪でメダルを獲得したからといって、安易に与えている柔道界の体質に重大な要因があるのではないでしょうか。

いじめの問題や体罰の問題を関係者を処罰するだけでは、何も解決しないし、逆にますます深みにはまっていく、と私はそう感じています。

さて、きょうも雑誌『サッカー批評』(双葉社発行No59)の批評に関して、ディフェンスマスターと呼ばれている栃木SCの松田浩監督が徹底分析した『日本代表の守備はなぜ崩壊したのか?』ポジショニングから見る4失点(対ブラジル戦)の要因を批評されているコトについて話し合いたいと思います。 

先に柔道界の問題と柔道や武道の稽古について述べたコトは、サッカーにとっても重要なコトなので、記載しました。

松田氏はつぎの4つの項目を挙げています。

1.ピンチを招いた要因は守備意識の低さ

2.フリーでシュートを打たせた遠藤と香川のポジショニング 

3.守備に足りないゾーンディフェンスの意識 

4.ブラジルとの差を埋めるために必要なことは

1.では、松田氏は、「フランス戦はよく勝ったという印象。前半は押し込まれたが無得点でゲームを進められたのが一番の勝因だと思います。必然的に守備意識が高まり、うまく守り勝ったのがフランス戦。ザッケローニ監督はブラジル戦の前に『フランス戦のように守り勝つつもりはない』とコメントしていたでしょう。かくして指揮官の宣言どおりブラジル戦の序盤、日本は見事なパスワークでブラジルを自陣に押し込めました」と述べています。

左サイドで長友、香川、本田、遠藤が絡んで何本もパスを回し、相手のペナルティエリア付近までボールを運ぶ。だが、本田がつぎの瞬間にボールを奪われ、そのままカカに渡る。カカは間髪入れずに前線のネイマール目掛けて正確で長いボールを足下に入れる。ネイマールは見事なワンタッチで広大なスペースに抜け出す。ブラジルの最初のカウンターシーンを図解で両チームの選手の位置(ポジション)を示しながら解説しております。

松田氏は、「この場面、僕は日本の戻りが遅いと思う。ブラジルの上がりの方が速い」吉田と内田がネイマールの突破を遅らせているうちに帰陣したのは長谷部と今野の2人だけ、一方ブラジルは後方から4人が駆け上がっている。ネイマールにボールが出た瞬間は2対1の数的優位。でもつぎの場面では4対5の数的不利。どれだけブラジルの上がりが速くて日本の帰陣が遅いかということですよ。

この辺りが、日本はブラジルをチョッと甘く見ていない?と思うのです。ブラジルのカウンターは天下一品なのに」

 この後、松田氏は、「カウンターの局面ではいかに早く十分な数のカラダを帰陣させるか、それだけしかないんです。僕はその意識付けを促すためにD(ペナルティアーク)のポジションの重要性を選手に伝えている」とも述べておられる。

2.では、ブラジルの最初の得点の場面の日本選手のポジションのとり方が的確でないコトを指摘しています。 DF内田のクリアミスが最大の要因あることは間違いないが、問題はそれだけではない」と松田氏は述べています。

「相手のシュートもうまいと思いますよ。でもゾーンディフェンスのポジションをしっかりとっていればシューターにも、その前のパスを出した選手にもアプローチにいけたはずです。内田のミスがなければ、こういうポジション取りの問題が明るみにならないのです」と松田氏は述べています。

3.では、氏は「ゾーンディフェンスの守備時に大事なことは、守備にも行けるし攻撃にも行ける、という意味で中途半端なポジションをとること。(略)序盤は自分たちの攻撃が良くて相手を押し込められていたけれど、まだどうなるか何もわからない状況で、守備の局面でしっかり守備のポジションをとらないのはなぜか、ということです。そう考えると、フランス戦の勝利とブラジル戦の立ち上がりの良さによって、ブラジルを甘くみてしまったのではないかと感じるのです」

「僕が考えるゾーンディフェンスはボールを中心として、その次に見方の位置で決まるのだから、吉田はもっと今野に近づいて間のスペースを埋めないといけない。あるいは、瞬時に長谷部がその穴に飛び込んで埋めるか。吉田はマンツーマンの意識が強いのかなあ。ネイマールは内田に任せればよかったと思うのです」と氏は述べています。

4.「日本代表の強みは、今や細かいパスワークに代表されるコレクティブな攻撃と連動した守備だ。そのいずれかを放棄すれば世界のトップとは渡り合えない。徹底的に攻めるならば、徹底的に守ること。ブラジル戦で見えた収穫と課題がまさにそこにある」と締めくくっています。

(蜻蛉の見解)

 この文章を読んで、ザッケローニ監督が、ブラジル戦前に「フランス戦のように守るつもりはない」というコトをプレスに向かって述べていたとは驚きでした。なんとなく彼の言動をチェックすると、彼自身が日本サッカー界が、ブラジルサッカーに傾倒し過ぎているのでは、というような印象を持っているように感じています。それで彼はブラジルに挑戦状を突きつけたのではないでしょうか。

1の図を見れば、本田がボールを相手に奪われた時点で、遠藤と長友まで攻撃に参加して、2人をカバーしているのが今野と長谷部の2人ですが、その前のスペースをブラジルの4選手が占拠。ハーフラインにネイマール1人に対して吉田と内田ですが、ハーフラインからの自陣はがら空きの状態。「守りをコンパクトにせよ!」というコンセプトを守らず、闇雲に相手の懐に飛び込もうとしている様である。

松田氏が「帰陣して数的有利にせよ!」「Dにて守備網をかけよ!」は守備戦術の鉄則。ゾーンディフェンスを意識するのも、防御ラインを組織化するためで、マンツーマンで守るとパス攻撃に対処できないのだ、というわけです。帰陣させるには、相手のボール保持者に対応する選手のマークの仕方が大事、そこで阻止できなければ、1のように、アッという間に相手のカウンターで押し込まれるコトになる。また、このときのブラジルのバックラインには、松田氏のいうDの位置に3人と少し前に1人がいて、日本の4人で突破するのは容易でない状況。というコトは、ブラジルは日本の攻撃をあらかじめ許して、日本の出方を探りながら、しかも日本のミスに乗じてカウンターをかける、という筋書きができていたのでは、と私は過去30年以上南米サッカーを観戦してきた体験から感じています。

このコトは、松田氏の「まだどうなるか何もわからない状況で、守備の局面でしっかりと守備のポジションをとらないのはなぜか?」の言葉にあるように、日本は無謀に攻め込んだと、非難されても仕方がない。なのに、プレス関係のライターは寛容?に、「攻撃面はまずまずの出来」とか「収穫があった」と記載されている。なんとなく信じられませんね。

守備に関しては、規律が第1ですから、守備戦術の原則とかマークの原則がしっかりと認識されていなければ、絶えず不安定な状況に立たされるのです。その上で、技術とか体力の他に、どのような状況にも対応できるよう、柔軟で強いメンタリティが選手たちに要求されるのです。

4で述べておられるように、なにごとも「徹底する」という姿勢こそ、日本サッカー界に求められる姿だと、と私なりに思っています。そのためにも、このページで私が最初に述べたコトが、高度なサッカーを目指す上で欠かせないのです。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月29日火曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義

Job in hand: National team manager Alberto Zaccheroni wants Japan to qualify for the 2014 World Cup as early as possible.こんにちは! 蜻蛉です。大相撲初場所で横綱日馬富士が全勝優勝しました。場所前、横綱審議会が前場所の9勝6敗の成績に対し、強烈な批判をしていたようですが、今回の成績にどういう反応を示すでしょうかね?最後の4場所で3場所全勝優勝ですよ。素晴らしいとは思いませんか?

 さてきょうも前回に引き続き『サッカー批評』のザッケローニを超える日本代表、というテーマの一つ、「解けないままの宿題―南アから変わらぬ2つのテーマ」をタタキ台にして話し合いたいと思います。

 このテーマは、現状の日本代表で何が問題で、それをどう解決していけばいいのか。そして、未来に進むために何をなすべきなのか。連戦を現地取材した清水英斗氏(サッカーライターで現在フリーランスとして活動中)が肌で感じた問題を指摘しています。

 清水氏はつぎの6つの項目に分けて、氏自身の見方と考え方を述べています。

1.日本代表が抱える永遠の問題。 2.活躍する海外組は増えたがそのほとんどは2列目。

3.日本が誇るダブルボランチの限界。4.ハイレベルのボランチを育成するのに必要な土壌。

5.攻撃面はまずまずの出来、問題は危険スペースの察知。 6.本田1トップに感じる大いなる可能性。

 以上の項目に従って、著者の声に対して、私蜻蛉の見解を述べていくことにします。

1.世界のトップレベルの国々に対し高い位置からプレスをかけてボールポゼションでも互角に戦う攻撃的なサッカーを目指したとき、昨今の日本代表に必ず露呈する潜在的な弱点がある。ボールを持ちながら攻めきれず、相手のカウンターにやられてしまうのだ。おそらくこれは永遠の課題だろう。

 南アのW杯で、岡田監督はこの問題の根本的な解決を諦め、自陣に引いてコンパクトなブロックを作る守備的な戦術から勝ち点を拾う、言わば弱者のサッカーを選択。ボールポゼションを捨て失点のリスクを極力減らし、虎の子の1点を守りながら粘り勝っていく。その指揮官の決断はグループリーグ突破という結果を残した。あれから2年。今回のブラジル戦の大敗を見るにつけ、やはり岡田監督の見立ては正しかったと言わざるを得ない。ゴールに近づいて最後の打開力、そしてカウンターアタックへの脆弱さは、ザックジャパンになった今でも解決されていない。

(蜻蛉の見解)

 「なぜ攻めきれないのか?」と言うのではなく、「なぜブラジルが日本に自陣まで攻めることを許したのか?」と考えてみてください。日本側の立場だけでなく相手側の立場で考えてみれば、この2つの問題は容易に理解できるのでは、と私は感じています。

この問題の裏には、日本のサッカーの指導者は戦術の細かい知識をよく勉強しています。しかし、守備戦術と攻撃戦術の原則があるコトを知っているのでしょうか? 私が日本サッカー協会の海外国際委員をしていたとき、協会の機関紙と96年に「世界」と戦う日本代表をめざして「強化指導指針1996年版」を読んでいましたが、私がペルーで指導者として学んだ「戦術の原則」について、一度も記載されているのを見たコトはありません。

この原則については、このブログでも以前に記載しています。日本男子のサッカーは、もっと「なでしこジャパン」のサッカーを見習う必要があります。女子は男子のような体格もパワーもありませんが、技術にしても戦術にしても基礎がしっかりしています。と言いますのは、選手たちはアタマではなくカラダ(心身ともに)でサッカーの知識を吸収しているからです。

2.日本選手は欧州で活躍する選手が増えたが、日本のストロングポイントである中盤の2列目やサイ 

ドバックの選手ばかりで、FW,ボランチ、センターバックといったセンターラインに関してはまだまだこれからといった状況でポジションごとにバラつきがある。これは日本サッカーの育成にも関わる問題であり、代表監督が変わったからといって、わずか2年間で解決できるほど簡単な問題ではないだろう。 

著者は、「リアクションをベースとして対抗するサッカーには別れを告ぎたい」日本はもう一歩前へ進まなければならない。日本代表が世界の列強と肩を並べた戦い方で結果を残すためには、今後何が必要になるのか、いくつかの具体的なポイントを述べていきたい。

(蜻蛉の見解)

 日本サッカー界は海外サッカーの情報が入りだしてから敏感にリアクションしてきたはずです。それが進歩につながっているのですが、一方では早とちりというか誤解して今日まで引きずってきている問題もあるのです。いくら攻撃的サッカーといっても、鍋底に穴があるような守備では、いくら攻撃しても、その支えがなければ、中途半端な攻撃、裏を返せば中途半端な守備というコトになります。「ビルトアップ」という言葉を知っているのに、それが徹底されていないのではないでしょうか。

岡田監督の戦略はW杯のグループリーグでは当然。世界のトップクラスと言えども同様です。優勝を狙うチームがグループ戦に焦点を当てて、最初から全力を挙げて戦う、というケースは、過去のW杯でもマレです。逆に、グループ戦で、決勝トーナメントで強敵相手の攻撃に対抗できる、守備陣の組織を強固にするため、あえて防御ラインを下げて堅固な守備網を編んでいるのです。それができて、少し少し攻撃面へとビルトアップさせていくのが常道ではないでしょうか。 

W杯のグループ戦で派手にデビューしたチームは決勝トーナメントでは下降線を辿る運命になっていくコトはW杯の歴史を調べれば気がつくはずです。

ブラジルにしても、対日本戦ではリアクションサッカーをしていたのですよ。このコトに関しましては後日取り上げる予定です。

3.世界のトップレベルで活躍する攻撃的なチームには、必ず優れた守備的なMFが存在する。と著者は述べた後、ブラジルとスペイン代表のボランチの例を挙げ、特に、スペイン代表とFCバルセロナで活躍しているセルジ・ブスケッツについて述べています。

 ブスケッツは以前、インタビューで「攻撃をしている間もボールを奪われたときのことを考えてプレーしている」と語ったことがある。このような思考で相手のカウンターの第一歩を遮断する選手がいなければ、攻撃に人数をかけることは看過できないリスクを負うことになる。攻撃から守備に切り替わるときの相手のカウンターを防ぐブスケッツのポジショニング、寄せの鋭さには目を見張るものがある。

 そのような視点でザックジャパンを考えたとき、果たしてブスケッツのような働きができている選手が存在するだろうか。

 この2戦を通して明らかになったこと、それはディフェンス面における遠藤と長谷部のダブルボランチの限界ではないかと思う。スペースの広い場所ででの1対1で振り切られる場面が多く、マークを持たないケースでもボールウォッチャーになる癖があるので背後のスペースへの意識が薄い。やはり強豪と対戦すると、スペースが広く空いた状況でカウンターをうける際のボランチの守備力がアキレス腱となる。日本が世界基準へと脱皮するためには、今よりもエンジンを大きくし、スケールアップしなければならない。

細貝はその可能性を握る選手の1人だ。遠藤や長谷部を凌駕する寄せの鋭さ、球際の激しさ、ボール奪取力は世界基準とも言える。しかし2人の落ち着いたプレーぶりに比べると、やはり荒削りな部分が目立つ。

(蜻蛉の見解)

 清水氏が「カウンター攻撃の第一歩を遮断する選手がいなければ」と指摘しているようですが、その第一歩がボランチの選手のように述べておられますが、もしその通りであれば、私は「違うのでは」と思いますので、異論を述べさせてもらいます。

 攻撃戦術の場合にはブロックを形成するように、ボールを相手に奪われた瞬間に、そのブロックが守備戦術のブロックに変わるのです。ですからボールを奪われた選手と一番近くのサポートした選手が、第一歩を遮断する選手にならねばならないはずです。そのときの選手の使命は、速攻を防ぐために、前方へのパスをさせないよう遮断できる位置に詰め寄ってボールを奪うか、味方選手帰陣の時間稼ぎをするコトなのです。ブスケッツの語っているコトは当たり前のコト。その当たり前のコトが守られていないところに問題があるのです。

 現在、日本選手の弱点を挙げるとしたら、守備におけるマークの仕方にある、と私は見ています。その弱点とは、マークする際の姿勢です。私が現役の頃、ワンサイドカットといって、ボールをキープしている相手に対して、縦方向に向かわせるように斜め前からボールを見ながら少し前かがみの姿勢で構えながらプレーしていたのですが、現在でもあまり変わっていないようです。この雑誌には長谷部がフランスのボール保持者にマークしていて、後ろには相手選手、その斜め後方に今野が映っている写真が掲載されているのですが、2人の間合いと姿勢に清水氏が指摘している問題が浮き彫り示されています。ここでは、そのコトについては取り上げませんが、後日まとめて述べようと思います。

4. のボランチの育成と土壌、5.の攻撃面、6.の本田の1トップ等については、この後に記載されて   

いるコトとラップしていますので、そのときに取り上げてみようと考えています。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月26日土曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (2)


Makoto Hasebe and Yuto Nagatomo - Japan v Australia - 2010 FIFA World Cup Asian Qualifierこんにちは! 蜻蛉です。 新年早々アルジェリアに派遣されている日本人の内、10人の方がテロリストに虐殺された、という悲惨な事件がありました。私自身もペルーでテロに脅かされていた体験もあり、他人事ではない激しい怒りを感じています。亡くなられた故人の方々のご冥福をお祈りします。また、故人のご家族や友人の方々にもお悔やみ申し上げます。

 さて、きょうも前回と同様に、雑誌『サッカー批評』(双葉社発行No.59)の、憂国のジャーナリストが問う「世界の壁」は本当にあるのか?について、語り合いたいと思います。

 このコトを記載したのは、1998年からイタリアに移住して、サッカーを取材されている日本人のジャーナリスト宮崎隆司氏で、未だメディア二溢れる「世界の壁」「世界との差」という言葉を目にするたびに、日本人ならではの謙虚さを見る反面、同時に悔しい思いもこみ上げてくる。なぜそこまで卑屈になる必要があるのか?

 という問いに対して、宮崎氏は、「そんなものはない」と断言しています。なぜここまで断言できるのかと言えば、第一に欧州の現場で確実にその“壁”なるものが低くなっていく様を目の当たりにしてきたからに他ならない。その裏づけとして、欧州各国で日本選手は現地の選手に対等に渡り合い、時には彼らを凌駕するプレーを見せている「事実」がある。技術的な資質で大きく劣っていたわけではない。もしそこに「壁」の存在を認めるなら、それは「国際経験の差」と言える場合がほとんどだろう。

 日本の選手は周囲からリスペクトされ、信頼される存在、その最たる例が今で言えば長友、長谷部、“ピンチに怯まず、チャンスに驕らず”の姿勢と、それを支える精神、すなわち謙虚さに裏打ちされた高いプロ意識は、日本人選手の傾向として強く見られるストロングポイントであることは疑いようがない。彼らのような選手が今後もさらに増えていくとすれば、それは「日本サッカー界全体の底上げ」に直結するはずである。

 日本ほどマジメにサッカーを論じ、真摯に向き合っている国は他にどこがあるだろうか?指導書など初めとする刊行物の多さ、熱心にサッカーを教える指導者の豊富さと情熱、例外なく全力を尽くす選手たちの姿は間違いなく世界でも誇れるレベルである。

 欧州各国は長足の進歩を遂げた日本サッカー界に深い畏怖の念を抱いているからこそ、時間の経過と共に大きくなる日本の足音に怯え始まっている、とすれば、もはや気持ちの面では「欧州恐れるに足らず」そして、いつ世界トップに追いつくのではなく「追い越す」と我々は堂々と述べて良いはずなのだ。

 「本場」への敬意を払いながらも、しかし過度な欧州崇拝をやめ、独創性のなさや肉体的なハンディを嘆くのではなく、我々日本人ならではの献身性こそを最大の武器とするサッカーを貫き、地道な努力を今まで通り、ときには今まで以上に重ねていけば、20年後に日本はその緻密なサッカーで世界の4強に名を連ねることも決して不可能ではない。逆に本場にはない日本独自の資質にフォーカスすれば、導き出される答えは自ずとそうなる。したがってまずは、「世界の壁」なるものは、今や、完全かつ最終的に取り払われたと考えるべきなのだ。 宮崎隆司氏はそのように結論づけています。

 

これまで宮崎氏が論じているコトを記載しましたので、これからは私蜻蛉の見解を述べてみようと思います。断っておきますが、宮崎氏の考えを私が否定的に述べたとしても、それが間違っているのだ、というふうに解釈しないでいただきたい。あくまでも、「このような別の見方や考え方もありますよ」というふうに受け止めていただければ幸いです。

 「世界の壁」という言葉について、結論的に言わせてもらえれば、世界との「差」はあっても「壁」なるモノはない、と思っています。もし「壁」なるモノを論ずるとすれば、世界ではなく「日本社会」と「日本人同士」の「壁」ではないかと思っています。日本サッカー界も例外ではありません。

 「世界の壁」というのは、日本サッカーが、日米開戦以来、世界のサッカーから孤立化し、戦後復活したものの、野球界がいち早く、職業野球、社会人野球、学生野球、高等学校、中等学校、草野球というように、国民スポーツとして先鞭をつけたため、サッカーを含めた他のスポーツは遅れをとってしまい、限られた枠の中で普及と振興をはかるしかなかったのでした。もちろんサッカーの技術というモノも、指導者不在で、「How to play soccer」なる洋書を購入して、独学せざるを得ない状況でした。

 戦後のサッカー界の大きな出来事といえば、ドイツ人のデッドマール・クラマー氏の来日で、日本のサッカーが世界から孤立しているコトを思い知らされたのでした。そのとき以来見えない外国サッカーや来日した外国チームとの差が歴然としているコトを知らされ、世界との「差」とか「壁」という表現が定着したまま今日まで引き継がれてきているようです。

 問題は日本という国と人による構造主義の差別社会(上層や下層、学歴等)に枠組みされてきた「壁」という現実から、自然と己のモノと他のモノとを比較する慣習になり、世界サッカーと日本サッカーを幻想的に眺めて、「差」を「壁」と表現したモノではないか、というふうに私は解釈しております。

 宮崎氏の「“壁”なるものが低くなっていく様」という表現は、彼がイタリアや欧州のサッカーを身近に見てきて、その見慣れてきたサッカーのレベルの視線がそうさせているのであって、日本のサッカーが、何人かの選手が欧州のトップクラスのクラブで活躍しだして、彼の目線とラップして、それなりに高くなってきているかのように幻想させているようです。しかし現実の日本選手は、長友、本田、香川、川島が目立つだけで、他の選手はスポット的に活躍していますが、出場していない選手が大半なのです。

 日本ほどマジメにサッカーを論じ、真摯に向き合っている国は他にどこがあるだろうか?と述べていますが、これこそ日本人の気質というか負けず嫌いの性格がそのまま現れているようです。日本の世界地図のような自己中心的な見方のように感じます。

日本のサッカーに関する出版物にも触れていますが、日本人は学校でサッカーを教えられて学び、生涯勉強するように躾けられています。ですから熱心に勉強し討論もするわけです。しかしサッカーの先進国の人は、「教えられるより、まずカラダで覚える」それが大事なコトだと考えながら自主的にプレーしているのです。教科書を読んで、先生に手取り足取りサッカーを学んでいるのではない、というコトです。ですから刊行物にしても、社会学的な出版物は多くあっても、技術や戦術などの本が出版されても、買って読む人はマレなのです。

サッカーゲームの本質は押し合いへし合いの「闘争」です。スペイン語で闘争を「コンペテンシア」と言います。私が35年以上南米ペルーでプレーし、観戦し、指導してきて、日本サッカーと根本的な違いは、若年層からトップだけでなく50歳代にても「競り合いにおける激しさ」の度合いにあります。

ですから、宮崎氏のいわれるリスペクト、謙虚さ、忠実さを前面に押し出すのではなく、対戦相手に競り勝つだけでなく仲間のライバルに対しても同様、指導者に認められるために「エゴイズム」と「プライド」でアピールしなければならないのです。その上で高いレベルに応じて「リスペクト」や「謙虚さ」を身につけていくのです。

日本では高校生でもかなり高度な戦術練習で鍛えられていますが、ペルー(他の南米でも)では、16歳になるまで、細かい戦術の指導はしません。それより、個人の技術と体力のレベルアップに力を注いでいるのです。

日本のサッカー関係者が、「ユース段階で日本の選手は外国の選手に比べ技術が優れているのに、トップのレベルになるといつの間にか抜かれてしまう」と嘆いておられますが、この戦術指導を技術が完成していない段階でやるのか、完成度を高めてから指導するのか、という違いに両者間で逆転現象があらわれるようです。

南米の指導者は、選手を教育的に育てようとするのではなく、選手たちの立場に立って、話し合いながら、必要なコトを気づかせるように指導しているのです。

裏を返せば、日本人の指導者の完璧主義的な指導というか、教えて育てようという点に、サッカーのコンペテンシアに欠かせない「動物的な競争心を理性で封じ込めさせてしまっているのでは」と私は、これまでの日本サッカーを見てきて、そのように感じています。

日本サッカーの問題は、「世界の壁ではなく、日本社会と日本人同士の壁」に、その答えがあるのでは、と私はそのように解釈しております。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月23日水曜日

雑誌『サッカー批評』を読んで感じた日本人の完璧主義 (1)

こんにちは! 蜻蛉です。先週の土曜日(19日)に順延されていた全国高校サッカー決勝戦が、東京国立競技場で行われ、宮崎県代表の鵬翔高校が、京都代表の京都橘高校に勝って、初優勝しました。

 私が期待していた通り、両チームの選手たちは資力を尽くして、最後まで素晴らしいゲームを展開してくれました。不毛の地と思われていた宮崎県のチームが優勝したコトは喜ばしい出来事です。 

試合の結果は2−2(延長戦0−0)の同点で、PK戦に入り、橘のキャプテンでチームのエース仙頭選手が最初に蹴ったボールが右ポストに当たってゴールならず、その失点が致命傷となり5−3で橘は不運にも負けていまいました。不運といえば、橘は2−1で勝っていたのですが、終了間際に、相手にPKを与えて、同点にされたコトは、悔やまれたコトでしょう。

技術的な角度からそのPKの反則をおかした選手の状況を再現して覗きますと、反則になるようなタックルをする必要はなかった、と感じました。相手選手は、ドリブルから、まだシュート体勢に入っていないのに、ボールに向かってタックルしようとしていたのですが、その前に相手の体に触れて倒してしまい、主審がPKと判定したわけです。このようなケースはプロの試合でもあります。あの場面では、ボールに直接向かうのではなく、相手がシュート、またはクロスしようとするコースを妨げる(相手とゴールの間に立ちはだかる)だけで、そこでボールを奪う必要はないのです。

さて、前回に私はサッカーの雑誌を買って読んだコトを述べましたが、きょうはそのコトを取り上げて、現在のサッカー関係者がどのような見方、感じ方で、考えているのかを探ってみようと思います。

この雑誌は2012年11月8日(株)双葉社発行『サッカー批評』59号で、内容は、サムライブルーの日本代表が、欧州において、世界の強豪フランス代表とブラジル代表との2連戦したコトに関しての特集でした。表紙には、「ザッケローニを超える日本代表へ」、2014年、ブラジルとの『僅差』を埋めるために必要なこと、「世界の壁」は本当に存在するのか?と記載されています。

この雑誌の目録には:

1. 特集、ザッケローニを超える日本代表へ

2. 「世界の壁」は本当にあるのか?(憂国のジャーナリストが問う)

3. 解けないままの宿題(南アから変わらぬ2つのテーマ)

4. 日本代表の守備はなぜ崩壊したのか?(ディフェンスマスター松田浩監督が分析)

5. 「無謀な挑戦」の光明(愚かな戦いを挑んで見えた攻撃の完成度)

6. ブラジルまでの次なる航路(日本代表の証言から紐解く指標)

7. ザッケローニの手腕とマネジメント(本田ワントップ、ポゼッション傾倒への弊害−徹底討論)

以上の他、フランス人ジャーナリストとブラジルのオリヴェイラ(元鹿島の監督)も記載しています。

 これらのコトをすべて取り上げるには、ここでは無理ですので、主なポイントだけを何回かに分けて話し合いたいと考えています。

 きょうは、1について、感じたコトを述べてみようと思います。これはあくまでも、私個人の考えですので、「ああそういう見方もあるのか?」ぐらいに取り扱ってくだされば幸いです。

1.には、「日本代表が更なる進化を遂げるために必要なことは何か?」

それはいい意味でザッケローニの発想、規律を選手たちが超えていくコトではないか。(略)アジアの戦いでは個々の力で相手の対策を上回れても、W杯ではより状況判断や戦況に応じた戦い方が必要になってくる。そのためにはチームとしてのハイレベルな実戦経験が欠かせない。

今回、フランス、ブラジルと戦った親善試合は素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった。やはりこういう経験をどれだけ継続して作っていけるか、そこに我々の本気度が問われている。

本田圭祐はW杯優勝という目標を口にする。長友佑都もしかり。何人かの選手は本気になっている。(略)しかし、多くの親善試合を国内で行い、ごくたまに強豪国と試合をするというのでは、その目標はどうしても限界がある。

(略)しかし、選手だけでなく、日本のサッカー界がこの先本気でW杯優勝を狙うなら、多少の無理をしてでも定期的な強豪国とのマッチメイクを組む覚悟が求められる。

今回の欧州遠征で分かったコトは、現状でつけられている多くの差は「慣れ」の問題が大きいということだ。決して能力部分で大きく劣っていたわけではない。充分互角以上の勝負に持ち込めるはずだ。  

もちろん個々の能力と組織として成熟度を磨くコトも必須である。ブラジル大会での優勝は現実的ではないが、前大会以上の成績を目指すためにはまだまだやれるコトがたくさんある。本大会出場が見えてきた今だからこそ、日本代表の総チェックを行いたい。

以上のコトが記載されていました。

日本代表の試合を観戦してきて、選手たちが監督の使命に忠実し過ぎ、それ以上の働きをしているようには感じませんでした。ですから、監督の筋書き通りのゲーム展開したときには、目の覚めるようなプレーでゴールを決めているのに、そうでないときには、平凡なサッカーで、ただ単なる球回しゲームで、結果的にはゴールに結びつかない、という感じがしております。

対戦相手のアジア諸国も、予想していたより、ファイティングスピリットが欠けていて、日本が良かったのではなく、対戦相手国のレベルの低さに原因があるように感じています。どちらにせよ、監督の使命の他に、選手個人の能力による可能性があって、チームへの貢献度を高めるコトがどうしても必要ですから、監督の発想、規律を超えていくコトが欠かせないのです。

 この2連戦を素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった。と褒めていますが、本当にそう思いますか?このコトについては、この後にも記載されていますので、そのときに取り上げてみたいと思います。

 選手たちがW杯優勝を口にしていますが、参加するのであれば、選手たちは優勝を目標にするのは当然だと思います。しかし、その前に行われる、コンフェデレーション杯(6月にブラジルで開催)にて、

強豪国相手に試合ができるのですから、それまでに日本の選手が準備できるのは、所属しているクラブで出場して、どれだけレベルアップできるかが問題のはずです。

 強豪国を相手にしなければ、レベルアップできないと考えるところに、日本人自身の問題があるように思われます。極端な言い方になりますが、「外からの刺激がないと反応しない」気質があるようです。

 今回のマッチメイクにしても、フランス戦に勝利という結果をだしたからこそ、ブラジル戦の大敗に対しても、「素晴らしいマッチメイクで、非常に有意義なものとなった」という寛容な表現で評価しているのでは、と感じています。これも実に日本人的な表現の仕方だ、と感じました。

 「本気でW杯で優勝を狙うなら」の本気とはどういう意味があるのでしょうか?いわゆるホンネとタテマエというコトでしょうか? この表現も日本人らしさのようですね。

 今回の遠征でわかったことは、現状でつけられている多くの差は「慣れ」の問題が大きいというコトだそうですが、では慣れたから「互角以上の勝負に持ち込めるはず」と言えるでしょうか?この表現に対しても首を傾げたくなりました。

 最後に「個々の能力と組織としての成熟度を磨く」とありますが、これはサッカーに取り組む指導者や選手たちの永遠の課題であると思います。

きょうはこれまでで、次回もこの雑誌の内容をたたき台にして、語り合いたいと思います。

 

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月18日金曜日

サッカー選手のタレント性を見極めるポイント


こんにちは! 蜻蛉です。 先日(15日)、私の母校県立浦和高校サッカー部の同期会が浦和駅の近くにある某所で行われました。我々同期の年齢は現在71歳ですが、一緒にボールを蹴りあって苦楽をともにした頃の年齢はちょうど数字を逆にした17歳ですから、半世紀以上になります。

 もうそんな時が経過しているのか?と不思議な感じがしました。と申しますのは、我々の仲間たちは、現在も何らかの形でサッカーと関係しているせいか、表面的には変わっていても、サッカー談義している姿は、昔と変わらない情熱というかある種のエネルギーを感じました。

 高校といえば、昨日は全日本高校女子選手権の決勝戦が、静岡県の磐田市にある磐田スポーツ交流の里“ゆめりあ”で行われ、常盤木学園高校(宮城)が2−0で神村学園高校に勝って、2連覇を達成しました。大変素晴らしい試合で、未来のなでしこに光明を与えてくれました。

明日は、大雪のため1週間順延になっていました全国高校選手権の決勝が国立にて、京都橘高校(京都)対鵬翔高校(宮崎)が行われます。女子の試合に負けないよう両校の健闘を期待しましょう。

さてきょうは、私自身がサッカーの指導者としてペルーで学んできた経験で得た、サッカーの選手のタレント性を見極める8つのポイントを述べてみたいと思います。

その中から、現在の日本サッカーの問題点を抽出して、将来に向けての課題を取り上げてみようと考えました。これらのポイントは私がチームの監督としての立場から覗いたモノです。

サッカー選手を能力を見極める重要なポイント:

テクニック:パス(キック・ヘディング)、ドリブルやトラップといった基礎プレーの技術。

スキル:の技術を実戦で活用する器用さがある。

根気:粘り強く、最後までボール、または、勝負を諦めない。

気質が強い:勝ちたいという気持ちの有無(度合い)。

インテリジェント:監督やコーチの指示やゲーム展開をキチンと理解できる。

心身のバランス:健康で情緒が安定している。

本能的:予想外の展開に感覚的に対応できる。

特殊な才能:何かひとつの技術で人並み外れた才能がある。

 以上8つのポイントに絞って、日本のサッカーを覗いてみて(一昨年の8月にペルーから一時帰国して以来今日まで観戦してきた試合)感じた点を忌憚なく述べてみますと、つぎのようになります。

 日本サッカーのトップから若年層まで、1と2のテクニックとスキルに関しましては、格段に進歩しているし、世界的にも十分通用すると感じています。ただし、南米の選手と比較して、プレッシャーに対しての球際での強さという要素において不十分さがみられます。

 3と4に関しては、高校サッカーにも現れていますように、日本人の勤勉さが反映した長所であると感じております。

 5と6については、日本人は心身のバランスがとれていてインテリジェンスで申し分ないのですが、真面目で忠実な性格で多少遊びの精神に欠けるという点で、サッカーのゲームで必要な駆け引きの面から見たインテリジェントが不足しているように感じています。

 7と8に関してこそ、日本サッカーが抱え続けてきた重要な問題点なのですが、優れた才能を引き出す指導者と環境というか土壌がないように感じています。

 私が日本に帰国して以来、一度も戦術の本を読んでいませんでしたが、本屋さんには戦術の本がたくさんあるのには驚きました。日本にいた頃は、サッカーの指導者間では、戦術に対する関心が強かったような記憶がありますが、そのコトに関する書籍は少なかったようにも覚えております。

 ある日私は、喫茶店でコーヒーを飲みながら、私が構想しているサッカーについて記載しているノートをチェックするつもりでいたのですが満席で、空席を待つため、たまたま近くの本屋に飛び込んで手に取ったのが、『サッカー批評』という双葉社発行の雑誌でした。

日本代表がフランスとブラジルと対戦した批評が記載されていたので、どういう見方や考え方をしているのか、参考のためにと思い、その雑誌を購入して、喫茶店で読んでみました。

 この書に記載されているコトで、ここで特に取り上げてみたいのは、対ブラジル戦での批評に、

「日本の攻撃はディフェンスラインの手前までは運べていたのだから、日本は最後の一線を突破できれば完璧だったのだが、その回数は少なかった。ここが確認できた課題である」

 この課題こそ7と8のポイントで、ストライカー不在という問題とも関連しているのです。昨日の高校女子のサッカーでも同様、確かにゴールの手前まで完璧?にパスをつなげるコトはできるようになっているのです。しかし、サッカーで最も肝腎な「ゴール」という目的につながらない点に、日本サッカーの重大な問題の要因と要素があるのです。そこに日本と世界のトップクラスとの差があるのです。

 蜻蛉の目から見て、それは容易に解決できる課題ではないと思っています。そのコトについても後日に取り上げてみたいと考えています。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月11日金曜日

サッカーの試合に科学的な判定機器導入は必要だろうか?

こんにちは! 蜻蛉です。このところ東京は快晴つづきで、スッキリした青空の下、心地よい気持ちにさせてくれています。しかしその反面、今朝、私は、インターネットで、日刊スポーツの記事を見て、少し不快な気分にさせられました。

 きょうはその不快なコトについて、新年早々ですが述べてみようと思います。

 『ずる許さない! Jリーグが14年度シーズンから審判無線システム導入?』

というタイトルのこの記事によりますと、

Jリーグでは、欧州主要リーグで使用されている、イヤホーンとマイクとを使用した審判無線機のシステムを、2014年のシーズンから採用する予定で検討中とのコト。

 このシステムはアジア地区の韓国や中東諸国の他オーストラリアでも既に実施しているようです。しかし、日本では無線で発する電波を使用する場合、法律(電波法)で国の認可をとる必要があり、現在その手続きをしていて、国会の委員会も前向きに検討しているとのコト。

 昨年の12月に行われましたクラブFIFA・W杯にて、ゴールの判定機を設置しました。そのために、使用したボールにもチップを埋め込んだとのコトでした。その結果どうでしたか? 

 この機器の採用に関して、FIFAブラッター会長は「審判の人数を増やすのは費用がかかりすぎるから、その機器を欧州の主要大会で使用したらどうか」とUEFAプラティ二会長に打診したところ「その機器を全会場に取り付けるとなると幾らかかるのか、チョッと考えただけでも膨大な費用がかかり、採用するコトはできない」とその提案を拒否しているのです。(クラブW杯で使用した判定機器の費用は、いくらかかったかご存知ですか? 約100万?ドルだそうですよ。FIFAはまるで殿様商売?ですね)

 この日の記事によると、ゴール判定機や無線機を採用すれば、ゴール判定が明確になり、ピッチ上で審判の死角がなくなれば、無用な選手からの抗議も減り、競技力向上にもつながる。観客動員の減少に悩むJリーグは、ジャッジ改革とともに活路を見出す。(見方があまいですね)

 大変ご尤(もっと)もな理由で、実際誤審が少なくなる、というコトはあえて否定しません。しかし、サッカーはロボット的な機械がやっているのではなく、人間同士(選手)が同じピッチ上でゴールとボールをめぐって攻防しているのです。その押し合いへし合いの限界である規則(ルール)に従って、人間である審判諸氏が試合を統御(コントロール)しているのです。

 前回に柔道の選手たちの礼儀について、私は苦言を呈しましたように、愛するサッカーが科学兵器で毒され、(スポーツ根底に本来あるべき、「スポーツマンシップ」と「フェアープレー」精神によって、ルールが支えられなければならないのに)審判諸氏がロボットに支えられている様がイメージされます。審判諸氏はそれで納得できるでしょうか?

 欧米や日本の教育の基盤は、合理主義であり、主知主義でした。理性が尊ばれ、感情とか、本能とか経験などはきびしく批判され、経験より理性による認識という方向に進められました。

 科学は進歩し、機械文明は飛躍的に発展し、生活水準は異常に昂(たか)まりましたが、人間の精神生活は枯渇(こかつ)し、憔悴(しょうすい)に明け暮れています。

 限りなく前進する科学文明に反比例して、幸福は喪失(そうしつ)し、不安感が増大するというのは、科学の基盤となる客観的な認識の置き土産ということにもなりそうです。

 愛は、客観的にみることによって生まれはしません。愛という客観的な認識が理解されても、愛するコトはできません。

 愛は必ず犠牲を伴う。愛の本質が犠牲ではないですけれども、愛するときには必ず犠牲を伴う。合理的には最少の犠牲を望みますが、愛は犠牲が多いほど深まってくる、と言えます。

 サッカーは、愛する者同士が、限られた空間と時間と規則に従ってプレーしているのです。たとえ主審や副審の判定(ジャッジ)が、別の視点から見て間違っているかのように見えても、選手たちは勝手にプレーを放棄できないルールになっているのです。

 逆に考えれば、そのような状況に立たされたとき、誤審を許せる、「寛容(トレランス)」とよばれるモノが芽生え育ってきてもいいはずです。

 そのような逆境に、選手(人間)が立たされた場合に、どのような態度に出るか、いわば試練の立場にあるわけです。それを一方的な立場にて、誤りだから判定を覆せとか、やれ非合理的だから便利な科学的な機器を使うべきだ、と主張すれば、競技者にとって、強靭かつ柔軟な精神力が育つチャンスを失うコトにもなるのです。

 そのような機器を使用しないで何年になりますか? サッカーはプロだけの所有物ではありません。現在その機器を使用しているというコトですが、いつルール化されたのですか?ルールを受け持つインターボードは認可したのですか? FIFAの一存で決めるコトはできないはずです。

 近代サッカーがイギリスのパブリックスクールで発祥したのは、根底に教育的な配慮がなされているのです。というコトは、そのような面での人格(パーソナリティ)の形成にも関わっている、というコトを忘れてはならないのです。

 そのコトは審判諸氏にとっても同様です。W杯でも欧州のチャンピオンリーグ等でもこの無線機を使用していますが、誤審がなくなりましたか?私は良くなったとは思えません。逆に悪用しているのでは、と思えるほどの判定が、しばしばあるのはどういうコトでしょう。そのような機器を使って審判諸氏の技能は高めるコトができますか? 甚だ疑問に感じています。この無線機を使用してオフサイドの判定が正確になりますか?

 ただ問題がなくなるから良いのだ、という考えで、人間的な成長が期待できますでしょうか? 逆に、問題があるからこそ、そこで互いに葛藤してこそ、成長が期待できるのではないでしょうか?

これが蜻蛉の年頭のつぶやきです。

 グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ!

2013年1月8日火曜日

長友祐都選手(インテル・ミラノ)のパフォーマンスに注目

こんにちは! 蜻蛉です。時が経つのが早いですね。2013年も1週間が過ぎてしまいました。

皆さんお正月はいかがお過ごしでしたか? 

私は日曜日(6日)に母校埼玉県立浦和高校の新年初蹴りの行事に行ってきました。午後12時半からFCれいわ対現役A,、ベテランOB対浦和第一女子高、若手OB対現役Bの試合がありました。私はボールは蹴らずに、試合見学と新年懇親会に参加しました。れいわとは浦中・浦高OB会の麗和クラブです。

久々に会うOB会の先輩、同輩、後輩と行き交うごとに「おめでとうございます」と深々と挨拶を交わしたり、現役諸君とは「こんにちは!」という言葉を交わしたりで、いつもの挨拶とは一味違う重みを感じました。

 この挨拶でイタリアサッカー界で注目されているのが、日本代表不動のDFで欧州で大活躍している長友祐都選手のゴールの後に示す日本式の礼儀です。彼がインテル・ミラノの試合でゴールを決めると、同僚のサネッティ(アルゼンチン)、シュナイデル(オランダ)という世界的に有名な選手たちと向かい合って姿勢を正し深々と頭を下げて挨拶する様は、見方によれば滑稽かもしれませんが、長く日本を離れていた私にとっては、なんとも言えない清々しい気持ちにさせてくれています。

長友選手のパフォーマンスはイタリア人の間にも流行しているようで、劇場に集まったインテルのファンの前の舞台に長友が呼ばれ、正面に立った瞬間、全員が起立をして深々と日本式の礼儀作法で挨拶していたのをTVで観ていて感動しました。

サッカーの選手は特徴のあるパフォーマンスで喜びを分かち合っていますが、長友選手の場合、実にシンプルでしかも重厚さがあって、最も日本人らしさ(アイデンティティ)を表している、と感心しながら毎度観ています。なぜ彼のパフォーマンスに注目するのか?

元旦に天皇杯全日本サッカー選手権で柏レイソルが1−0でガンバ大阪に勝ち優勝しましたね。この試合後、両チームの監督、選手が主賓席に上り、カップやメダル等表彰を授与されました。しかし残念な光景を目撃(TVにて)してしまったのです。2位のG大阪の選手がメダルを授与された後、整列していた役員一人一人に握手や礼儀をしていたのですが、2人の外人選手は最後方に立っていた日本サッカー協会会長の手前まで挨拶して、会長を無視した態度で過ぎ去ったのには驚かされました。同時に、いやな感じを残しました。裏を返せば、この2人の外人だけを攻めるわけにはいきません、G大阪の首脳陣やコーチングスタッフにも責任があると感じました。

それに天皇杯は協会主催なのに会長を隅っこに立たせ、Jリーグのチェアマンがメダルを渡しているのにも、担当者の無神経さには呆れました。主催者である会長自身が渡すべきはず、と私は思いますがいかがでしょうか?

浦高の現役諸君の挨拶の仕方もマチマチ、元気に顔を見て挨拶する者、ただ頭を下げる者、挨拶はするけれど顔をそらす者もいて当然ですが、同じスポーツマンとして、元気に顔を見て挨拶して欲しいと感じました。私が日立にいた頃、当時日本を代表する強力な女子バレーボールチームだった選手たちとサッカーのグラウンドで会ったとき、「オッス!」と言われて驚いたコトが思い出されます。女子といっても背丈も我々より高く、威勢のいい声での挨拶に、「だからこそ世界と争えるのだ!」とヘンに感心していました。

もう一つ気になったのは、日本のお家芸である柔道がロンドン五輪で惨敗しましたね。メダルが獲れなかったコトを悔やんでいるのではなく、柔道で最も大切にしなくてはならない「礼で始まり礼で終わる」柔道家の根本的精神の礼節が守られていないのには、正直なところガックリしました。

お家元の講道館や日本柔道界はその大事な技術以前の心得を徹底させないで、(普及させるためか?)安易に黒帯と段を与えているところに問題あるのでは、と私は感じています。

なぜ正座させて、服装を正し、キチッと挨拶させないのか?また、試合にしても、襟のつかみ合い、帯は緩み、衣は乱れ、しかも、腰を引いて逃げながら時間稼ぎ、投げ技がほとんどない、レスリングの選手に柔道着を着せただけのような戦いでは、柔らのない道のない本質の欠けた名前だけの柔道では、魅力がなくなるのは当然です。

おそらくこれからの子どもたちは将来柔道家を目指そうという子どもはだんだん少なくなるのでは、と心配されます。

カラーの柔道着にしても柔道の本質からはずれているはず。外国勢に押され、流されている日本柔道界では、誰が指導されても五輪で金メダルは取れないでしょう。

 挨拶は礼儀作法は違っても、出会いの最初に交わすコミュニケーションでありサッカーのパスであるはずです。ですから挨拶もできない選手が、ピッチのなかでチームの利益になるようなプレーはあまり期待できません。

ペルーで私がチームの指導をする場合、一番重要視したのは、お互いに挨拶し合うコトでした。そのときの反応で、選手の調子をある程度計るコトを学びました。日本人は礼儀正しいと言われていますが、見えないところでは、ペルー人より劣るように感じています。

それとマナーにしても、携帯が普及し、いつでも、どこででも利用できる便利さがありますが、歩行中、自転車に乗りながら、自動車を運転しながら、というように、法律も公衆道徳もマヒさせて行動している日本人には呆れています。特に自転車に子どもを乗せながら片手で運転しているのに驚きました。

東京都が2020年の五輪を誘致していますが、この長友選手のパフォーマンスが世界サッカーのパワーにて、世界の隅々まで浸透していけるよう、長友親善大使に注目し、普及させてもらいたい。

新年早々というコトで、日本の文化、礼儀、礼節、礼法について、感じているコトを述べてみました。

 グラシアス! ありがとう! アスタ・ラ・プロクシマ! では、この次まで!

2013年1月5日土曜日

蜻蛉ちゃんの自己紹介 (4) 日立製作所本社サッカー部時代


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 2013年の日本サッー界は、元日の全日本サッカー選手権決勝(国立)、柏レイソル対ガンバ大阪戦でスタートしました。柏がG大阪に1−0で勝ち、37年ぶりに天皇杯を獲得しました。

 37年ぶり、と言いましても現在のJリーグ(発足して20年)はまだ存在していませんでしたから、それ以前のJSL(日本サッカーリーグ)時代というコトになりますね。そうです、当時のクラブの名は日立製作所本社サッカークラブ(アマチュア)でした。

 

こんにちは! 蜻蛉です。 正月早々、日本サッカーのビッグイベントにて、柏レイソルがプロとして初めて天皇杯を獲得しました。おめでとうございます。蜻蛉もこのクラブの母体である日立製作所本社のサッカー部に所属していましたから、この優勝は格別です。

きょうは蜻蛉の自己紹介として、この日立サッカー時代のコトを記載したいと思います。このブログにて、2011年12月22日、2012年1月9日、同年3月14日の3回に分け、小学校時代から大学時代まで紹介しておりますが、最初にこれまでの略歴を紹介しその後日立時代のコトを紹介するコトにします。

《自己紹介》

蜻蛉(トンボ)の本名は:竹嶋住夫(たけしま・すみお)ローマ字でSumioTakeshimaと綴ります。昭和16年(1941年)日米開戦(真珠湾攻撃)の年の8月5日埼玉県浦和市(現在さいたま市)で生まれました。学歴は、浦和市立別所小学校、浦和市立白幡中学、埼玉県立浦和高校、慶応義塾大学を東京オリンピックの年、昭和39年(1964年)に卒業し、同年、日立化成(株)に入社、その年から本社(東京)の営業部で勤務。

この年から私は、日本サッカー界でも古豪の日立製作所本社サッカー部に入部しました。偶然にも、中学時代優勝したときのメンバーが4人も揃ったのです。また日立には、慶応の先輩が4人(全員天皇杯優勝経験者、私の長兄と同期1人)また、大学サッカー界で活躍していた中央大、立教大出身者他、高校サッカー界でも活躍していた面々が揃い、強力なチームでした。

当時の日立は、大会期間中以外は、通常の勤務で仕事をした後、夜、近くの皇居前広場で体操したり走ったりで、時々四谷の上智大学で夜間照明の下でボールを使った練習する程度で、体力を維持するのが精一杯でした。日曜日は練習か試合というサイクルで、大学時代までと比べて練習量が少ないのが悩みでした。合宿は井の頭公園の横にある日産厚生園(芝生のグラウンド)でやった覚えがあります。

大会といえば、実業団選手権、都市対抗、全日本選手権予選と本大会と言う程度で、まだJSLはなかったのです。

1964年の実業団大会は静岡県の藤枝市で行われました。藤枝には高校時代2回、名門藤枝東と練習試合した経験があります。名物サッカー最中を売るほど、サッカーを心から愛好している年寄りの男女が観戦してくれている様子を見て感激したコトが思い出されます。

この大会、選手兼監督の愛称トクさんこと鈴木徳衛さんは大胆にもレギュラーチームとサブチームに分けて、対戦相手の力量を計ってどちらかのチームを出場させるか決めたのです。私はサブチームでしたが、どことやっても負ける気がしませんでした。トクさんも同じチームで危なげなく勝ち進みました。決勝戦は日本代表選手が揃う古河電工とレギュラーチームが対戦しましたが、惜しくも敗れました。

負けましたが、この大会は毎日が楽しく、朝の散歩では熟したみかんをもぎ取って食べたり、行きかう人たちと笑顔で挨拶をかわしたり、旅館での会話は、東北弁、広島弁、九州弁が行き来してまるで漫才でもしているかのようで、聞いていて本当に面白いし楽しかった。試合でも緊張するどころかリラックスしてプレーができて楽しかったコトが思い出されます。

都市対抗は後楽園の競輪場でのナイターでした。照明は少し薄暗かったけれど、1年前の早慶ナイター定期戦で、奇跡の決勝ゴールを私が決めたところなので勝てる気がしていました。決勝は確か古河だったと思いますが、敗れて準優勝でした。

この年天皇杯の全日本選手権本大会(神戸)に、私は生まれて初めて出場しました。あまり記憶に残っていませんですが、対明治大学との試合で左ウイングで出場し、センターリングがうまく風に乗りゴールした記憶だけ残っています。この大会は準決勝かその前かどうか忘れましたが古河電工?に敗れたような記憶があります。

この年にオリンピックのために招聘した日本の近代サッカーの父ともいえるデットマール・クラマー(当時西ドイツ)さんが提唱していた日本で初めてのホーム&アウェー形式のリーグ戦が、翌年の65年から開幕するコトが決まったのです。

昭和39年(1965年)、記念すべき第1回日本サッカーリーグ(JSL)が古河電工、三菱重工、日立製作所、東洋工業、八幡製鉄(新日本製鉄)、ヤンマー・ジーゼル、名古屋相互銀行、豊田織機、の企業8社の間で開幕されました。結果は東洋工業(現在の広島サンフレッチェ)が優勝。得点王は私の同僚野村六彦選手で、彼を評して、ある協会理事が「忍者まがいの動きを持っている」と述べていました。

私の出場機会は少なかったのですが、国立での対豊田織機戦に出場して得点しました。チームはこの試合7得点でリーグ最多得点の新記録をつくったのです。

私は68年まで現役でしたが、日立は監督にベテランのロクさんこと高橋英辰さんが就任され、本格的にチームを強化するため、私は戦力外というコトで引退。その後は時々日立サッカースクールで子どもたちの指導員として手伝ったり、日立化成で日産グループの大会にキャプテンで出場し3位を獲得。

群馬県の館林での長崎国体予選に東京選抜で出場。当時の藤和不動産(後のフジタ工業、平塚ベルマーレ、今年J1に返り咲いた湘南ベルマーレの前身)は優秀選手を補強し優勝候補筆頭でしたが、寄せ集めの我々のチームは好調で1−0で勝って準決勝に進出。次の対戦相手は埼玉の浦和クラブで、私の出身地、前半想わぬコトが起こったのです。私はあるプレーの後、浦和の選手の尻をポンと軽く叩いたら、主審が振り向いて、いきなりレッドカードを私に突きつけたのです。叩かれた本人も私の友達なので何のコトかと驚いて見ていたのです。私は浦和のベンチ前を通ったとき、「どうしたんだ?」という声をかけられたのですが、私にも理由が分かりませんでした。ひとつだけ思いだしたのは、前の藤和不動産の試合で、我々のゴールキーパー(警視庁の人)が指を怪我して倒れていたので、「もう少し寝てて良いよ!」と私が吐いた言葉を主審が聴いていて不快な顔をしていたコトぐらいだったのです。偶然にもこの試合もその主審だったのです。東京の役員が提訴すると言ったのですが、私は断ったのです。

私のサッカー人生で退場を命じられたのは選手として初めてで最後、監督としてペルーで1回あっただけです。

日立は各大学から日本代表クラスの選手を補強し、ユニフォームもレイソルと同じ黄色で、走る日立で旋風を巻き起こし、JSLと天皇杯にて優勝。37年という時間はこの時以来を意味するのです。

残念ながらロクさんとトクさんは日本でのW杯サッカーを観ずに他界されてしまわれた。合掌。

1973年私は日立の製品を売る会社に転職、その大阪支店に勤務中、東京で知り合ったペルー日系二世の女性と結婚、長男が誕生して1年後の1975年、家内の家族が住むペルーの首都リマに親子で訪問しました。このとき以来私のサッカー人生はガラリと変わりました。このコトについては別の機会に述べようと思います。

以上、日立製作所サッカー部の選手時代について記載しました。詳しい資料はペルーにおいてきましたので、ボケぎみの頭で記憶をたどって出てきたコトだけなので誤りがあるかもしれませんその場合はご勘弁ください。

グラシアス! アスタ・ラ・プロクシマ